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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第4章 〜夢死・終の作家と望みの喫茶店〜
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机上の世界



 ……喫茶店より数日。あの日は寝て覚めて、喫茶店での出来事が夢だったのではないか、そもそもあの喫茶店は無いものだったのではないかと思ったがそうではなかった。メモ帳にもきちんと記されていたし、なによりバイト帰りに付近を通ってみれば、あの喫茶店はごく普通に存在していた。それほどビル群や街に溶け込んでいるわけでもなく、いったいどうしてこれまで見つけることが出来なかったのか、はなはだ疑問である。


店に寄ったは良いものの、しかし店内には入らなかった。入ってしまうと彼女……ツムギさんや、喫茶店のことで数日間頭が埋まってしまう。現にあの日以来、作品にはまったく手がつかず、ぼんやりする毎日であった。


 ようやく手が動き出した今日、俺は朝目覚めてから机の上、文字列の世界へとひたすら目を向けてキーボードを操っていた。特別なことではないのだが、こうしている瞬間だけはある種の優越を覚えるものである。


 なかなか定まらぬ文言に対する苦労やパチリとはまった瞬間の喜びを繰り返し、物語に必要なピースを埋めていく。過ぎてしまった作品からアイデアを拝借し、これからの作品に使うこともある。


総じて楽な作業ではない。頭の中にしか存在しないものを作品として顕現させているのだから当たり前である。しかしこの作業がなにか特別なものであると考えると、俺は楽しく、やめられないのだ。


 商業的に成功できると、なお良いのだが……。


 


 作業の疲れと緩やかな空腹が身体を包むころ、俺は大きく伸びをしてから立ち上がった。正午はとうに過ぎており、窓外に広がる木々や室外機がひっそり影を伸ばしている。


 常備しているカップラーメンに湯を注ぎ、三分を少し過ぎるころに俺は割り箸を割り、ぞぞぞと食べ始める。しばらくは無心で食べていたが、ふとここ数日気にしていた公募の一次結果が今日の正午に発表されていることを思い出した。残りの麺を急いで啜りつつ、目の前のモニター画面を執筆から検索エンジンに切り替える。


 青文字列をクリックしつつカップ内に残った汁も飲み干す。つらつらと続く宣伝文句や広告をぐるぐると飛ばし、目的のページに飛ぶ。ページ上部に大きく強調された文言は、たちまち胸を躍らせる。


 さまざまな名前と作品名が並び、賞の規模を思い知らされる。一次選考を通過することは、一般的に考えればそこまで難しいことではないように感じる。しかしオリンピックやファイナルグランプリにも予選があり、それらを通過した、選ばれた者しか注目されないことと同じように、一次選考の通過は容易でなく、また注目もされないことなのである。


 わなわなと震える手でマウスを操作し、カラカラとマウスローラーを回し、選考結果を見ていく。まだ、まだ、まだ……手汗を一度拭き、再度ローラーを転がしていく。まだ、まだ、まだ……あっ。


「ふーっ……あったぁ」


 背もたれに沈み込み、内圧から解放された四肢を大きく伸ばし、大きくため息をつく。それからゆっくり上体を起こし、モニターをまじまじと見つめて間違いでないことを再度確認する。目の前のペンネームと作品名は間違いなく、俺のものである。


 押し寄せた興奮は、しばらくは安堵とその先を夢見させるものであったが、やがてその喜びは、その先に待つ二次選考への不安となった。一次は通る。しかし二次選考、そしてその先へはなかなか通らない。これが単純に実力や技量の問題であれば良いのだが、運もある。


 運。それは手を伸ばしても俺が唯一得られないものである。


 くじ引きではいつも悪い結果を生み、ライブの類では抽選をことごとくはずし、競馬や競艇で押している彼らは終ぞ枠番を外し続けた。これらの先に残ったものは、運に対する嘲笑とふつふつ煮えたぎる黒いマグマのみである。


 一次選考ですら運次第のものもある。作品と審査員の馬が合わなければならないが、案外彼らはきまぐれであったり、不自然な挙動をみせたりする。世の中は良くも悪くも運なしでは回らないのだ。


 冷めた思考と熱を感じ取るように俺はブラウザを閉じ、執筆用サイトを立ち上げ、先ほどと同様に書き始める。運がなければ、書き進めるしかないのだ。


 数打ちゃ当たる、よく言ったものだ。当たるまで書けば良いのだから。それが運なし星の下に生まれた俺に唯一できる、世界への抗い方である。


 しかしどうだろう、俺は書き続けられるだろうか。断言はできない。悲しいかな、いつ折れるとも分からないのだ。




  *         *          *




 紅葉はよく映える。しかし夜になると一変、闇の中にぼんやり浮かぶ赤紅の姿は奇妙に映る。街路樹が街灯の光を受けて暗がりの色彩を放つ時、俺はどうしようもなく不安になる。コンビニバイトが終わるころ、それが一番強く、波打って俺へと押し寄せる。


 人々が行き交う道に木々は等間隔で並び、その下に落ちた、役目を終えた赤は日々移り変わる天気に汚され、焦げ茶色に染まっていく。その上を、雑居ビルや下手な文句の書かれた看板、目の持つ怪しい光がきびきびと移る。唯一、月のみが一様に照らすばかりである。


 秋月の下を自転車で駆ける。不思議と疲労感はないが、帰宅後にどっと押し寄せるだろうことは分かりきっているので、憂鬱である。いっそ疲労を感じることのない世界に生まれたかったが、それはそれでなんだか不誠実な世界になりそうだと考えると、やはり世界は上手くできているのだと思う。


 帰宅途中、交差点の赤信号にかかる。しばらく変わる気配のない信号機をぼんやり眺めていると、一点街中ではあまり見ない暖色に包まれた一角が目に止まる。あの喫茶店である。


 一度の来店以来、しばらく足を運んでいない。何がそうさせたのかはわからないが、コンビニバイトや執筆によって時間を埋められていたことが理由の一つであることは確かだ。そのせいか今日見るまですっかり忘れていた。しかしもう一つ、彼女の存在である。


あの店主、黒野ツムギさんである。彼女を見るとどうも筆が止まる。ほんの少しあの日を思い出しただけでも数時間はほうけていた。ずっと、頭に濃い霧がかかってしまうのである。


 交差点が青に染まる。行き交う通行人のそばで俺は自転車を持ったまま、暖色の喫茶店を見つめ立ち止まっていた。作品、賞、疲労……喫茶店、ツムギさん。明日を簡単に迎えさせてくれるベッドやアパートの屋根を想い、しかしそれらに対し脳裏で謝罪し、やがて歩き出す。点滅しだした青の人型マークを皮切りに小走りをする。


 横断歩道を渡りきった先に喫茶店。道ゆく者どもは目もくれず去ってゆく。俺は自転車を、小さな『open』表示の看板のそばに止め、喫茶店の扉に手をかけた。その色はふやけた紅葉によく似ていた。

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