乙女は笑う
私は踊る。
十数年生きて分かったことは一つ、この世界……いや、この私たちを取り巻く社会は作り物だということだ。
だからみな、いつのまにか仮面を被り、分厚いコートを羽織り、似たような靴と言葉をはいて生きている。生きていけるように育っていく。ステータスと雰囲気に寄りかかって、当たり障りのないように暮らしている。
だから私もそうした。棘を控えて丸みを帯び、フラットでいてチャーミングな私の殻を作って、様々な土を積んで固めて……社会という大きな生物の細菌にならぬよう生きてきた。
上手くやれている。
自身に釣り合う男と付き合い、手頃な会社に就職してそれなりに仕事をこなし、結婚をして子どもを産んで育てて……そうしてゆっくりと死に向かっていく。
下手な恋も、親友との激情も、世界の真理を暴こうとする愚行も……社会の前では不必要。抱く必要はない――抱くことは、いらないこと。
適切な距離を測って歩く。そうして私は上手く、やっていく。
――第3章~恋情・踊る乙女と芽吹の喫茶店~――
* * *
「んでちょ~ヤバいの!テミョンがさ――」
「わかるっ!まじ可愛いよね~。良いなぁうちの学校にも居れば良いのに~」
韓国アイドルグループの一人にキャッキャする二人に、私は同調する。そうしておけばたとえテギュンだかタミョンだか言うアイドルを知らなくても、共感を誘えてしまうことを私は知っている。
「だよね~。でも実際会ったらちょー緊張しそう!」
「うわっ確かに!遠くから見てるだけでキュン死しそう……!」
「でもハルカ、イケメンな彼氏いるじゃん~。トウマ先輩だっけ、バスケ部の」
「……まあね~」
「いーな~!アタシも彼氏ほし~」
「ま、そのうちできるっしょ~」
私はただ可愛らしく微笑む。目の前でキャッキャする一ノ瀬と雨宮は、次の話題に移る。
……くだらない。放課後なのだからすぐに帰れば良いのに。先ほど話題にチラッと出てきた私の彼氏、トウマ先輩を待つために座って時間を潰していたらこれだ。スマホのメッセージアプリには彼からの返事は無いし、二人はいつまでも座ったままこちらに話題を振ってくる。私はただ繕って相槌を打つのみ。
そもそもそんな夢を見たところでこんな場所に来るわけがないだろう。ありもしない幻想に妄言を吐き散らかすのはいい加減にしてほしい。聞いているこっちまで馬鹿になる。……しかし、それが現実でもある。来るはずもないという現実と、それを理解した上で夢の話を友達と何気なく話すという現実。子どもから大人まで、誰もが通じる二層系だ。建前と本音ってやつ。
学校、そして社会とは建前が大半を占めている。私はそれをよく理解している。だからこうして、くだらない話や友達との関係を可愛らしく処理しているのだ。
ふと手元に置いたスマホが震える。通知を見ればトウマ先輩からだった。
『ごめん、今日は一緒に帰れない!』
……思わずため息が出る。最近はずっとこんな調子だ。付き合い始めた先月はこんなことなかったのに……しかし、先輩はバスケットボール部の主力に数えられる人だ。夏の大会に向けて練習に励んでいるのだろう。仕方がない。
私は立ち上がり、二人の友達に別れを告げて昇降口へと向かった。
校舎が大きく黒い影で夜を作っていく。辺りの街灯が灯り始め、吹く風も昼間より幾分か冷たいものになっている。そんな中でも私はいつも通り、社会的に可愛いとされる表情と姿勢と歩き方で校門を出ようとした……その時――
「きゃっ!」
「うわ……ごめん青屋!」
後ろからぶつかられ、少しふらっとしてしまう。ぶつかった相手は私の苗字を言って謝り、私より先に校門を出て小走りで去っていった……。
「……あの野球バカが」
つい出た言葉にハッとし、思わず辺りを見回す。……良かった、他に誰もいない。危うく私のキュートなイメージが覆るところだった。
それにしても……先ほど小走りで去っていったのは、赤松アキラだ。小学校から高校まで一緒だが、特に親しいわけではない。というより、あの野球バカと関わっても特にメリットがないと感じたから、関わろうとしなかったと言うのが正しい。
少し前まで怪我のせいで野球を辞めた、という噂が流れてきていたはず……噂がデマで無ければ、あれだけ思い入れのあった野球を辞めたというのだから表情に曇りがないわけが無い。アイツにいったい、なにが……?
……暇だし、ちょっと追いかけてみようか。
あくまで表情は崩さず、切り揃えたチャーミングな桃茶のボブカットを乱すことなく、遠くに見える赤松アキラの背中を見失うことがないよう注意しながら。私は小動物のようにちょこちょこと走り出した。
だんだんとオレンジに染まる西空が時折家々の屋根にかかる。赤松アキラは角を曲がり、大通りに出て真っ直ぐ、人混みを避けながら走っていく。そのペースはなかなか早く、私はいつのまにか小走りを止め、乱れる髪も放置して、息も絶え絶えになりながら走っていた。
最悪……!そもそもなんで私、あんな野球バカの背中追っかけてるんだろ!?全然関係ないし、ああ、今ごろ帰路を歩いてのんびり今日の振り返りをしてただろうに……!もう二度と人なんか追いかけないッ!
……しばらく走っていると、赤松アキラはある喫茶店の前で止まり、扉を押して店内へ入っていった。
私はゆっくりと歩き、今もバクバク鳴る心臓を落ち着けながら、スカートやソックスを整え、なんとか表情を作っていた。そしてアイツが入っていった喫茶店の前で一度、立ち止まる。
「……アウローラ?」
こんな喫茶店……駅からこの距離にあったっけ?ある程度おしゃれなカフェや店をサーチしている私が知らないということは、相当な隠れ喫茶店なのだろう。
しかしなぜ赤松アキラがこんな、古びた様相でノスタルジックさを醸し出す喫茶店を知っているのか?……少しばかりイラッとした。
息も落ち着き出した頃。私は扉に手をかける。なぜ自分がここまで興味を持ったのか、それを確かめるために私は扉を押して、未知の空間へ入っていった。




