1-7
岩男に掴まれていた男性はぼとりと腰から落ちた。
「う、うわあああ……」
男性は這いずるようにそのまま逃げて行く。
その時になってやっと、あんな幼女の蹴りが大男を持ち上げるほどの威力があるのか、という当たり前の疑問が浮かんできた。
現実感のない光景に頭が追いついていない。
酸素が足りていない。
6つも心臓があるのに、送り出される血液が酸欠なのか。
「……っは」
この時、自分がまともに呼吸をしていないことに気づいた。
頭より体の方がもっと冷静さを失っていたらしい。
「な、なんなんだよ。わけがわからない……」
「【ランドセルガール】」
「は?」
振り返った幼女は、目の部分だけ隠す蝶の羽根にも似たマスクをつけていた。
「だから、ランドセルガール。セルのこと」
胸を張って言う幼女。
何の答えにもなっていない返答に対するこちらの困惑を察したのか、ばつが悪そうに口を開いた。
「……コードネーム。芸名みたいなもの」
「いや、だから何のだ! そもそも、なんで俺を連れて来たんだ! 天井に刺さってるこいつは何なんだ! 何でその体格で大男を蹴り飛ばせるんだ! 何のコードネームなんだ! 説明が足りないんだよ全部!」
先ほどまでの反動なのか、自分でも驚くほどまくしたてていた。
実年齢はわからないが、どう見ても幼女な相手に対し、喚き散らしている自分に気づいて引いたが、心臓はどどくどくどくと不協和音をかき鳴らしていた。
一方、幼女――ランドセルガールは、肩を落としていた。
「……だよね……いつも言われる……話したいからって先に先に行きすぎ。お客さんは置いてけぼりになってる。ちゃんと説明しろ、って……」
明らかに俺に対してではない反省をしつつ、全く質問には答えてくれない……。
と、天井に刺さっている男の体が震えだした。
「お、おい……」
震動は天井全体、いや建物全体を揺るがしている。
「ヴぁあああああああああああ!!」
跳び箱の山でもひっくり返したような轟音と共に、天井の板を数メートルに渡って引っぺがして、筋肉男が落ちて来た。
「ヴぁあ……ああああああああああああああ!!!!」
男はまるで新聞紙のように天井板を引きちぎり、真っ赤になった顔をあらわにした。
「なんてことをしやがる!! 鍛え足りねえを殴られるならわかる! それで痛いんならオレが悪いからな!! だが、目玉とココだけは駄目だろうがァ!!」
男は血走った目を向けて来るが、そんなことを言われても困る。
「い、いや、人違いだ。俺は何もしてない」
「きさま以外に誰がいる!!」
「いるんだけどここに」
再び無視をされていたランドセルガールが不愉快そうに鼻をふんすふんすと鳴らした。
ときどきお菓子売り場で見かける小学生のぐずり方みたいだ。300円のおまけつきのお菓子をねだっている、あれだ。
「何だ、ガキんちょ。帰れ」
「あっ! ひどない、その言い方!」
ひどない、は最近バラエティ番組によく出ている人気芸人の口癖だった気がする。
もちろん、この幼女ではなく、アラサーの若手(?)芸人のもちネタだったはずだ。
何にせよ、怒っている大男の前で、強心臓だ。
俺のなんか、6つもあるくせに、まだどれも静まっていないというのに。
「アンタこそ、ここはボディービルのコンテスト会場じゃないの。迷惑だと思わない?」
「はっはっは。ガキんちょ、オレが誰だかわかっているのか? ここら辺りを仕切ってる【クラウレン】の【ハガネ】だぞ」
大胸筋を強調するようにポージングをしながら白い歯を見せる大男――ハガネ。
「クラウレン?」
聞いたことがない名に、思わず聞き返してしまった。
「クラウド連盟、略してクラウレンだ。まさか、本当にオレらを知らんわけでもないだろう。ナメてくれるぜ」
まずい。矛先が俺に向いてしまった。
幼女に向いているよりはよっぽどマシだが……
「交通事故に遭ったことはあるか? ないなら想像するんだな。トラックにぶつかった時と同じくらいらしいぞ。オレのパンチはな」
鋼のボキボキと鳴らす指が、青竹のように太く、すさまじい迫力だ。
本当に人間の骨を砕ききって、くらげのようにしてしまえるだろう。
だというのに――
「フン、粗大ごみとしてトラックに乗せられてる冷蔵庫の間違いじゃないの?」
なぜこの幼女はこんなに強気なのだ。
そして――
「冷蔵庫だと? 今さら褒めてももう遅い。お前の保護者はひき肉になる」
なぜこの筋肉も話が通じないのか。
冷蔵庫は誉め言葉なのか?
あと、俺は保護者じゃない。
「こんなふうにな!!」
「えっ!?」
かみ合わないコントでも見ているような気になって油断していた俺の前に、巨大な拳が突っ込んできた。
死んだ。
はっきりそう感じたが、その巨腕を小さな手が受け止めた。




