夏暮れの喫茶店
カランと小気味いい音が鳴り、扉は少し軋んでゆっくり閉まっていく。いつものように可愛らしさを意識しつつ、店内を舐めるように見る。
そこここに大小の観葉植物、テーブル席が数セット。一つには物腰柔らかそうな老婦がゆったりと座っている。一人用の席を通り過ぎ、カウンターテーブルには赤松アキラと……誰だあの娘?いもうと?
彼らの向かいにはグラスを拭く、店主と思われる美女。思わず私はギョッとしてしまう。
「いらっしゃいませ」
「ど、どうも……」
「あれ、青屋?」
「なにお兄ちゃん、知り合い?」
店主はなんでもないかのように挨拶し、私は少しおどおどしながら、しかし声色を崩すことなく挨拶を返す。こちらに気づいた赤松アキラは意外そうな顔をしてこちらを見ており、その横にいる子は首を傾げてポツリと問う。みな一様に反応する中、老婦だけは言葉を発することなく鎮座していた。
表層では迷う仕草を見せつつ、私は迷いなく一人用のテーブル席につく。そこはちょうど窓のそばであり、風や人々の歩みによって生じる繊細なガラスの揺れを心地良く聴くことの出来る場所だった。
「こちらどうぞ」
「ありがとうございます」
黒いエプロンをかけた店主がお冷を持ってくる。それに私はお礼を言いつつ、彼女の容姿や動作に目を惹かれていた。
絶えず動き続ける時間とは裏腹に、いつどの時間でも、どの角度でもその魅力を失わずにいる、ということは至難の業だ。ともすればそれは業と呼べるものではなく、まさに天賦の才と呼ぶのが正しいだろう。揺れる黒のポニーテールも、たたえた微笑に応えるそれぞれの顔パーツも、スッと伸びた背や脚も……そのどれもが美しく、まるで異界から来た一つの芸術と言って差し支えないものだ。
加えて声色も完璧と呼ぶほかなかった。まさかこんなところで理想形と出会うなんて……つい口に出てしまいそうなほど、私はそう強く感じた。しかし裏腹にある種の納得も覚えた。
彼女は理想的と言えるだろう。しかしこの表層社会ではつま弾きにあうだろう。私のようなキュートさを持ってしても僻みや嫉みの対象とならない、なんてことはないのだ。恐らく彼女の場合、数倍の被害は予想できる。
だからこそ、このような奥まったアンティークの、あまり人気のない喫茶店にいるのだ。きっとそれは自身を無闇に傷つけないための、一つの手段なのだ。……たとえこれが答えでなくとも、おおよそ正しいと言える。
そんなことを考えつつ、勝手な分析と自己防衛をしていると、「なあ」とカウンター席の方から声がした。一度は聞こえていないフリをして無視したが、二、三度呼びかけられたので応じることにした。
「なあ」
「ん、どうしたの~アキラくん?」
自分でも吐き気のするぐらい甘ったるい声で応じる。すると、いま目を合わせている野球バカはあからさまに眉を顰めた。横に座っている妹らしき女も、小さな声で「うわぁ……」と漏らしている。おい漏れてるぞクソアマ。……それにしても、大抵の男子であれば少しはドキッとするものだと思うのだが。
「……お前それ、学校外でもやるの?疲れない?」
……ピキッ
「俺の友達は可愛い~って言ってたけど、俺は疲れそうだな~って思うんだよなぁ。別に学校外でも無理する必要、無くないか?」
「ちょッ、お兄ちゃん?それあんまり面と向かって言うようなことじゃ……」
……笑顔だぞ、ハルカ。ここも変わらず社会だ。
「いやでも……ここで作る必要ないだろ。俺だってそんなに繋がりあるわけじゃないし、自然体の方が楽だろ?」
「はぁ~……お兄ちゃん、それ思ってても口にしないんじゃないかな……?」
……ピキッ!
「……おい赤松アキラ、いや野球バカぁ!!あんまり舐めた口聞いてると――あっ」
「あっ」
「あっ、本性出た」
……口が滑った。しかし確かに、赤松アキラの言うように繕う必要はないのかもしれない。ここには同級生の女子がいるわけでもなければ、いるのは唐変木な野球バカとその妹、老婦と店主だけだ。
一度大きなため息をつき、睨みつけるようにその兄妹に目を向ける。
「なに?赤松アキラ。疲れるとか余計なお世話なんだけど」
「露骨に変わるなぁ……さっきはごめんな、ぶつかったやつ」
「はぁ~、別に。あんなんぶつかったうちに入らないし」
「え、でも青屋、結構甲高い声で『きゃっ』って言ってたから……」
イライラするコイツぅ~。
「いや、アンタ私の普段がぶりっ子ってきづいてるんでしょ?あれもその一貫。じゃなきゃ舌打ちで済ませてる」
「お、おう……」
「うわぁ、思ってたより数倍刺々しい本性だぁ」
「おい、隣にいる唐変木の妹ッ!アンタも黙っとけよ。これでも上手く学校やれてんだ。言いふらしたらタダじゃおかないからね」
一変した声色に、二人は幾分か驚いたように無言で首肯する。伝われば良いんだよ、伝われば……。
「なんだか青春ね~」
「ええ。アオハルです」
背後の方から穏やかな声が聞こえる。そちらを向けば、いつのまにか店主はテーブル席にいる老婦の向かいへ移動しており、老婦は変わらずティーカップをゆったり持って微笑んでいる。
なんだか小馬鹿にされたような気がしてしまい、反射的に口が動く。
「なんです?あなたたちから見れば子どもっぽいでしょうが、そんなに幼く見えます?」
途端、自身の過ちに気がつく。まるで何にでも吠える仔犬だ。その過ちを消し去るためにこれまでやってきたと言うのに、私は、また……。
そう思い咄嗟に「あっ……ごめんなさい」と二人に言うと、老婦は少し驚きつつ、しかし微笑みながら優しい声音で返事をしてくれた。
「いいのよ、それにこちらこそごめんなさいね。盗み聞きするつもりは無かったのだけど、あれだけハッキリと話していると聞こえてしまうから……馬鹿にするつもりは無くてね、ただ羨ましいのよ」
「ええ、羨ましい限りです。若いというのは」
「ツムギさんだってお若いじゃない~!まだまだこれからよ、あなたも」
それぞれ優しく笑っている。そこに私は戸惑いながらも、大事に至らなかった安堵感を抱きながら頭を下げた。
なんだろう、この喫茶店。不思議だ……ここも社会の一部分だと言うのに、少し、落ち着く。




