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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第4章 〜夢死・終の作家と望みの喫茶店〜
32/42

男の白昼夢

 俺はいったいどこへ向かっているのか。


 不吉な塊、というわけではない。かといって幸福の種、というわけでもない。ただ俺は、他人がだんだん捨てていくものをずっと抱えていて手放せなくなっている。夢……といえば良いだろうか?いや、そこまで立派なものではないのかもしれない。


 書きあぐねて紡ぎあぐねて、それでもと言い続けて辿り着いた先がこの暗闇。その真っ暗な道に街灯の一つや二つがあっても良いだろうと思ってしまうのが、果たして悪と言えるだろうか。


 激情が発露される。俺はその境界線を危うく、抜き足差し足忍び足でゆっくり歩いている。













  ―第4章 ~夢死・終の作家と望みの喫茶店~ ―







  *         *          *






 無一文の臭いが蔓延る四畳半に、カタカタとPCのキーボードを操る音が虚しく響く。何百文字かを記し、手元に置いている水をグッと飲んで再び画面を食い入るように見る。


連なった文字たちは無垢なまでに己の意味を成し、時折訪れる空白や句読点までも意味を成していると思うと、我ながら感心してしまう。


 デスク上、乱雑に置かれた資料や本たちを漁りそれらを元に物語を書いていく。部屋の中は孤独に包まれ冷たくも感じるが、このたった一畳ほどのスペースにはある種の温もりが満ちている。


 しかしその温もりも俺の営みも、所詮は金の上で成り立っているにすぎない。いくら物語を書いて少ない人々の灯火になろうと、俺自身をその営みによって肯定しようとも、結局は金が無ければ維持できない。


 お金が全てじゃない、そんなことは分かっている。しかし綺麗事でまわるほど世界は優しくないのだ。どれだけ技巧があろうと、特異な才能を持とうと、お金がなければどうしようもない。


 流行というのもまた酷だ。昨今の活字離れも、劇的で細部にばかり目を向けることも、サブカル中毒の読者のために向ける意味のない劇薬も、やはりどうしようもないものだ。


 当然そんな恨みつらみを言ったところで世界が変わるわけではない。だからなるべくその流行を削ぐことなく自身の形にし、お金もなるべく損なわぬよう注意を払っている。


 自身でも、こんな考えを捨ておいて好きに書くことができれば……とも思うわけである。しかし沸々とわき上がる、黒と呼ぶべきか白と呼ぶべきか分からぬ自己顕示欲がそうはさせてくれない。たくさんの目に触れ、たくさんの人の声を聞き、たくさんの媒体で取り上げられたい。そんな思いがどこまでも執拗に、影の如く自身を追い続けるのだ。



 執筆を止め、時計を見れば午前の十時前。俺は慌てて席を立ち、壁掛けハンガーに掛かった薄い赤色上着を羽織って早足で玄関へと向かう。バタバタと階段を降りて、階段下に置かれた自転車の鍵を捻り、ペダルを漕ぎ出す。この数年間で最もおこない、その上で最も億劫に感じる瞬間である。


 サドルにまたがりペダルを漕ぐ。荷物は籠の中に入れており、少しの段差で宙に浮いてしまうため、乱暴な運転は出来ない。そんなことを考えつつも、やはり衝動に任せて強くペダルを漕ぎ、ガラガラという音が徐々に早くなり風を感じられるようになる。


この細い道で人々や電柱、車にぶつかることなく風を感じられるこの瞬間が、俺は好きだ。耳元に届く空気圧も、目には見えない流線形も。どこか遠くから来た異国の大気を俺も受けることができると思うと、想いを馳せずにはいられない。


 色田市は好きだ。海も山も、さまざまな設備も整った良き街だ。しかし俺はどうも、別の場所に行ってしまいたいらしい。否、消えてしまいたいのかもしれない。



 バイト先に着くと、目につくのは見慣れた色や形。大手チェーン店のロゴと色合いが日中でも灯るこの店には、俺の明日や一週間後が掛かっていると言えなくもない。俺にとっての灯火ではないが。


 自転車を止めて店内に入ると、数人の客をボーッと眺めている鈴木(すずき)がいた。レジカウンターで肘を付いている。こちらに視線をよこし、いやらしい笑みを浮かべて声をかけてくる。



「おつかれっす~」


「おつかれさま。店長、奥?」


「そうっすよ」



 あまり意味のない会話をしてバックヤードに向かう。菓子やカップラーメンの製品臭が漂う空間で、店長はモニター数台の前でうんとかすんとか言いながら、店専用のタブレットを見つめて座っていた。「おつかれさまです」と背後から言うと、片手を上げて無言で返事をしてきた。


 緑の制服袖に腕を通し、ジッパーを上げて成り切る。そう、成り切る。決められたものを身につけ、決められた規則の上で身だしなみを整える。決められた文句を続けて、決められた時間働き、決められた給与をもらう。


 俺が捨て切れず、仕方なくやっているものだ。


 バックヤードを出ればコンビニ店員という皮をかぶる。同時に決まり文句の「いらっしゃいませ」を店内に響くよう声を張り、変わらず肘をついていた鈴木の横へと行く。特に話すこともないが、それ以外するべき仕事もないのでそうした。


 会話もなく、俺はただ突っ立ったまま店内を見渡す。壁掛け時計は短針と長針が十一をさしており、ここから七時間拘束されるとなると気が重い。こうしているうちにも、大作を仕上げて賞を掻っ攫っていく者がいるかもしれない、自身の手がけている作品の熱が冷めてしまうかもしれない。そう考えると手が震え、居ても立っても居られなくなってしまう。


 しかし今は――と思う。


 今は必要な、生きていくための日銭を稼がねばならない。裾を引っ張りグッとこの無意味な喧騒を耐えなければならない。


 木の葉の色づく季節が近い。店内では変わらず、無意味な空調設備がウンウンと唸っていた。

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