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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第4章 〜夢死・終の作家と望みの喫茶店〜
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どうしても

 朝目覚める。感覚により、今日が晴天であることを知った。カーテンを開け、案の定晴天で、なぜ分かったのか不思議に思いながらも、秋空を吸い込んでしまいそうなほど深呼吸をした。


 以前より印刷していた作品をまとめ、カバンへ丁寧にしまいこみ、簡単な身支度を済ませて外へ出る。相変わらず小鳥のさえずりや街々から流れる人の音楽に耳を傾けつつ、自転車にまたがった。


 街はうららかな秋晴れに恵まれて、陽は高々と、今日という日を祝福するように街並みを照らしている。車道の淡い煌めき、看板隅に見られる赤茶けた錆、行き交う人々の日常、街路樹の枝の、一抹の寂しさ……いつも通りの、綺麗とも汚いとも形容し難い世界。


 昨日と今日でなにが違う?しかし、確かに今日は昨日から持ち越されたものだ。それが今でははっきりと分かる。


 からから回る車輪の音に身を任せつつ、しばらくしていると喫茶店に着いた。傍の小さな看板は『open』となっており、俺はそのそばに自転車を立てかけた。荷物を持ち、喫茶店の扉を開ける。


「いらっしゃいませ……あら、ノボルさん。おはようございます」


「……おはようございます」


 俺はにこやかに挨拶を済ませ、誰もいないカウンター席へと向かった。




 朝食のためのパンとコーヒーをちびちびと食べ、店内に流れる温かな音楽に身を任せ、うつらうつらとしていた。しかし内心、奥底では緊張に塗れていた。横でツムギさんが俺の作品を読んでいるからである。彼女の読むスピードは速い。どこぞの読書家とは比較にならぬほど、速い。


 ぺらりぺらり、彼女の手元は見ていないが、横からそう聴こえる。驚くべきスピードに若干の疑いを感じていたが……どうやらそれは杞憂であったと、印刷の束を置いた彼女の発言によって理解した。


「ありがとうございます、この作品――」


 それから彼女はとうとうと、作品の全体像、キャラクターたちの動き、僅かながらに貼っていた伏線、そして最終的に伝われば良い程度の核心を、言葉と目線によって答えてくれた。というのも、全て作品制作過程における俺の思考していた事物を余すことなく拾っていた。本当に彼女は何者だろうか?作者としては嬉しいことだが、驚きのほうが勝った。


「……すごいですね、こんな速く。俺も本を読むスピードは速いつもりでいたんですけど。まるで違う」


「ありがとうございます。書物を読むのは得意でして」


 しかし本当に驚きである。加えて彼女は少しも、その超越的な行為になんら誇りを持っていない、鼻にかけないのである。まるでその速さが世界の普遍的速度であるかのよう……。


 作品のことについて二、三の質問を彼女がしたため、コーヒーを啜りながら、内心のほころびを隠しながら答えていると、背後のドアが開く音がした。半目で見れば、まだ還暦後ほどの老婦である。店内奥のテーブル席が彼女の定位置らしく、彼女は迷うことなくその席につく。


 少し離れますね、と言ってツムギさんも老婦のそばへ行く。やはり常連のようだ。慣れようからして、よく来ているのだろう。質疑応答の途中ではあっただけに少し妬いてしまうものだが……大丈夫だ。もう十分、彼女から勇気をもらったのだから。


 今日もそうだが、やはり昨日の出来事が核だろう。あの、白樺のように美しい彼女の細首にかかるネックレスの、赤い石。あれに触れ、眠りを経てからどうも胸中がすっきりとしているのだ。絡まって解けなかった糸玉がほんのりスッと解かれたように、あたかも最初から悩みなど、嘘であったかのように。


 窓外の景色を見る。その内、自身の顔が映る。




 やはり、嘘ではない。




 幾度も幾度も考えあぐねた形跡が、その轍が、明確に自身へ刻まれている。決して無くすことの出来ない代物だ。自身へついた嘘も、他者に向けた刃の鋭さも、全てが俺という、過去へ戻すことのできない器に記されている。


 何も無くしてなどいない。ならばあの眠りは、いや、あの眠りの最中に見ていたはずの夢は、俺からいったい何を持ち去ったのだろう?


 …………


 ………


 ……いや、持ち去ってなどいない。逆なのだろう。きっと与えられたのだ。他でもない、俺自身に。


 この執念と熱を持って、俺は歩いていくんだ。


 頷きもう一度コーヒーを手に取る。なんの気なしに横を見れば、先ほどまで置いていた作品がすっかり消えていた。くるりと向けば、後方テーブルに座る老婦と見ているらしい。老婦は眼鏡のレンズ越しにまじまじと見ており、横ではツムギさんが、何やら小声で呟いている。


 やがて老婦の手が止まる。時間にしておよそ十分に満たないだろう間隔であったが、持っていた原稿を置くなり、こちらに視線を向けてにこりと微笑み、俺へと話しかけてくる。


「どうも、私は灰田トモエと申します。お名前うかがっても良いかしら?」




  *         *          *




 小さな出会いや気づきが、やがて大きな過去となる。人類が言語という概念を獲得したことと同じように。歯車が噛み合う、どんな物事も。


 同時に思う。どれだけ長い時間この世界にいようとも、苦しみは尽きない……。この世界は、僕らが苦しみ足掻く姿を見ている。もしこの世界が高次元の、人類の知り得ない何者かが作り出したものならば、きっと僕らを見て、楽しんでいるのだろう。しかしそれで良いのだ。笑われようが馬鹿にされようが、どいつもこいつも関係なく、関係している。無駄なことなど一つもなく、今を信じるのみなのだ。


 それがきっと、今だけを走るしかない俺たちにとって唯一信じるしかないことなのだと、人生に抗う術なのだと、そう思う。


 今日を、今を――どう信じる?

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