現れたもの
怖い……。
本当は怖いんだ。
だって私、ただの女の子だもの。公称27歳の、女子だもの。実年齢は31歳だとはいえ、怖いものはいくつになっても怖い。
だが私はプロだ。
この駒山駒子、面白い動画を配信し、己の美貌と愛嬌を売り物にし、それで食っているプロなのだ。
聞いていた通りじゃないか。意外なことは何もない。
廃工場の扉に手を触れたら異空間に飛ばされる──聞いてた通りじゃないか。何が怖い?
高木さんが言うには、廊下の突き当たりに階段があり、それを降りると元の世界へ戻れるらしい。
しかし──戻らされてたまるか。確かにそれだけの動画でもそこそこバズることだろう。でもこの駒山駒子、そんなショートショート動画を撮影して満足するような器ではない。じっくり、たっぷり、この異空間を視聴者さんたちに楽しませてやる。
おまけにもみじとその親友カナの感動の再会でも実現すれば、動画の再生回数50万回も夢ではない! いや、500万? もしかして5000万回行くかも!?
そうだ。もみじがいるんだ。この子がいれば、異空間はすぐに私たちを追い出したりしないはずだ。……わからんけど。
確認せねばなるまい。
誰かに階段を降りさせて、それで元の世界に戻るかどうか、試させよう。
誰に行かせる? 私はもちろん主役だ、外れるわけにいかない。もみじはもちろん、黄泉野くんの霊能力も必要だ。戦闘員としてメルにはいてほしい。黒乳首の知識もあてにしている。と、なると──
私はそいつの背中を蹴った。
「行けっ、谷くん」
「わあっ!」
谷くんが数歩よろよろと駆けて、止まった。「戻るならみんなで戻ろう」とかアホなことを言う。てめーの仕事をわかってなさすぎる。てめーは実験台だっての。
確かにコイツも直感力だけは頼りになるから失うのはもったいないが、危険を感知する能力なら黄泉野くんも持っているはず。消去法でいけば、死んでもいいのは──じゃなくて、いなくなってもいいのは、コイツだ。
谷くんが殺気っぽいものを目に浮かべながら私を見る。まぁ、仕方ない。普段からこき使ってるというか、人間扱いしてやってないからな。
……と、谷くんの前の病室の扉が、突然、開いた。
みんなに緊張が走る。
横開きの扉をカラカラと開き、中から現れたのは、清潔な白衣姿の、色の黒い男性だった。
「おや、いらっしゃい」
高木さんのほうを見て、上品な笑顔を見せた。
医師──という感じだ。年齢は40歳代半ばに見える。
言葉を失っている谷くんを横にどけて、私が挨拶をした。
「こんにちは。私たち、急にここへワープさせられてしまって……」
医師はにこやかに笑った。
「いらっしゃい」
「ここはどこですか?」
「いらっしゃい」
私は後ずさり、背中の黄泉野くんに小声で聞いた。
「コイツ……幽霊かなんか?」
「この方……、霊ではありません!」
黄泉野くんの声が震えていた。あの、いつも自信たっぷりな黄泉野くんが、自信なさげに言う。
「しかし……、人間でもないようだ。何しろこの方の考えてらっしゃることが……まったくわかりません!」
「人間でないなら、何よ?」
「霊気もなく、頭の中は何も考えていない。空っぽだ……。この方は……つまり……」
「何なのよ!?」
「いらっしゃい」
「──死体です」
「動いてるじゃない!? 死体は動かないわよ!? 動く死体を幽霊っていうんじゃないの!?」
「幽霊に肉体はありません」
「じゃあ……!?」
黄泉野くんが私を押しのけ、前へ出た。
医師の前に立ち、しげしげと眺め回す。
「もしかして……アナタ……」
いきなり医師が口をおおきく開くと、綺麗な白い歯を見せ、黄泉野くんに向かって突進した。
「ぬおぉっ……!? 喝ーーッ!」
黄泉野くんが数珠を前に差し出し、自慢の除霊術を発動させたが、医師はたじろぎもせず、黄泉野くんの手に噛みついた。
「ウワァーーッ!」
「ゾ、ゾンビだ!」
安息の黒乳首が叫ぶように言った。
「ゾンビだよ、コイツ! 見た目は清潔な医師だけど……間違いない! この挙動は……!」
悲鳴をあげるもみじを背中に守るようにメルが前へ出る。素早く私に聞いた。
「コイツ、殺しちゃっていいんですか?」
「許す!」
私は声がひっくり返った。
「殺っちゃって!」
冷気を切り裂くような掛け声とともに、メルの正拳が顔面に打ち込まれると、医師の頭部はいとも簡単に首からはずれ、飛んだ。
ゴロゴロと音を立て、生首が病室の中へ転がり込む。
「うあーっ! 手が……! 手が……!」
黄泉野くんが自分の手をおさえて泣いている。手首から先が食いちぎられていた。
「こ……、駒子さん!」
谷くんの声に、私もそれに気づいた。
「びょ、病室の中に……っ! いっぱい……!」
病室の中から、たくさんの人間の顔が覗いていた。結構広い病室が、こんなに人間が入るには狭すぎると思えるほど、たくさんの──
大人も子どもも老人もいる。彼らはゆっくり歩きながら病室から出てくると、バラバラに同じことを言った。
「いらっしゃい」
「いらっしゃい」
「いらっしゃい」
「いらっしゃい」




