異空間へ
すごく嫌な予感がしながらも、僕はみんなと一緒にそのお札だらけの扉に手を触れました。
瞬間、夜だった周囲が、いきなりあかるくなりました。
「おおっ!?」
駒子さんが声をあげます。
「本当に飛んじゃった! すげー!」
全員が立ち止まったまま、周囲を見渡します。僕も駒子さんの背中に掴まって、キョロキョロしました。
「あの時と同じだ……」
カメラマンの高木さんが呟きます。
蛍光灯が天井に並んで、白い廊下をあかるく照らしていました。窓からはのどかな森が見えています。建物は遠くにも他にはまったく見えません。
いかにも病室といった扉が並んでいますが、しかし入院患者の表札はひとつもなく、誰かの気配すらありません。
病院らしきその建物はとても真新しく、汚れひとつ見当たりませんでした。
そして……寒い。窓の外はあかるいのに、元いた廃工場の扉の前よりも──ひどく寒いのでした。まるで建物全体が巨大な冷凍庫ででもあるかのように──
「貴婦人の孫の手さん、撮れてますか?」
駒子さんがマイクとイヤーモニターで外部と連絡を試みます。
「聞こえてますかー? そっちに画、行ってます? ……え?」
僕らもイヤーモニターをしていて、その音声は聞こえていました。
明らかに貴婦人の孫の手さんの上品な声なのに、意味がまったくとれない──
『がならき、ひとみろ……、たわわき、みひ、ミヒヒヒ……∵∅♤ζ』
「だめだ。噂通り、異空間から外部に連絡を取ろうとしても意味不明な言葉になってしまうようです。このぶんじゃこちらの映像も送れてないっぽいですねー……」
駒子さんがかわいくお手上げのポーズをします。
「生配信にはどんな映像が行ってるやら……。仕方ないですね、カメラマンさん、録画はちゃんと出来てます?」
「今のところ。おかしなところはないですよ」
「では、生配信が届いてなかったら後でその録画したものをお見せすることにしましょう」
そう言うと、駒子さんが再び高木さんに聞きます。
「さて、カメラマンさん。前来た時は、ここからどうしたんですか?」
僕は心配になって、もみじちゃんの様子を見ました。めちゃめちゃビクついてる。メルちゃんにすがりついて、辺りをビクビク見回してる。
そりゃそうだ。こんな状況で動揺も見せずに実況してる駒子さんのほうがおかしいんだ。
高木さんが駒子さんに答えます。
「このままこの廊下をまっすぐ歩いて行ったんです。そうしたら階段があって、それを降りようとしたら、一瞬にして元の場所に戻ってました」
「では……」
駒子さんが全員を見回し、言いました。
「戻りたいひと、いますか?」
誰も手を挙げませんでした。みんなのことを見回し、誰も手を挙げないので、合わせているようでした。
「不思議ですねぇ」
黄泉野さんが何か言い出しました。
「この場所には霊的なものをまったく感じません。現世界でも病院というところには霊が溢れているんですけどね。ここにはまったくおりません」
「えっ?」
駒子さんが反応します。
「霊、いないんですか?」
「ええ……。つまり……」
黄泉野さんがカメラに怖い顔を近づける。
「この病院で死んだひとは一人もいないということでしょう」
「まぁ……。それは……」
メルちゃんが発言しました。
「ここが皮膚科とか、歯医者さんとかだったら、死人が出ることなんてないんじゃないですかぁ?」
「いえ、どう見てもこれ、総合病院ですよ。手術するからこんなに病室が並んでる。それなのに死者が出てないなんて、おかしいことなんでございます」
そう言って黄泉野さんが腕組みをする。
「とりあえず……。谷くん」
駒子さんがいきなり僕に話を振ったので、思わず「へ?」と返事をしてしまいました。
「キミ、帰りなさい」
「は?」
「一人であそこの角まで行って、階段があるかどうか見てきなさい。そして階段がそこにあったら、降りなさい。それでカメラマンさんが言ったように、帰れるかどうか……」
わあぁ……。僕一人に冒険やらせる気だ! そう思いながら、もみじちゃんのほうを見ました。僕のことなんてどうでもいいような顔をしています。
僕は涙目で訴えます。
「い……、行くならみんなで行きましょうよぉ……」
「ふふふ……。谷くん」
黄泉野さんがヒソヒソ話で声をかけてきました。
「あまぁい、甘い気持ち、ビンビン伝わりますよ。もみじさんとここで仲良くなりたかったんですよねぇ? それを邪魔する駒子さん、死んでくれたらいいですねぇ?」
「とにかく……行けっ! 谷くん」
駒子さんに背中を蹴られました。僕の心に殺意が灯ったその時──
目の前の病室の扉が、カラカラと音を立てて横に、中から開きました。