1-6
悪いヤツ。
その単純な響きが、妙に胸に残った。
奥まで進むに連れ、ざわめきも聞こえて来る。
薄暗かった路地は、むしろ下品なほど派手なネオンで明るくなっていく。
辿り着いたのは、キャバクラだった。
正しくはキャバクラが複数入っている雑居ビルの裏だ。
繰り返しになるが、ランドセルの幼女がいていいロケーションではない。
非常階段が折り重なる建物の裏側に、ひっそりとあるダークトーンの金属ドア。
それが、飛んできた。
本当に、飛んできたんだ。
まるで座布団でも投げるかのように、くるくる回ってきたそれを、反射的に避ける。
うわっ、とかいう声も出ないくらいに突然だった。
ドアは幸い、後ろの誰もいない地面をけたたましい音を立てながら石切りして止まった。
だけど、あれが当たっていたら、と考えるとゾッとする。
心臓が人の六倍、ババクバクバクと不協和音を鳴らし続ける。
セルは大丈夫だったのかと見ると、地団駄踏んでいた。
「ちょっと待って! セル、よけてないんだけど!! よけてないのに頭の上、通っていったんだけど!!」
むしろラッキーだったと思うが、本人は納得がいっていないらしい。
そんなに怒らなくてもいいのにと思うくらい怒っている。
ランドセルの留め金がはずれてカパカパしてる……
いや、そんなことはどうでもいい。現実逃避している場合じゃない。
大事なのは「なぜドアが飛んできたか」だ。
肌がひりつく。
喉が急激に乾いて、呼気が喉に張り付く。
これが漫画とかでよく言う「殺気」というやつだろうか。
中で何が起きているんだ。
頭の中に、ホラー映画の映像が浮かんでくる。
ゾンビが暴れて、真っ赤なプールが出来上がっている画――
そんなバカな。あるわけない。
現実逃避をしようとする俺の脳とは裏腹に、セルは躊躇なく中に入っていく。
「お、おい! 危ないぞ」
「だから行かなきゃ。アンタも覚悟決めなよ」
年齢不詳の幼女をほっておくわけにはいかない。
俺も覚悟を決めて中に入った。
最初に目に入ったのは、血まみれの――ではなかった。
岩だった。
「何で?」
間抜けな声が漏れた。
岩なんか、あるわけがない。
だってキャバクラの裏口のはずだ。
例えボルダリングのスタジオだって別に岩石はない。
その岩石が、動いた。
「え?」
岩の側面が持ち上がって、Yの字を描いたのだ。
人間がポージングをしていると気づいたのは、「それ」がしゃべり出したからだった。
「プロテインを用意しておけと言ったはずだ!!」
野太い声が響き渡る。
岩ではなく冗談のように盛り上がった広背筋の大男が、上半身裸でポージングを取りながら大声を上げているらしい。
身長は2m近く体の厚みが半端ではないが、よくよく見ればちゃんと人間だ。大柄なプロレスラーより更に一回り大きい筋肉量だった。
その脇から覗く店内は、ピンクや紫の照明がチカチカして見づらいが、ホステスや客の姿も見えない。もう逃げてしまったんだろうか。
どうやら岩男の向こう側には、店長か誰かがいるらしく、それを脅しつけているらしい。
「オレたちがチャイニーズマフィアを追い出してやったってのに、全く恩義を感じていないらしいな!」
「そ、そんな事言われても……うぐっ」
声の主が首元を掴まれて吊り上げられた。
ボーイのようなタキシードだが、40がらみの顔つきだから、やはり店長なのかもしれない。
その顔が、苦痛で赤く染まる。
瞬間、頭が真っ白になって、思わず手を伸ばそうと――
「ダサすぎなんだけど、岩男」
セルの罵倒が口火を切った。
「ぬ?」
筋肉の壁が振り返る。
「なんだきさま。アニメみたいな声で」
「俺?」
天井すれすれの身長の男は、振り返ってもセルの存在に気づかず、その後ろにいた俺をにらみつけた。
いや考えたらわかるだろ。
俺の喉からあんな可愛い声が出るわけがないだろう。
「むっかー!!」
それを口に出して言ったのがおそらく人類として初めてな言葉を可愛い声で紡ぎながら、セルは男の死角たる真下から、か細い足を跳ね上げた。
それは驚くべき力強さで放たれ、極めて正確に撃ち抜いた。
男にしかない人体の急所を。
「ぽぎゅっ!?」
悲痛な叫びと共に、男の体が持ち上がった。
そのまま、頭が天井に突き刺さる。
ベニヤ板ほどの厚さの天井ボードを突き破って、割れた顎だけが見えている。




