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アステロイドに東雲を 〜インカローズと喫茶店より〜  作者: ベアりんぐ
第2章 〜生死・逃れえぬ老婦と喫茶店〜
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天井と床

 ……夢を、見ていた。それらの景色が夢であることは即座に理解したが、現実の身体がどうなっているのかは皆目検討もつかない。いったいどうして夢を見ているのか?私は確かに喫茶店でツムギさんとお話をしていたはずだ。夢を見る以前の記憶がそれこそ、夢のように綺麗さっぱり無くなってしまっている。


 夢の中で私はある人物と並んで歩いていた。私はまだ若く、当時の流行服に身を包み、髪も黒く艶やかである。そんな若かりし私の横には、これまた見慣れた男性。短髪に切り揃えられた頭はどこかワイルドで、しかし家庭的で落ち着いた印象を持たせる白のワイシャツに青っぽいジーンズを着こなしている。夢空間の片隅で私は、そんな彼らの一瞬間を断続的に見ている。


 二人は並んで歩いているが、切り取られてゆく日常風景は絶えず変わっていく。やがて二人の間に子供が混ざり、その子供が大きくなっていく側で二人はだんだん背中を丸めていく。そこここに映る季節の花はやがて空を飛び出し、風となって大気に流れてゆく。そうして二人の間にいた子供は薄れていき、残ったのは老いた私たちと、その間に登る月華のみとなった。続いたフィルムの動きは緩慢となり、やがて一葉の写真のみ、眼前に残った。


すっかりシワをたたえ、足腰に不安を抱える様子の二人。そこにもはや生気はほとんど感じられない。しかしどうだろう、一生の片隅を切り取られた彼らはどこか満足げであり、視線の先に恐怖は映っていない様子だ。なにをどうして、死の間際で安寧を感じられるというのか、私にはさっぱり分からなかった。


 ふと、老いた男性が横に並び立つ私に言の葉を遣わしている。音は聴こえない。しかしその呟き様子がなにか私の心を揺さぶるようで。妙な脈動とともに眼前の景色が揺らぎ始めた。私は手を伸ばしたが、二人は霞の中へと消えてゆく。私はゆっくりと確実に、本来あるべきはずの場所へと引っ張られていた。


 待って、いかないで――そう願っても夢が再生されることはない。もう一度会いたいと望んでも、永訣を迎えた先の世界で生きる私には土台無理な話なのだ。


 夢が覚める。そう自覚した私の魂の揺らぎを、私はしかと、記憶に留めた。




 *          *           *




「……」



 知らない天井、つけられた装置、煌々と光る照明器具。何が起こったのか思い出そうにも、ズキリと頭に閃光が走る。決して視覚化できないものだが、私の脳はそう知覚している。そして何か夢を……見ていたはずなのだが、まるっきり抜け落ちている。


 重く動かない眼球をようやく動かし辺りを見れば、側には髪を解いたツムギさんが座っていた。こちらの視線に気づき、優しげな笑みを浮かべている。それがなんだか天使のように見えてしまって、固まった表情筋がピクリと跳ねる。私は咄嗟に何かを伝えようとしたが、いかんせん頭がぼんやりとしていて、整理がつかない。


 ふと、ツムギさんが私の手を握る。細く滑らかな感触がこれほどの安心感を持っているものか。思わず撫でるように握り返してしまった。しかし彼女はそんなこと気にも留め無い様子で、ゆっくりハッキリと私に告げる。



「今から先生を呼んできます。しばらくゆっくりしていてください」


「……私はいったい」


「トモエさん、アウローラで突然倒れてしまったのです。幸いただの貧血らしいですが、ここ二、三日は安静にするのが良いかと」


「ご迷惑をおかけして、申し訳ないねぇ……それと、私は何か呟いてなかったかい?なんだかうわ言を垂れていたように感じるのだけど」


「いえ……特に何も。とりあえず行ってきますから、ゆっくり寝ていてください」


「ええ、ありがとうね」



 そう告げるとツムギさんは立ち上がり、スタスタと病室から出て行ってしまった。取り残された私は一人、おもむろに天井を見上げる。気だるさが身体を覆っており、手足にまるで血液が行き渡っている感覚がしない。管の通った手首は病的な白さと、老いから来る苔のような斑点が見られる。骨張っていて細苦しい。


 情けなさについ涙が出そうになったが、生憎出ることはなかった。かわりに胸の内に存在する深淵から、こっそり恐怖が手を伸ばし、私の魂を逆撫でしていた。抗うことも出来ず私は、そっと瞼を下ろし、死神が去るのをただじっと待っていた。


 しばらくすると医師がやって来て、業務的な自己確認とこれからの説明を受けた。その間ツムギさんは私の側に座っていてくれた。きっと彼女が居なかったら、私はこの夜を絶望と生命に対する怨嗟の念を絶やすことがなかっただろう。


 あらかた説明が終わり、医師が足早に去ってゆく。ふと壁に掛けられている無地の時計を見れば、すっかり深夜と言って良い時間になっていた。私は長く意識を失っていたことと、それがただの貧血であることに再度恐怖した。そして改めて、ツムギさんに対する感謝の意をきちんと伝えることにした。



「改めておめでとうね、ツムギさん」


「いえいえ、大事でなくて良かったです。突然倒れられた時は慌ててしまいましたよ。……それと、明日の朝にはご家族が来てくださるそうです。おおまかなトモエさんの状態も伝えておきました」


「あらそうなの、でもいったいどこから連絡を受けて……」


「すみません。勝手ながら荷物を物色させていただき、そこから私のほうで連絡させていただきました」


「あらあら、それはありがとう。本当に何からなにまでお世話になっちゃって」



 そう話しながら、少し違和感を覚える。連絡先を書いた紙などは持参していなかったし、スマートフォンにもロックが掛かっていたはずだ。いったいどこから連絡先を……いや、きっと私が紙やら何やらを忘れてしまっているだけなのだ。それに幸いこうして家族が来てくれる、ありがたい限りだ。


 深夜ということもあり、ツムギさんはいそいそと椅子を片付け去っていった。ふと、窓外に灯る無数の星を眺めた。焦点をずらすと、目の前にはガラスの反射で映る老婆。小刻みに震えている。


 私は思わず、自身を抱いた。

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