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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第3章 〜恋情・踊る乙女と芽吹の喫茶店〜
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走り出す

 コソコソと陰に隠れてなにをやっているのだろう。彼女という地位にある、肩書きを持つのなら、そんなことをせずズケズケとトウマ先輩やあの正体不明の彼女に、いつもの調子でものを言えば良いはず……。


 しかし私は喧騒の中、そのただ中の二人の会話を一語一句聞き漏らさんようにと、聴覚を鋭敏にさせるつもりで耳を立てる。はらり垂れたひと束の髪を、耳裏に上げる。



「んで、例の子は……あれ、なんて子だっけ?」


「ん?ああ、ハルカ?」


「そうハルカ?……ハハっ、あの子も馬鹿よねぇ〜まさかトウマに釣り合ってるとでも思ってるんじゃない?」


「ハハハ!だったらとんだ馬鹿だね。なんであんなガキ、本気で好きになるわけないわ〜」



 彼女の横でスマホをポチポチいじるトウマ先輩。嫌な予感がした。世界からそうしたお告げでももらったように、心臓がバクバクと鳴る。空気がゼリーのようで、うまく喉を通っていかない。


 やがて自身のポケットが震える。それが自身の震えなのか、あるいは不安の種と呼べる機械的振動であったかは、今の自分には分からなかった。


『今日もごめんね!』


 たった一行。純粋に信じてしまった自身を呪う釘が、たった今、素の部分に刺さる。震えて、怪しく光って、弾けて溶けていく。脳の処理が追いつかぬほど、何度も何度も繰り返し。



「おい、あれって……」



 その声に思わずビクつく。ゆっくり振り返ればそこには、ビニール袋を手首に下げた赤松アキラが立っていた。視線の先には去りゆく二人。喧騒と繁華街の薄暗がりに消えてゆく。


 私はどういう顔をしていただろうか。仮面を被っていたかも知れない。それとも素の私であったかも知れない。けれど二つとも、大きくひび割れていただろうに違いない。それだけは確かだった。


 だから私は、走り出した。


 時折、人にぶつかりながら繁華街を抜ける。時折、闇にぶつかりながら駅付近を抜ける。気づけば、喫茶店のドアにぶつかっていた。ガチャンという、これまた無機質で硬い音を奏でられてようやく、私はなぜここに来たのだろうという思考に走る。


 しかしその問いの答えに辿り着くより早く、喫茶店の扉がゆっくりと開いた。私は力なく扉の可動域から離れ、扉を開いた本人と目を合わせる。ツムギさんである。


 薄ぼんやりとした照明がまるで後光の如く彼女の姿を照らし出す。少しばかりびっくりしている様子だったが、すぐにいつもの顔に戻り、玲瓏な声音で優しく言う。



「ハルカさん、どうぞ」


「……うんっ」



 そう短く頷き、ゆっくり敷居を跨ぐ。扉を越える。温かい光とスモークな香りに包まれる。……うんだなんて、私はきっと成長しなかったんだろうな。



 カウンター席につき、熱を持ってしまった目を冷ますまで、一言も話さずただボーッと座っていた。落ち着く身体に反してこころ奥底に渦巻く濁流をどうすれば良いのか、私は徐々に思案していく。しかしどうにも冷静になりきれていないようで、果たしていま仮面を被っているのか素の状態なのか、自身でも区別がついていなかった。


 しばらく夢心地にも似た、呆けたような状態で出された紅茶を眺めていると、カウンター席にツムギさんが座った。どうにもこちらを見ているようで、それがなんだか妙に気になってしまう。いや、ありがたいと言うべきか。


 沈黙をもってようやくさざなみ程度の揺らぎとなり、思考にいくつかの問題のみが岩礁となって残る。それらをどうしてしまうが良いかは、今の私には分からない。


 きっと話すべきではない。これも私の社会性のなさが裏目に出た結果なのだと思う。だからこそ、これをどう独力で乗り越えるのか――と半目で紅茶を啜っていると、不意にツムギさんが口を開いた。



「今日は……いえ、先ほどはなにが?」


「……えっと」



 どう言葉にすれば良いか、果たして言葉にして良いか、ということを考えカウンターテーブルのシワを眺めていると、忘れていたあるものを思い出し、勢いよく立ち上がってしまう。椅子がガラガラと床を擦り、耳に届く嫌な音に気味悪さを感じてしまう。



「わたし、赤松アキラとソフトクリーム置いて来ちゃった……!」


「あら」


「はぁ……」



 椅子を直し、再び座る。ダメ続きに自身を責めてしまう。どうにもならないことを思い悩んでしまう。それに素の自分が反応して、さらに嫌気がさしてしまう。回ってまわって堂々巡り、負のスパイラルだ。どう抜け出すのか分からないまま飛び込んでしまった。



「どうも、今日のようですね」


「え……?」


「あぁ、いえ、お気になさらず。それよりハルカさんもう一度お聞きします。なにがあったのですか」


「えっと……」



 ……ポツポツと、起こったことを一つひとつ話し出す。ついさっきまで話すべきではないだろうと考えていた自分がまたも偽りであることに気づき、話しながら言葉にならぬ刺激で自身を刺す。しかし話すごとに剥がれてダストシュートされていく仮面やコートに罪悪感を覚えつつ、身軽さを感じていた。


 フーッと一息ついて紅茶を啜る。それが最後のひと啜り分だったようで、てらてら光るカップの底の白がハッキリと見えている。ツムギさんは終始、私を見てただ黙って頷くばかりであった。必要なときに必要な振り幅だけ頷く。私はつくづく、この人には敵わないだろうと思う。



「……お話、ありがとうございます。紅茶のほう、おかわりいかがですか」


「お願い、します」


「はい」



 そう言って立ち上がりカウンター向こうで新たな紅茶の準備をする。


 新しいが姿や色の同じティーカップが眼前に置かれる。中には先ほど失ったかに見えた紅茶の栗色。しかし先ほどとは全く別のものに見えた。揺らぐ水面に映る眼差しすら、違って見える。


 確かな熱を新たに自身へ注ぐ。ほんのり甘味と少しの渋味が舌を動かし、別の場所に注力していた液体が唾液腺へと集中する。そして思わず言葉となる。



「おいしい……」



 そう呟くと、横に戻ってきていたツムギさんが微笑みわずかに頭を下げる。同時に首元にかかっていたネックレスを外す。シルバーの装飾に、先端は赤石。輝きは中途半端な気がする。しかし奥に秘めているだろう神聖さは、熟練された目を持たずとも瞳に結ばれる。


 胸元に目がいってしまっていたことに若干後ろめたさを感じつつ、私はツムギさんの目に視線をずらす。するとなにかタイミングが合ったのだろう。ツムギさんは先ほどとは違う、ともすれば妖しいとすらいえる蠱惑的な色を持って微笑み、言う。



「それではハルカさん。少しばかりファンタジーにいきましょう」

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