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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第4章 〜夢死・終の作家と望みの喫茶店〜
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愚かしくもサミシ

 朝。この部屋の間取りでは朝陽が入らない。ゆっくり起き上がりデスクに向かうが、いつぶりだろう、全く作品を書く気にはならなかった。あの喫茶店を主題にした作品を書いていたのだが……それだけに、少し残念である。しかし気持ちや意志というものはどうにもならない。多少どうにかなるものもあるが、今回はその限りではないのだ。


 喫茶店を訪れ、ツムギさんと出会った日とは違う。あの時訪れた断筆とは違うのだ。同じく筆は進まないだけで。


 コンビニで安く購入したサンドイッチを食べる。賞味期限は地味に切れている。寒いな、と口づさもうとも何も起こらない。誰かが返答してくれるものでもない。日常の差異はない。違ってしまったのは、まったく覆しようのない結果である。ただ通ったか、落ちたか。今では通過するイメージすら湧かない。


 ただ茫然とむさぼる末、目の前にはサンドイッチを包んでいたゴミ。僅かな陽光のひと筋。照らされぼやぼやと光って舞う埃。俺の心中に熱はなく、ただ砂時計が落ち切るのを待つごとく。


 しかし、こうもボンヤリしてはいられない。先日の小旅行時に働けなかった時間を考えれば、しばらくはバイトを入れ続けなければならない。貯金がそれほどあるわけでもなく、金銭的援助を受けられる立場にもいないので、生活をしていくためにも、である。


 あるいは……馬鹿らしい。


 自身のうっちゃり精神から来る考えに、うすら笑いを浮かべずにはいられなかった。おまけに声まで出てしまった。さもしい部屋に弱声の余韻がふよふよと漂い、やがて消えていった。微弱な秒針の音に聞き耳を立てながら、今後を考える。


 夢と現実、滅びと喪失。


 果てとなるか、髑髏を追い出すか。


 金は回る、問題は何をもってか、だ。


 ……黙考と後悔に、静かにのたうち回っていると、いつのまにかバイト先へ向かう時間となっていた。慌ててジャンバーを羽織る。最低限の荷物を持って玄関に立つ。鍵を取ってノブを回し、遠く遠く流れる雲に何かを見つめながら、俺は扉を閉めた。




 ごうごう唸る空調のぬるやかな風、その狭間に聴き飽きた安っぽい音楽が鳴る。名前は知らない。相変わらず煩わしいほど店内を蛍光灯が商品を明るく見せており、絶えず訪れるそれぞれの客に購買意欲をかきたたせている。そのただ中、俺はぽつりとレジに佇んでいた。


 またも同じ日に入っている鈴木は、品出しに行く、と行ったきり戻ってこない。恐らく店長と談笑でもしているのだろう。戻らずとも俺が変わらずレジに常駐していることを知っているからだ。その間俺は、ぞろぞろやってくるカゴ持ち人間の相手をし、この店に利益をもたらしている。


 しばらく後、時計短針の二周したころ。客足がまばらとなったことを確認し、挨拶やら空調やらでカラカラとなった喉を潤すためバックヤードに戻ろうとすると、僅かに漏れ出る会話を聞き、足が止まった。


「ノボルさんも律儀っすよね~。ま、こっちは楽できてるんで良いんすけど」


「ノボルくん、うちに骨でも埋める気かね?」


「どうっすかね~、前に小説書いてるって言ってましたけど……案外、たいしたこと無かったりして!」


「ははっ、彼が大成するとは思えんがなぁ」


「なんか、それ分かりますわ~!だってあの人、普通だし~!」


「あんまり言ってやんなよ~」


「ま、どうでも良いんすけど!そういや――」


 バックヤード扉の数歩前で踵を返し、再びレジに戻る。絶えず流れる音楽、足音のしない店内、反響する二人の会話。それぞれに諦観が映る。怒りや憤りではなく、諦観。妙な汗が出るでもなく、訪れたのは納得。それはまるで、何枚かの鏡が目の前を閉ざしており、それぞれから自身を納得させるかのような答えを映し出しているよう。


 そう最初から、小説家になることなど不可能だ、という奥底に鎮座していた予知のようで。




「お疲れ様でした」


 店長にそう告げ、足早にバックヤードを出る。鈴木は俺より先に退勤していった。自動ドアを抜け、使い古した自転車にまたがり、荷物をカゴに乗せる。ペダルも重苦しさに難儀しつつ、駅前交差点へと出る。


 ぼんやり眼に映るは、あの喫茶店の光。


 思わず目指す。多少の不備には目もくれず。すれ違う人々の舌打ちや怒号すら気にせず、ペダルを漕ぐ。晩秋の夜風がこんなにも冷たかったことに驚嘆する。


 大した距離を進んだわけではない。しかし喫茶店前へ着くなり、額の汗を拭った。扉に手をかけ、がらんと鳴くドアベルを置き去りにし、店内へと入った。


「いらっしゃいませ。遅くまでお疲れ様です」


 変わらずそこにいる彼女は、そう短く俺に告げる。来店は三度目、しかしなぜだろう、何十年と通い慣れたような温もりと光の抱擁が、俺の心を強く揺さぶった。


「……ツムギさん、おれっ」


「どうしました、大丈夫ですか?」


 ……いつぶりだろうか、この感覚。


 幼少のころに何度と味わい、そのたびに自身を強く叱責した。からかわれ、そのたび自身を戒めた。いつからか上手く出せなくなってしまった、そんな感覚。込み上げ震え、視界がぼやけて揺れて、伝ってゆく。


 この時にしてようやく、俺はうまく、泣くことが出来た。




  *         *          *



 

「夢、その本流を見にいきましょうか」


「え、えぇ?」


 カウンターに置かれたグラスの汗が伝う。突然の申し出に困惑していた。


 俺は先日彼女に告げた夢に、どうしようもなく溢れる諦観と絶望を話した。すると彼女は首元のネックレスに手をかけ、先ほどの迷言を口から放った。


 発言の意図がわからない。夢の本流、それを見にいく。どうにもさっぱりわからない。何をどうして見にいくというのだろう。しかし、彼女の発言が虚偽でないこと、むしろ不思議と腑に落ちるような安心を授けてくれるだろうことが分かる。あまりに変化してしまう恐怖すら持ってしまう。


 逡巡、しかし解は出ている。


「……ツムギさんの言ってることがよく分かりません――」


 けれど、


「けれど、それで巣くうモヤが晴れるなら……お願いします」


 そう言うと彼女は優しく微笑む。一瞬、何か妖しい輝きを瞳の水晶に見せたが、こちらが瞬く間に消え失せてしまった。自身の中にあった微小の疑問も立ち消え、彼女の指す赤玉にゆっくりと、手を伸ばす。


 赤に触れる、唾を飲み込む。



 

 ごくり。音の鳴る間に俺の眼前から、光という光が失われ、俺は完全なる暗闇に一人座っていた。

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