見知らぬ場所で、人を求めて、歩き続ける
葉が生い茂る季節。歩くだけで、汗で湿った服が肌に張り付く。ミズキはお盆帰りせず、山に登りにきた。非常食を隙間にこれでもと隠し、水筒を2本バックパックに入れ、タオルをショルダーストラップにかけて、ウエストベルトをしめて、用意周到で登山に挑んでいた。
この日、どれほど万全な用意をしても、全ての危険に備えた事にはならないと、ミズキは身をもって知る。
まだ、頂上には程遠い、中腹あたりで、突然、景色が歪んだ。ミズキは最初目を擦って、凝視したが、それは消えることなく、逆にどんどん歪みが大きくなっていく。それに連なって風も大きくなり、渦状に吹いている事がわかる。
ミズキは目の前の景色に恐怖し、目を奪われた。我に帰った時には、もう手遅れだった。ミズキは叫びながら、歪みに取り込まれた。
歪みの中を明るいと思った。しかし、黒で覆われている。黒なのに明るい。不思議な感覚だった。目を瞑っているのか開いているのかでさえ分からない。
どれほど時間が経ったのか、ミズキはぱっと目を開いた。そこでミズキはやっと自分は目を瞑っていた事を知った。きょろきょろ周りを見渡す。木で覆われていた。いや、倒木で覆われていた。渦状に木が倒れている。ミズキは木の渦の端っこでうつ伏せに倒れていたようだ。木に押し倒されていたら、命はなかっただろう。ただの幸運だ。太陽が見えず、暗暗として様が余計に、恐怖を増幅させる。ミズキはぞくっと鳥肌を立てた。
「どこ?」
ミズキは山にいなかった。平らな地面の上で座っていた。立ち上がって、遠くを見ると視界いっぱいに木が生えている。
「山から落ちたのに生きている?」
ミズキは眉を少し顰めて、考え込んだ。
暫くして、バックパックから双眼鏡を取り出した。立派な木が双眼鏡でやっと分かるくらい遠くで聳え立っていることが分かった。
「行ってみるか」
午前か午後かもよく分からなかったが、ミズキはチョコを口に含んだ。歩き始めると、汗がじわっとかき始めた。ミズキは歩きながら、周りの植物を観察する。
2、3時間くらい歩くと、大きな実がなっている木を発見した。ミズキが木に近づくと、インコのような派手な鳥が飛び去った。バックパックを下ろし、実を採る為に、木に登り始めた。
「はぁ、やっぱり、見たことないな」
白と薄いピンクの外見は桃を思わせるが、触感は林檎。
「熟している実に毒はない……はず。じゃないと、獣に種を運んで貰えない」
ミズキは自分に言い聞かせるように言って、実を口にした。サクサクしたさくらんぼのような味だった。美味と言うべきだろうけど、ミズキの腹はまだ空かない。2、3個食べ終わると、また、歩き始めた。
目指している木に辿り着く頃には汗だくになっていた。その木は一際高く、幹は太い。ほぼ真っ直ぐに伸びていて、手や脚をかける場所はないように感じた。
それでも、登ってみることにした。バックパックを下ろして、双眼鏡を首にかけた。ピタッと幹に体を近づけて、腕で幹を挟み込むように抱えた。脚で体を支えるようにしっかり挟み込んみ、木登りを開始した。
「流石に簡単には登れないか」
久しぶりだった事もあるが、中々上に進まなかった。やっと、周りを見渡せる高さに登り詰めると、双眼鏡を使い、あたりを見渡した。
木。木。木。
失望ともいえる感情に襲われながらも、体を使い、首を回し、ゆっくりと周囲に目を凝らす。ある一点で凝望した。僅かに木が途切れている場所を見つけた。
「あれ、……川か?」
その途切れを沿うと、灰色と水色っぽい何かと見つけた。川かどうか分からない。でも、川であって欲しい。川に沿って歩けるば、人と会えるかもしれない。僅かな希望を持って、ミズキはそこを目指すことにした。
足が再び地面につくと、ワカメと胡麻を混ぜた握り飯を2個食べて、眠る事にした。大きく聳え立つ木の根っこで目を閉じた。
鳥の囀りと暖かな光に気づき目を開けた。
朝だ。
熟睡とはいかないが、眠ることは出来た。疲れは感じなかった。空腹も感じないが、朝食を食べる事にした。といっても、スルメをサビナイフで小さく切り、口に含んでゆっくり食べるだけ。
「ふぅ。行くか」
今日は、川に向かう。再び日が暮れる前に、目的地に辿り着くことができた。やはり、川であった。ほっとしながらも、直火可能な入れ物を持っていないので、飲み水かどうか不安が残る。それでも、喉の渇きに耐えれず、口にした。
「んっ」
美味い。持っていた水は有限だったので、随分と節約して使っていた。久しぶりに思う存分に水を飲んだ。
それからミズキは、川から遠く離れず、歩き続けた。安全そうな果実を見つけては、恐る恐る口にした。大概問題なく食べることができた。スーパーマーケットで売っている果物と比べて、甘味が少なく、酸味が強いが、ミズキは好んだ。木の実だけでなく、動物を何度も目にした。川の水を飲みにきたのだ。ミズキは生き物に精通している訳ではないが、地球上にいる動物ではないと分かる。鋭い爪を持った耳の短い兔、鰐のような口を持つ猪、猿の手足を持つ猫。双眼鏡を使い、遠くから獣達を観察したが、川辺ではどの獣も穏やかで、その危険度を測ることができない。何より、ミズキは殺生をしたことがなく、食べる為にどうやって下処理をすれば良いのか分からない。もしかしたら、もっと追い込められれば、せざる負えなくなるのだろう。
丁度、水筒に水を汲もうと川の手前でしゃがんでいる時だった。向かいの川辺で何かが動いた。虎と熊を足して2で割ったような獣だ。見るからに、肉食で、鋭い牙を持っている。目が合った。
あ、終わるかも。
ミズキはピタッと動きを止めた。数時間見つめ合っていた様に感じる。いつまで経っても襲ってくる気配がなく、沈黙に耐えきれず、勝手に口が開いた。
「やぁ、こんにちは」
言った瞬間、冷や汗をかき始める。
「こんにちは」
その獣は話しかけたミズキ面白がっていたが、緊張のピークに陥っているミズキは気付くことはなかった。ただ、驚きで胸はいっぱいであった。それよりも、獣が口を半空きになりながら、こちらを睨んでいる事に、より一層震えてくる。
「こ、ここはどこですか?」
「メイゲンの溢流だ」
言っている意味がわからないが、怖くて聞き返せない。
「み、みんな話せるんですか?」
「同じ種族であれば、話は通じる」
言っている意味を理解すると、今の状況がおかしい事に気がつく。意識をまた獣に向けると、獣はまた口を半泣きにしてこちらを睨みつけていた。
「あ……。その」
「達者でな」
そう言い残し、虎の獣は去っていった。疑問は疑問のまま、新たに大きな疑問が残った。思いつく可能性に、ミズキは頭を振った。
この場所に来てから23日が経った。手持ちの非常食が底をつきそうだった。いつも都合よく果実や木の実を見つけれる訳ではないので、よく見かける食べれそうなモノが目がつく。果実を突っつく鳥も含めると、数えきれないほどの獣を見た。いよいよ、獣に手を出す事を視野に入れ始めないといけないだろう。
賢い猛獣は川辺で待ち伏せをして狩りをするイメージがあったが、そんな事は全くなかった。なんなら、ここに来て、肉食動物っぽい動物は見ても、動物を襲っている場面は見ていない。その事に疑問を感じずにはいられない。
「こいつにするか」
川辺によろよろ歩いている中型犬ほどの大きさの狼が現れた。注視すると、足を引き摺っているようだ。力なく今にも倒れそうで、実際、川に辿り着く前に倒れた。
サビナイフを握りしめミズキはゆっくり音を立てない様に近づいた。気配を感じたのか、ぴくぴくっと狼の耳が動き、僅かに顔を動かし、ミズキを見た、様な気がした。ミズキはナイフを振り上げ、ちらっと狼の顔を見て、ピタッと動きを止めた。狼はミズキを睨むように見ていた。その生を諦めていないギラギラとした目を見て、振り下ろすことが出来なかったのだ。
そのまま放置すれば、どのみち狼は死ぬ。近くで見れば、狼の体にはあっちこっち傷があり、特に酷いのが右の後ろ脚だった。傷口の周りの肉は壊死しているのか、紫色になっており、傷口からは象白色の何かが見えた。
「おまえ、生きたいの?」
「ぐぅぅ……ぅぅぅぅ……」
威嚇さえまともに出来ない。弱々しいが、食い殺してやるという意思を感じる強い目に、ミズキは苦笑いした。大きな葉っぱを摘み、新鮮な川の水を水筒に汲み、赤く染まった狼の口に、葉っぱを使って、水をゆっくり流し込んだ。一瞬狼の眉間の皺が薄くなったが、直ぐに元に戻った。水やりに夢中のミズキは気付いてはいないだろう。次に、狼の右脚に水を大量に掛けて汚れを落とした。
「汚れてるから、綺麗にしようね」
サビナイフを火で炙った。駄目元で悪くなった肉をナイフで抉り取る事にしたのだ。何もしないよりはいいだろう。
「麻酔はないし、素人だけど、我慢してね。よくない肉を切り取るだけだから」
話した内容を理解したのか、それともナイフを使おうとしてる事が分かったのか、狼は暴れ始めた。何処に力を隠していたのか、遂にはミズキに噛みつこうとする。
「元気だね。でも残念。そっちは手負で、こっちは健康体なんだよね」
それから狼はミズキが近づけば威嚇し暴れて、最後には力尽きて、ぐたっと意識を失った。意識がないのをいい事に、ミズキはぐさっと良くない色の肉を切り出す。最後に包帯で巻いた。傷口が開かないように、狼を抱え、少し水辺を離れた。
狼が死ぬまで、若しくは、回復するまで、先に進む事が出来なくなった。果実を潰し、果実水を作り、水と混ぜて、狼の口に流し込む。それを1日何度も何度も繰り返した。と同時に、ミズキはドライ果実に挑戦する事にした。薄く切り、日干しするだけだが、なんせ時間がかかる。今まで先に進む事だけを考えていて、作る機会がなかった。狼の看病以外することがないミズキは、大量のドライ果実を作る事に成功した。そろそろ詰める場所に困る頃、狼がはっきりと目を覚ました。今までは偶に、意識が戻ることがあっても、ちゃんとミズキを認識している感じはなかった。
「目覚ました?」
「ぐるぅぅぅぅぅ」
「元気だねぇ」
早速威嚇してくる狼に、ミズキは距離を取った。狼の左側の口元に傷のせいで、唸る度に、歪にくっついた肉と肉の間から歯が見え隠れする。
「まぁ、これを飲んで。果実と水のみで作った栄養ドリンクだよ」
近くに果実水が入った大きな葉っぱで作った箱を置いた。狼はミズキを警戒しているのか、唸りっぱなしで、果実水に手を出さない。体が動くようなら、もう出発しようと思っていたが、これでは判断がつかない。ため息を吐きながら、ミズキは荷物を持って、3個の果実を地面に置いて、狼から離れた。
裸眼では確認できないほど離れると、ミズキは双眼鏡を取り出し、狼を観察した。狼は果実水に口をつけ、果実を種ごと噛み砕いて嚥下した。安心したミズキは再び歩き出した。9日間看病した相手を今更殺して食べる気も湧かない。狼に対して、愛情を持ってしまっている。それに、大量のドライ果実が手に入った。暫く食に困らないだろう。
次にミズキが狩りをしようと思ったのは、狼と別れて13日経ってからだった。採りたての新鮮な果実とドライ果実だけの生活に不安はないが、栄養素的に心配になってきた。1ヶ月以上、炭水化物もタンパク質も取っていない。
「よし、こいつらにしよう」
川辺で水を飲みにきた猫の一家の後を追う事にした。兎のような長い耳をした猫だ。30センチ程の大きな猫が2匹と3匹の子猫。
川辺からそう遠くない場所で5匹は歩みを止めた。本物の兎のように耳がいいのか分からないので、まずは双眼鏡を使って、遠くから観察し始めた。
5匹の間には茶色果実があり、親の1匹が果実に向けて距離を取った。その親猫は背を低くして音を立てずにゆっくり果実に近づいていく。そして、毛を僅かに立てながら、果実に飛び付く。小さい猫達もそれに倣い、同じ事をするが、怒ったのか親猫が首元を噛んで止めさせる。それの繰り返しで、遂に1匹の子猫が果実に齧り付いた。親猫は何処からかまた、同じ果実を運んで来た。
「……狩りの練習か」
授業の邪魔をするのは申し訳なく感じたが、まだ幼い子供なら、捕まえられるような気がした。でも、狩りも知らない幼い子供を狩るのは気が引ける。そこまでお腹が空いている訳ではない。なので、狩るのは、もう少し、観察をした後にする事にした。
それから数日、ミズキはずっとその猫の家族を観察していた。隠れんぼして遊んだり、木登りして競争したり、毎日楽しそうに過ごしていた。
「……警戒心無さすぎじゃないか」
ミズキは双眼鏡を使っておらず、裸眼で観察している。隠れんぼしている時なんて、迷子になりお腹を空かせた子猫の近くにそっと果実を置き、音をわざと立てて、親元に送り届けたほどだった。
「今日こそやるぞ」
朝食を終えて、猫達は各々行動していた。木に登って寝ている子猫に、飛び回っている蝶々を追いかけている子猫、果実に手を伸ばしては空振子猫。ミズキはサビナイフを握りしめて、蝶々を追いかけ回して疲れて寝ている子猫に近づいた。
「にゃっ」
子猫が突然顔を上げて、ミズキに向かって鳴いた。警戒している様子はなく、純粋そうにミズキを見つめている。信頼している様にも見える。まさか攻撃されるなんて思っていない。
ミズキのなけなしのやる気が削ぐえた。情けなさそうにミズキは笑った。
「頑張れよ」
「にゃあ」
それ以来、ミズキはその猫の一家を狙うのを止めた。
それからも、ミズキは川辺に来る獣を狙って後をつけたが、何かしらの理由をつけては、狩りを後伸ばしにしてきた。もう、狩りは諦めていると言っていい。それでも、もしかしたらという思いで、ミズキは、獣の後を追いかける。
その片手間にドライ果実を作っている。時に、獣は川に沿って移動するとこがある。その対処の一つとして、小さく切った果実に穴を開け、紐に吊す様にした。そして、被っていた帽子に吊るす。つまり、ミズキが前を向くと、目の前に果物がゆらゆら揺れているのだ。貝殻のインテリアならぬ、果実のインテリアの完成だ。歩きながら、果実の甘酸っぱい匂いをずっと嗅いでいるからか、よく摘み食いする様になった。もう、ずっと、果実だけを食べているが、身体的にも精神的にも、支障を来していない。ここが何処なのか、分からないし、帰宅を諦めているわけではないが、結構、有意義で新鮮な毎日を送っている。
ミズキはもう、日にちを数えていない。