第9話 逃飛行
大鷲のダルが王宮から飛び立った。背中にはガルドとテルメール王女を乗せているので、いつもに比べるとかなり重い。だがルミナスが放った爆炎弾により、強烈な上昇気流が発生していた。ダルは大きな翼を広げ、上手に上昇気流をつかむと一気に空高く舞い上がった。
眼下の王宮は見る見るうちに小さくなっていった。王都のあちこちから黒い煙が立ち昇っているのが見えた。その王都も小さくみえる高さまで上昇した。おそらく地上から2㎞以上はあると思われる。
いつものように王宮上空で一回りしてから、ダルは一気に降下した。速度がついたところで、ダルは水平飛行に移った。ガルドたちに強烈な重力がのしかかった。ガルドとメルは手綱をしっかりと握っていたが、慣れているガルドですらきつい。振り落とされないようにするのが精いっぱいだった。
ダルに乗った時は、メルが前でガルドが後ろに乗っていたのだが、今はガルドがメルに覆いかぶさるような格好になっていた。
「大丈夫か?」
メルは軽くうなずいて答えた。
ガルドが下を見ると森が続いているのが見えた。王宮からの逃走経路として残しておいた森だ。
「分かってるじゃないか」
ガルドは大鷹のダルに話しかけた。
真西に飛ぶとガルドの隠れ家があるが、その間は草原地帯で隠れる場所がない。一方、北西には森が点在していて隠れやすい。さらにその先は丘陵地帯だ。ここまでくれば入り組んだ谷や生い茂った木で隠れる場所も多い。おそらく国王たちも、丘陵地帯を目指して森の中を逃走しているだろう。
この速度なら2時間ほどで丘陵地帯に入れるだろう。次は丘陵地帯から西にある俺の隠れ家に向かう。そこで休憩をとってから神殿でサルマン王と合流する。
ガルドは逃げきれた安心感で、この後のことを考え始めた。まさかクロクムス帝国に飛行する技術があるとは思っていなかったのだ。
ガルドたち大鷹の後方には、クロクムス帝国の追跡部隊が追いすがっていた。少しずつ速度が落ちているとはいえ、時速200㎞以上で飛ぶ大鷹に追いつくのは難しく、距離を縮めるのに苦労していた。
その数、二人乗りの小型飛行艇が5台。一人が操縦、もう一人が観測や攻撃を行う。5台が縦に並んで空気抵抗を減らすことで、最大戦闘速度で追いかけてきたのだ。
追跡部隊が逃げる大鷹に追いついたのは、あと少しで丘陵地帯というところだった。丘陵地帯に逃げ込まれると、見つけ出すのは難しい。そう判断した部隊の隊長は、無理に火槍を放った。当たらなくても、大鷹が避ければ飛行速度が落ちるはず。
* * *
目の前に丘陵地帯が広がってきたのを見て、あと少しで逃げ切れる。ガルドとメルは、そう思ってたところだった。
大鷹のダルがピーっと甲高い警告音で鳴いたと思うと、急に進路を変えたのだ。
その直後、すぐ横を火槍が飛び越していった。あのままなら、火槍が突き刺さっていたところだ。ガルドが後ろを振り向くと、空を飛ぶ小さな船が5台見えた。それぞれ、二人が乗っている。
「あれはなんだ?」
ガルドは一瞬、考えをめぐらした。
いや、なんだってかまわない。敵の追手に決まっている。
見たことのない、その何かは急速に接近していた。
ガルドを乗せた大鷹は、再び迫ってきた火槍を避けるために急旋回した。
「頼むぞ、ダル!」
「絶対に手綱から手を離すなよ、メル!」
ガルドの叫びを聞いたメルは手綱を手に巻き付けた。
逃げる大鷹に、5台の飛行艇が襲い掛かった。
大鷹のダルは、そのあとも何度も火槍を避けた。どうやら、攻撃を敏感に感じ取っているようだ。ガルドにとっても空中戦は初めてだった。今まで、空を飛ぶ敵にであったことがなかったのだ。
だが、このまま逃げ続けることはできないだろう。避け続けるだけでは、いつかは疲れてしまう。ガルドは後方を確認した。上空の2台、下に1台、そして少し離れて2台が見えた。絶対に逃さないという布陣だな。何とか、こちらからも攻撃をしないと。ガルドは考えをめぐらした。
すると、ガルドの考えを読んだかのように、大鷹のダルは、急停止するように羽を広げて速度を落とすと、今度は落ちるようにして急降下した。下には、大鷹を追い越さないように慌てて速度を落とした一台の飛行艇がいた。
大鷹は、鋭い爪で飛行艇の一人をつかむと、放り投げてしまった。つかんだのは操縦しているほうだったようで、飛行艇は渦を巻くように地面に落ちて行ってしまった。
「いいぞ、ダル!」
ガルドは、相手の攻撃が緩んだすきを逃さず、胸のポケットから小さな箱を取り出した。中から取り出したのは、カブトムシのような甲虫が一匹。
ガルドは目を閉じて、妖精を憑依させた。
大鷹が速度を上げると、真後ろに一台が張り付いた。そこを逃さずガルドは甲虫を放した。
ガルドの手を放たれた甲虫は、ものすごい勢いをつけて後ろの飛行艇に飛びこんだ。小さいとはいえ、硬い甲虫がすごい速さで突っ込んできたのだ。
「うぎゃ」という声が聞こえたので、ガルドが振り返ると、さらに敵が一台減っていた。
だが、残りの3台からの攻撃が激しくなった。
少し距離を取ったうえで火槍や火球を放ち続けてきた。さっきまでとは攻撃の手数が違う。大鷹のダルは、右に左にと、旋回を続けた。もうガルドですら手綱から手を離すことはできなくなった。
王女を生け捕りにするつもりはない、ということか。ガルドは少し焦った。生け捕りが目的だから攻撃してこないと思っていたのだ。
いつの間にか、下には丘陵地帯が広がっていた。
あちこちに崖や谷がある。この地形を生かせば逃げ切れるはずだ。
ガルドは、大鷹のダルに下降して敵を振り切るよう頼んだ。
大鷹が何かを言ってきた。「やるぞ」とか「気をつけろ」という意味だろう。
ダルは、急降下を始めた。降下というより落下だった。落下の速度を維持したまま、今度は谷の間を縫うように飛び始めた。まさに大鷹だからこそできる機動力だ。
谷に隠れて見失ってしまうことを恐れた敵の3台は、大鷹の姿を逃さないよう狭い谷のすぐ上を追いかけてきた。その中の一台が少し高度を下げて地数いてきた。大鷹はそれを逃さず、急上昇した。
間一髪で、敵は大鷹の鋭い爪を避けた。
大鷹が甲高く鳴き声を上げると、クルリと向きを変えた。
急上昇から、今度は急降下だ。もう一度谷間へと逃げ込もうというところだ。
だが、大鷹の動きはガルドですら気を失いかねないほどの急加速を伴うものだった。谷の間を右へ左へと振られたところで、突然の急上昇。ものすごい重力が背中の二人にのしかかった。そこから急降下したところで、メルは手綱から手を離してしまった。
大鷹の背中から飛び出しそうになったメルを、ガルドは慌ててつかもうとした。ということは、ガルドも手綱から手を離したことになる。
結局、二人とも空中に放り出されてしまった。
まずい!
「王女を頼む!」
ダルに、王女メルを助けるよう頼んだ。
自分は、何とかなる。
こうして落ちるのは初めてではない。
「風の妖精よ、我が身に集いて、浮上させよ」
そんな呪文のようなものを唱えると、ガルドの下から風が巻き起こり、地面に直撃する寸前に落下スピードが落ちた。それでも地面への衝突の衝撃で、ガルドは気を失いそうになった。
体中から発せられる痛みが悲鳴のようにガルドを襲った。
骨は折れてなさそうだが、ひどい打撲だ。立ち上がろうにも力が入らない。地面の上に横たわり、青い空を見つめた。
そういえば、風の魔法は苦手だったんだよな。
そんなことを思いだしながら、ガルドは大きく息を吸い込むと、またも妖精を召喚した。今度は自分の体に憑依させた。これで王女メルを探しに行ける。
生物の体に憑依させる。
二度とやらないとガルドが誓った、危険な行為だった。魔力量が増大し、肉体強化もされる。一方で、負担も大きい。メルの母親のように、魔力を使い果たしてしまう場合もある。
だが、今は、そんなことを言っている場合ではない。
妖精の力が、体中に漲ってきた。
そこに、右足の太ももから激痛が走った。
何事かとガルドは身を起こした。見えたのは、矢がささった自分の右足だった。
「くそっ!」
もう来やがった。
ガルドは矢を抜くと、隠れる場所を探した。最悪なことに、周りは草ばかり。森の中の空き地のような場所で、身を隠す茂みがない。仕方がない、走るぞ。そう思ったとき右足が言うことを聞かないのに気が付いた。
例の矢か。
魔力を乱すというやつだ。
ガルドが空を見上げると、例の3台の空飛ぶ乗り物が近づいてきたのが見えた。
そしてガルドの腹を、何かが貫いた。
ガルドを囲むように3台の乗り物が空から降りてきた。
合計で6人がガルドを囲んだ。
「おい、こいつ大賢者の一人じゃないか」
「不味いな。まずは右手からだ」
そんな声が聞こえたところで、右手の激痛がガルドを襲った。
「左手にも矢を突き刺しとけ」
「どんな魔法を使うかわからないからな」
次は左手から激痛が襲った。
ガルドは両手を地面に串刺しにされた。腹の傷からは血が流れ出てたまま。右太ももからも矢傷から血が流れ出ていた。
「王女様! 聞こえてるんだろう!」
一人が森中に響き渡るような大声で叫んだ。
「こいつを殺されたくなかったら、おとなしく出てきな」
ガルドは出て来るな、と叫びたかった。が、もう肺から空気を出すことすら難しくなっていた。
「分かりました。彼を助けると約束してください」
澄んだ声がガルドの耳に聞こえてきた。
ダメだ。どうせ殺されてしまう。
「ああ、もちろん約束だ。こいつは殺さん」
その言葉を聞いた王女は、森の奥からゆっくりと姿を現した。
「いい心がけだ」
そういうと、6人は王女を軽く縛り上げた。
「これで逃げられないだろう」
「おい、さっさと帰ろうぜ」
「また戦いになったら大変だな」
ガルドを放っておいたまま、6人は王女を連れ去ろうとした。
「待って、助けるって言ったじゃない」
メルの声が聞こえてきた。
「助けるとは言ってねぇな」
「とどめを刺さないだけさ。運が良ければ生き残るだろう」
「こっちは4人もやられちまったんだ」
「まったく、大鷹なんてと高をくくってたら2台も失うとは」
声が小さくなっていく。
ひゅるひゅると、聞きなれない音が聞こえると、誰の声もしなくなった。
ガルドは、もう目を開けることすらできなかった。
もう体中の血が流れ出たような気分だ。生きていることが奇跡なのか。妖精の力というのは、すごいものだな。それでも肝心な時に俺の力が足りない。母親も救えなかった。今度は娘のメルも、助けることができなかった。悔しさで、ガルドの目から涙が零れ落ちた。