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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第3章 〜恋情・踊る乙女と芽吹の喫茶店〜
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私は向く

「ファンタジー?」



 私が反復するようそう呟くと、先ほどまで表面化していなかったのだろう、ツムギさんの妖しさが見えないはずのオーラとなって私の視界に顕現する。それは恐ろしく純粋でいて、酷く優しいものだった。


 しかし瞬き一回のうちにそれは消え去り、また元のツムギさんに戻ってしまう。少しの安堵と残念さが入り混じって、それを言葉にしてはいけないと思い、唾を飲み込む。



「そう、ファンタジーです。これに手を」



 言いながらネックレスの先端、赤石を差し出すツムギさん。この行為に意味があるのかは分からない。しかし下手なオカルトよりも異常性を持つ赤石の神秘とツムギさんが告げるのだ。私の胸の内に入り込んで囁くのだ。信じろ、と。


 

 私は頷きもせず、ただ交互にツムギさんと赤石を見ながら、恐る恐るゆっくりと、右手を伸ばす。中指先と赤石の距離が近づくたびに心臓が跳ねる。先ほどまであんなに心を支配していた無常感はだんだん薄れ、確かな予感の熱と好奇心が奥底から湧き出してくる。


 そして、ついに触れる。


 磨かれた艶やかさに触れたとき、指先に刺激が走る。赤石の持つ冷たさとツムギさんの温もりがないまぜになって、私の指先を通じて熱が伝播する。私は安堵の息を漏らし、上を向いて目を軽く瞑った。


 次の瞬間、指先を握られた。


 私は本能的危機を察知し、目をカッと開き右手を引き抜こうとした。しかしそんな筋肉の緊張は一瞬にして終わり、後に残ったのは驚愕と自身の脳や目に対する疑念であった。


 私の前にいたのは、ワタシであった。


 私の右手はワタシの左手に掴まれており、私とは恐らく真逆の、満足げとも感嘆とも捉えられる恍惚とした表情でにっこり笑みを浮かべている。瞬きひとつせず、左手から伝わる熱はなく、髪の毛一本いっぽんがその場に固定されているよう錯覚するほど動いていない。


 言葉を発そうとも上手く喉が鳴らない。鳴らすための空気がその場にも、私の身体にも無いようだった。


 空間はやけに白んでいて、床は無く、天井も奥行きも無いようだ。三次元とも二次元とも言えない、ただ私も目の前のワタシも一つの点であるような感覚だ。私たちは、異なる点とも同じ点とも言えるようだ。



「ここで言葉はいらないの」



 目の前のワタシが言う。いや、正確に言えば結ばれた手からなにか信号が送られている。実際、目の前のワタシは口を一寸とも動かさなかった。しかし表情には変化があった。先ほどよりも幾分か穏やかな笑みをたたえている。



「いったい、ここはなに」



 私は言う。結ばれた手を通してワタシに言う。それが伝わったのか、ワタシはゆっくりと頷き、変わらぬ笑みをもって言う。



「ここはなんでもない世界。誰かのための場所でもなければ、誰もが通る場所でもある。もちろん無意識のうちにね」


「無意識のうちに?」


「そう、無意識のうちに」



 そう言うとワタシは少し遠くを見るような目で、変わらず私を捉えている。



「人間は進化の過程でこの空間を作り出した。それが他の生物と全く異なることなの、みな知らぬうちに通ってしまうけれど」


「なら私は、なんで」


「あなただけは知覚を許されたの。そうした運命的な媒体が、あなたにはあったはず」



 あの赤石のことだろうか。なぜだか瞬時に思い当たる。その無意識の思考がどうやらワタシにも伝わったようで、ワタシは頷き微笑む。



「そう、正解。見えない道がワタシたちを繋いでいるから、言葉にせずともワタシにも分かる。でもこの会話も、その赤石の奇跡も、知覚した無意識の道も、私は瞬時に忘れる。無意識下には刻まれるけどね」


「忘れる」


「忘れることが大事なの。知覚し忘れる。その過程が無くては、はたまた結果が無くては私にとって幻となってしまうから」


「変な話ね」


「特におかしな点はないよ。みなそういうふうに通過し、気づかず生きている。ある人が変わったように見えるのも、何かを始めているように見えるのも……はたまたなにも変わっていないように見えるのも、全てこの場所を通ったからなの、無意識のうちにね」


「無意識のうちに」



 私がそう言うと、ワタシは頷く。不思議な感覚だ。私はワタシが頷く前に頷くだろうことが分かっていた。そこここに積もるかなしみも怒りも、無碍にされた仮面も破れてしまったコートも、私たちは共有しているのだとハッキリ分かる。


 しかし結ばれているからこそ分かる。この一瞬の沈黙が破られたのち、私はなにかを知り、刻まれ、そして忘れると。そう知覚した一瞬間後、ワタシは私を正しく見据えて言う。



「この場所は誰のものでもなければ、誰ものための場所でもある。それは私の世界でも変わらない」


「同じ?」


「そう見えないかもしれないけれど、正しくはそうなの。必要なものも同じ、泳ぐことも同じ、空を飛ぶことも夢想することも木の葉に描くのも同じ……筋道があるの。その根幹がここ。私に不可欠で刻む義務が、ワタシにはある」


「ワタシにあって、私にはない?」


「ただ刻まれていない」



 一度だけ言うわ――と言って、ワタシは変わる。その姿は、ようやく本性を現せると言わんばかりに勢いよく膨れ上がり、音も声もなく、やがては収縮していき、一つの球となる。依然として私の手はその球と繋がれており、変わらぬ声や言葉が頭蓋に響く。



「私は、私なの。世界は変わらず終わっていく。映し映され、やがて風や音となって形を終える。だから……()()()は願える。そうすることの出来るものを、あなたはもう持ってる」



 染み渡るのではない。その一滴の言葉はどこまでも一線、一個体として沈み込み、やがて魂の中心に深くふかく、突き刺さって溶けていく。なぜだか私はそう強く願い、知覚し、両断されたかのような激烈な痛みをともなって手を離す。


 結びは解かれた。球はやがてかすれていき、空間に溶け消えていく。



 空間はどこまでも広がっている。私が瞬きをするとき、それだけは確かに見えた。その感覚が確かに思えたのだ。

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