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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第2章 〜生死・逃れえぬ老婦と喫茶店〜
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揺らぎは確かに




  *         *          *




「あれから調子はどうですか?」


「もうすっかり元気よ。それにしても不思議だわ、あの日からなにか途切れてしまったものがパッと蘇ったみたいね。……それにしても、その石はいったいどんな魔法があるのかしら」



 早朝の奇跡より数日が経った。


 テーブル席につく私の向かいにはツムギさんがおり、カウンターテーブルには賑やかに談笑をするあの兄妹がいる。店内の照明はぼんやりと私たちを包み、すでに陽が落ちた街中とは対照的に温かい。


 紅茶を啜りながらツムギさんをちらと見れば、彼女は先ほどの問いに答えることなく静かに、赤いインカローズのネックレスを指先でつまみ転がしている。



「あれはなんだったのかしら。今ではよく憶えていないのだけれど、不思議に偶然ではないように思うの」



 少しばかり微笑みながら私は言う。あの日からずっと考えてきたことを言っておいた方が良いと思った。この喫茶店に通うだろうことが分かりきっていたし、ツムギさんとももっと距離を近づけてみたいと思うからこそ、感謝を向けるべき相手に下手な疑念や誤魔化しを残しておくのは失礼だとも思った。


 しかしそれ以上に、あの不可思議な出来事に心から安堵と納得を覚えたことが不思議でならなかったのだ。非現実的であると分かっていながら、虚像的だと思いながら、あれらの言葉や姿に自身の持ち合わせていたはずの灯火を再燃させられたことが……望む望まないの前に不可解でならなかったのだ。


 様子を伺うように向かいに目を流す。変わらずツムギさんは口を開かないが、なにやら思案顔でネックレスを見つめている。瞳に映るのは赤だが、その奥に潜むのはもっと別の色に、私からは見えてしまう。


 長い沈黙が私とツムギさんの間に流れる。おおよそこの間に別世界が生まれたような、奇妙な感覚。外では兄妹が変わらず談笑し、二人は同じ料理を口に運んでいる。店外を歩く人々の足音は聞こえず、揺れる空気に溶けていく。


 突然、ツムギさんは小さく息を吐き、私が向けていた視線にスッと目を交えた。耳からはらり落ちる黒い曲線。それは重力に負けて直線になる。彼女の顔は恐ろしく綺麗でいて、まるで作り物のように無機質であった。冷ややかではなく、元から体温など持っていないもののように感じられた。


 私は思わずギョッとしたが、彼女の無機質は一瞬にしてどこかへ消えていき、同時に私とツムギさんの間にあった世界は瓦解し、変わらぬ世界の中へ消えていった。次にツムギさんは微笑む。それはいつもと変わらぬ、温かく優しい、調和の取れたものだった。



「このネックレス……インカローズには不思議な力があります」


「……はい」


「トモエさん、あなたには申し訳ないのですが、その力の原理をお教えするわけにはいかないのです」



 先ほどの氷像より恐ろしいツムギさんを見てしまった後に、もはやそんな石の魔法について知ろうとは微塵も思わなかったが、私は無言で頷き、若干震えながら紅茶を啜る。



「もちろんあなただけではありませんよ。皆一様にお教えできないのです。種明かしされたマジックと同じですから。……ですからその疑問は胸のうちに。もしくは、私が無くしてしまう、か」


「い、いえ……全然良いのよ!ただ少し気になっただけだもの、ええ」


「そうですか、ふふっ」



 ツムギさんは微笑む。しかしどれだけ繕おうと、瞳の奥にしまい込まれた冷たい炎は消えない。彼女の目には赤の奥、青いあおい核が遠い恒星のように鈍く光っていた。


 なんと言葉をかければ良いか迷っていると、先ほどの不気味さなど微塵も残さぬ声色と笑みを持ってツムギさんが話し始める。



「そういえば……以前おっしゃっていたお家の件、どうなさったんですか?」



 その問いに私はつい頬が上がってしまう。そうだ、今日来たのはそのことを言うためでもあったのだ。



「実はね……私の孫娘のハルナちゃんがこっちで一緒に住んでくれることになって」


「お孫さんが」


「ええ。なんでも仕事に支障は出ないみたいでね。ハルナちゃんともきちんと話をして、来月にはこっちに来てくれるみたい、ふふっ」



 笑みが溢れる。そんな私の様子に微笑み返すツムギさん。


 ハルナちゃんは、喫茶店での出来事の翌日に突然やってきた。家に上げ話を聞けば……ということだ。私の見舞いからの帰宅途中に、娘夫婦には提案していたそうで、そこから数日空いてしまったのは、どうも気まずかったかららしい。しばらく会っていなかった私にどう接すれば良いか分からなかったのだとか。



「まさか孫で、しばらく会っていなかった娘が一緒に住んでくれるなんて……本当にありがたい話だわ」


「……良い家族をお持ちですね」


「ええ、本当に」



 紅茶を啜る。ひと息つく。ツムギさんがおかわりをするかと尋ねてくれたので、返事をしてカップを手渡す。そうしてテーブルから離れていった彼女は、カウンターテーブルにつく兄妹と二、三言交わしキッチンの方へ消えていく。


 私は今、包まれている。それが、いつ終わるとも知れない恐怖は依然として残ったままだ。しかし私はもう大丈夫なのだと思う。この先損なわれていって、自身が『無』に還るとしても……必要以上に苛まれることはないのだと思うから。



 今日の夜が来て、今年の夏が来る。それと同じように私の人生に眠るように冷めてしまう瞬間が来るのだとしても――私は今を、生きていく。

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