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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第2章 〜生死・逃れえぬ老婦と喫茶店〜
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あの日見た誓い

 靴音がやけに響く道。住宅街を抜ければその虚しい響きはかき消されたが、ひどく耳に残っていた。自動車の走行音が流れ、風が人かの音が変わってしまった街に吸われていく。


 遠くに見えていたはずの入道雲に誘われたのか、空はいまにも泣き出してしまいそうだ。先ほどまでの青さを、ボロ雑巾が吸い切ってしまったようだ。


 足取り重くも、知らぬうちに喫茶店『アウローラ』の前まで来ていた。店前の小さな看板は『open』と告げている。扉の前に立ち、一度深呼吸をして、私は扉を押した。



「いらっしゃいませ――トモエさん、もう大丈夫で?」


「ええ、おかげさまでね。本当にあの日はごめんなさいね。……カウンター席、良いかしら?」


「もちろん」



 ツムギさんはいつものように黒髪を結び、にっこりと微笑んでカウンター席を手でさした。私が席に着くと、お冷を出してくれる。ひんやりとした感覚が指先に伝う。潤うことを忘れたシワ肌に馴染むことなく、ガラスコップに伝う水滴は指を通り過ぎてゆく。


 ツムギさんは律儀に注文を促してくれたが、私は首をただ横に振り、その意思がないことを無言で伝える。カウンターテーブルを一撫でし、道中に溜め込んだ……否、あるときから積もってしまった不安を、私はこぼす。



「少し話を聞いてもらっても良いかしら」


「……ご覧の通りお客さんはいませんから、私で良ければ」



 ただならぬものを感じ取ったのか、ツムギさんはゆっくりと私の横、テーブル席に着く。



「こんなこと、言われても反応や返答に困るでしょうけど。どうにも私、夫に先立たれてから死ぬのが怖くなってしまったの。きっと一人残されてしまったのがよほど嫌だったのね。病院にいたあの子……娘やその夫からは一緒に住もうと提案はされているのだけど……あの家から離れるとなると、難しいわ。

 あの家は私と夫の全てなの。それに……それに、この喫茶店から離れるのも、なんだか苦しくて」



 口から出るのは葛藤に見せかけた、私のわがまま。そんな都合の良いことをこの世界は許してはくれない。毎日少しずつ損なわれていく生命の灯火、いつとも知れないが近づく死の影。つくづく永遠に無い自身を呪ってしまいたくなる。


 こんな身体になってまで『都合良く生きたい』と願ってしまう。そんな愚かでどうしようもない私の話を、ツムギさんは無言で、視線を逸らすことなく聞き続けている。



「一体どうすれば良いのかしらね。……いや、割り切ってしまえば簡単でしょうけど、今の私はそんなに強くは無いみたい。悲しいわね、こんな歳でわがままを言うだなんて」



 一度水を口に含み、転がすことなく飲み込む。渇きはおさまらず、もう一度同じことをする。それでも足りないので今度は唾を飲み込む。


 死に近づかなければ、本当の意味で死について考えない。


 小さく唸り、手を揉みしだいてから二の腕をさする。



「……お話、よく分かりました。トモエさんはどうやら一つ、ピースを見つけ損ねているようです」


「え、ピース……いったい、なんのこと?」



 意外な言葉に戸惑ってしまう。そも、ただ私は溜まってしまった不安を吐露したかっただけだ。自分勝手だろうが、何か答えに近づく……ピースを求めていたわけではない。いくらツムギさんと言えど、彼女にそれだけのことが出来るとは思っていなかったのだ。



「答えはもちろん、私が出すわけではないですし、これから()()いただくものをどう捉えるかはトモエさん次第です」


「見せるっていったい――」


「しかしきっと、これはトモエさんの望む未来に道標を置いてくれるでしょう。……このネックレスに手を」



 ツムギさんは首元にかかるインカローズの赤い石を指さす。彼女の目や声色からは嘘が見えない。どうにも本気だということに、私はより困惑してしまう。


 しかし、信じたい。彼女にはそう思わせる雰囲気があった。



「……じゃ、じゃあ」



 おずおずと手を伸ばす。触れるか否か、その刹那に私は神秘を感じていた。


 人差し指にうっすら感じる、柔らかい温もり。途端、光る。紅く赤く、夕陽より薄く炎より煌めいて。


 胸の高鳴りはすぐに過ぎ去り――気づけば私は映画館、スクリーンの前に座っていた。




  *         *          *




「これは、どうしてわたし……」



 のみこめない。眼前に見えるは白くそびえるスクリーン。絶えず映像が回っているのか小刻みにうごめいている。暗がりのなか目を凝らし辺りを見渡す。座席は無数あるが、そこに人はいない。広がる空間にただ一人、私だけが赤くふわりとした席についている。


 しばらく吸い込まれるようにスクリーンを見ていると、パッと映像が切り替わり、何か人物の像が浮かび上がる。その見覚えのある人物の姿に、私は思わず目を疑った。


 短髪、白頭に時代遅れの服。シワがれた鼻は頼りなくふにゃついていて、唇はいつものようにカサカサだ。恐らくカメラの前に立っているのだろう、ぶつぶつと聞き取れない言葉を呟き、咳払いをし、もう一度目線をカメラに合わせて話し始めた。



「あーあー、ちゃんと写ってる?……よし、そんなら少し言わなくちゃな」



 紡がれる言葉を逃すまいと、私は無意識のうちに前のめりになっていた。



「……あ、これは言っちゃダメなの?めんどくせぇなあ~。……はいはい、分かったよ」



 誰と話しているのだろう。私がこんなものを撮った覚えはない。しかし、今は疑問を感じることすら拒む必要があった。



「んじゃ……おーいトモエ、見てるか?まったくお前のことだから、なんや小難しいことを考えてるだろうがよ。むかし俺に言ったこと、忘れてるわけじゃねえよな?」


「……むかし?」



 縋るように答える。会話が成立しないことは百も承知だ。しかし、あたかも会話しているように彼は答える。



「そう、むかしだ。どうにも自分の言葉は忘れっぽいよなぁトモエは。……え?これも言っちゃダメなのか?めんどくせぇなぁ……まあとにかく、だ。あんまり時間もないから、一回だけ言うぞ」


「え、ええ……」



 息が浅い。周囲の音にならない音が聞こえる。口も開いたままで私は、唾を飲み込む。



()()()()()()()()!……お前はそう言った。これだけありゃまあ、賢いのに馬鹿なトモエには十分だろう」


「……それだけ、なの」



 あまりに簡単な言葉に私は戸惑いを通り越し、握った拳を震わせていた。思わず叫ぶ。



「どうして……どうして私を残していったの!?どうしてそんなことしか言えないの!?私はもう、そんなに強くないわっ……」


「ええ……そんなこと言われてもなぁ」



 叫びの余韻にむせていると、そう返答された。下に向いていた視線をバッと上げる。……なによ、会話できるんじゃない!



「誰よっ一生側にいるって言ったのッ!それなのに……それなのにっ、置いていくなんて酷いわっ!」


「ごめん、ごめんって!寿命は無理でしょうよ……」


「気合いでどうにかしてよッ!!」


「とんでもないこと言うなぁ……って、もう時間らしい。俺にはどうにもできんねぇ」


「ええっ!?」



 私は声を上げ、いつのまにか立ち上がってスクリーンに駆け寄る。しかしいくら走れどスクリーンが近づくことはない。やがて息が切れ、手足がピリピリと薄く痙攣した。伸び縮みする肺と横隔膜がこれほど邪魔に感じたことはなかった。


 夫は小さく笑い、「変わらないなぁ」とこぼす。それは私にとって、何よりも失い難かったものだった。



「しっかり生きろ」


「ふざけんなっ、バカヤローッ!!」



 私はいつぶりだろう……走って叫んで、必死に手を伸ばしていた。消えゆくスクリーン、映画館の空白をただ、衝動に身を任せていた。


 私はいつぶりだろう、涙を素直に流したのは。


 

 だんだん視界がぼやけていく。手足の感覚が薄れていく。しかしその感覚はいつか……一度だけ経験したことがあるように思う。それはきっと――

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