3-1
俺は、二つ返事でAASへの所属を決めた。
それから事務を担当しているという山田さんという視線の鋭い女性から、詳しい説明を受けた。
まずAASは国が認可している正式な機関らしい。
本来であれば警察庁か防衛省の管轄だが、AS能力の存在はまだ公表すべきではないという判断から、NPO法人のような形で組織されたという。
そのため公務員ではないが給与はいいそうだ。
だが、俺にとって給料は大きな問題じゃなかった。
自分が居ていい場所だと感じられるなら、それ以外は重要じゃない。
メディカルチェックを受けると、すぐに解放された。
なんでも、一日で情報を伝えすぎても飲み込めないからとのこと。
どうも、それに関連してセルが何かやらかした過去があるようだが、教えてはくれなかった。
ただ、確かに情報過多だったので、助かった。結果的にありがとうセル。
これまでのバイト先へ顔を出し、退職の意志を伝えた。
バイトリーダーからは「そんなんじゃどこでもやっていけないよ」と吐き捨てるように言われたが、ショックを受けていない自分に少し驚いた。
言われ慣れているのもあるし、自分で思っていたよりも浮かれていたんだと思う。
それからアパートに帰った。
ところでAASからは、今のアパートにそのまま住むか、寮に住むかを選べると言われたんだが、寮に住むと即答した。
寝て起きてバイトと往復するだけの何の思い出もないアパートに未練はなかったからだ。
実際、運ぶのが面倒なものは全部粗大ごみに出して、残ったものをボストンバッグに詰めると、全部入ってしまった。
このボストンバッグ1つが自分の数年ぶんの結果だと思うと、無性に悲しくなったが、これから頑張ればいい。
それから寮へと向かった。
繁華街と住宅街のつなぎ目のような位置にそれはあった。
寮と言っても、実際にはアパートを丸ごとAASで買い取ったものだそうで、見た目はごく平凡な集合住宅だ。
二階建てで5部屋ずつ、計10部屋しかない構造は、昭和の建築物を思わせる。
しかし、建物自体はしっかりしており、手入れもよくされているようだった。
「202だっけか……」
小奇麗な階段を昇って行く。
昔、ホラーゲームで階段昇るシーンでこういう階段あったな……などと思いながら昇っていると、視界の端に赤い影が入った。
「うおっ!?」
ホラーのことなんか考えていたために、お化けかと声を上げてしまった。
「何してんの?」
赤い影――ランドセルを背負った女性が呆れた声でつぶやく。
「あ、ああ、藍堂か」
「他に誰がいるっての。よっこいしょ」
セルは腰かけていた階段から立ち上がった。
よっこいしょ、には少しわざとらしさを感じたので敢えてツッコまない。
「こんなところでどうしたんだ?」
「どうしたもなにも……」
セルは俺を頭から足元までじろじろと見つめる。
「アンタ、まさか荷物はそれだけ?」
「ああ、そうだけど……」
「ウッソ。なんだ、待って損した……」
その小さな肩を落とすセル。
ただ、「待って損した」という言葉が引っかかった。
「待ってたって……もしかして、引っ越しを手伝ってくれようとしてたのか?」
「いっ」
瞬間、顔を真っ赤にするセル。
背中のランドセルと相まって体の上半分がほぼ赤だ。
「そ、そんなんじゃないし。いくらナナのAS能力がパワー特化だからって、そんなに安くないもんね!」
また本名言ってる……
「とにかく! ナナは204だけど、覗いたりしないでよね!」
もう完全に気づかず連呼してる……。
本当にこの子、芸人としてうまくやっていけてるんだろうか……。
藍堂セルことナナは、そのまま204号室に消えていった。
なんとも騒がしい女性だったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
いや、わざわざ引っ越しを手伝うつもりで待っていてくれたのだ。
それを考えると、胸の底が温かくなった。
「……礼を言うべきだったよな……」
それから、自分の部屋に入った。
何もない部屋だ。
とりあえず、バッグからカーテンを取り出して、それだけ設置しておいた。
広さはキッチンとバスルームを別にして十一畳と、首都圏で相当にいい物件だと思うが、こう物がないと不気味さすらある。
世を忍ぶ仮の物件なので、広さが足りなければ隣も使っていいと言われたが、もちろん俺はその必要もない。
セルは二部屋くらい使ってるんだろうか。
ともかく、この殺風景な部屋で、スマホの充電をしつつ、そのまま床に横になった。
タオルケットを出すのもめんどくさがったせいだが、床面がひんやりして気持ちがいい。
床を通じて、心臓の音が聞こえて来る。
こんなに時間が経ったのに、まだ興奮が抜けきっていないのか。
六つの鼓動に合わせて顔がほてってくる。
今日あったことが頭の中を駆け巡る。
AS能力、AAS、バケツ長官、藍堂セル……
「アンタなにしてんの?」
セルの声がリフレインする。
……いや、こんなこと言っていたか?
「まさか……死んでる?」
「え?」
体を起こしてふり返ると、セルが玄関に立っていた。
「ドア開けっぱなしだったんだけど」
「あ、ああ、ボーッとしてた」
「一応ノックもしたんだけど、ほんと大丈夫? あ、言っとくけど、ドア空いてるのにピンポンならすのもアレだからノックで済ませたんだからね。普段はちゃんとインターホン使うから。勘違いしないで」
ギャグなのか本気なのか判断しづらいセルの言葉も、イマイチ頭に入ってこない。
まだまだ、今日の興奮が、冷静さを奪っているのか。
そんなことを考えられるどこか冷めた自分がいるのに、体は熱に浮かされていた。
「まぁ、でも暇そうね。よかった」
よかった?
どういうことだろう。
「合コンに付き合いなさい」
「は?」




