3 子供のいつもの日常
建付けの悪い扉が開く音が聞こえ意識を覚ます。
上を見ると扉が半開きに光が差し込んできているのが見える。
どうやら目覚めの時のようだ。
朝か昼か夜かも分からない薄暗い牢屋のような一室で子供は横になっている。
子供はボロ布でできたワンピースのような服装、ショートでぼさぼさの黒髪に血のように深く暗い赤黒い瞳で体のあちこちの痣、右の頬と左顎の下に切り傷のある約十歳の子供である。
いつも暗い部屋にいるために目はすぐに慣れて少ししか差し込まれていない、明かりがあれば真っ暗でもそれなりに見えるようになる。
この部屋は畳4.5畳くらいのレンガを敷きつめられセメント補強された床と壁で天井の高さは3〜4メートルくらいと不安定な階段のある四角い部屋。
壁際には木の長椅子とその上に小さないつ使ったのか分からないロウソク立てがある。床には毛布にも敷布団の代わりにもならない薄く小さなボロ布だけでそれ以外何もない場所だ。
子供は目を覚ましても微動だにせず耳を澄まして待つ。それがこの子供にとっての日常の始まりである。
しばらく待つが何かが聞こえる気配はない。子供は起き上がり恐る恐るゆっくりと階段を上がり半開きのドアの隙間を覗く。もう家に自分以外がいないことを確認し子供は半開きの扉を開けて廊下へと出る。
廊下からは左にリビング、右に玄関となっており玄関を一目見たあとリビングへと向かった。
そこにはこの家の住人が残していった食べ終わり汚れた食器と少し残った残飯があり、これが子供の朝食となる。
つまり残飯が無ければ子供の朝食は抜きとなる。
そこにあるのは昨日の朝からあったであろうパンの切れ端と少量の豆のスープ、一昨日の夜食から残されて放置された三つある焼き魚の頭部だ。だが、子供からすればそれらは今日の朝と昨夜に残されたものだと勘違いをしているようで、なんの疑いもなくそれを食べていた。
今日は久しぶりに太陽が出ており太陽の光が窓ガラスを通して眩しく輝く。
時計の針を見ると8:30位を刺しており部屋の温度はだいたい10度くらいだった。二月二八日と冬が終わりに来ているがまだ寒い為、暖房を付けなければ建物の中でもかなり厳しいものだ。
いつもなら暖炉が消された後で20度近くはあるはずなのにと疑問に思いながらも慣れからかあまり気にせず食事を終わらせた。
朝食を食べ顔を洗った後は仕事の始まりだ。
まず大きな金ダライに水を入れヤカンでお湯を沸かす間に食器を洗い片付ける。
その後は溜まった水の中に沸かしたお湯を軽く入れて温度を整える。脱ぎ捨てられた服などを集め汚れの度合いに分けてから洗剤水に浸しておく。
その間に部屋の片づけを済ましたところでいい具合に洗剤水が馴染んだので洗濯物をもみ洗いしていく。一通り終わると洗濯機に放り込み15秒から30秒の脱水を行う。その間に次の洗濯物を漬け込んでおき脱水を終えた洗濯物を庭に干す。
この家はそこそこ裕福だからかちゃんとした少し広い庭がある。洗濯機を使わない理由は衣服を痛ませない為だ。
干し終えて次の洗濯物をもみ洗い脱水し干すそれを繰り返す。
洗濯と部屋の掃除を終えると次の仕事だ。
風呂場の掃除のついでに全身を洗う。洗っておかないと次の仕事をするのにあまりよくないからだ。
体の水滴を拭き取り、隠してあるボロボロのワンピースの替えを取出し着替え机に置かれていた紙とお金をもって買い物に行く。買い物は主にこの家の主である家族が食べる物だけである。数が多いい時は台車などを持っていったりするが、そんな事は三ヶ月に一回程度。今日はワインとツマミのチーズ、ジャーキーなどと少ないため必要なさそうだ。
子供が住まわせてもらっている家はロンドンのフィンズベリーの東側にある。
都市の発展も進んでいるためにとても高いビルなどが立ち並び人通りも多い。
そんな中を小汚いワンピース姿で歩くと周りに色々と迷惑がかかり最悪お店から追い出される。それに話しかけられるのも面倒なため、一枚のそこそこ綺麗なコートを羽織って服と体を隠し買い物をする。
買い物をする時は必ずレシートを貰う。
理由は単純で家の主が確認するから。私が金を横領していないか確かめるためだ。
買い物を終えるとその後はこの家の子供の帰ってくる16:30位まで自由な時間となる。
子供のこの自由な時間は決まってある場所に向かう。
そこはホワイトチャペルの西にある女劇団の裏にある役者部屋である。そこに子供は毎日彼女に会いに行く。
「まぁ、いらっしゃいサラ。いつも通り目つき悪いね」
「目つき悪いはいつものことだよステラ。今日も君は元気だね」
そう、無口だった子供とは思えないように普通に話た。
「それがわたしの取り柄だもの。ととごめんね今忙しいから今の仕事終わるまで待っててね」
そう言って彼女は忙しそうに仕事に戻る。
サラはいつものように出入口近くの隅に腰を掛け彼女を待つ。
ステラとの出会いは六年前でまったく食事取れなくて路地裏で倒れていた時に偶然買い出しの帰りに見掛けて、私を役者部屋まで担ぎ込まみ看病をしてくれた。目を覚ますと彼女は瘦せこけた私を見たからか手作りのスープを作っており飲ませてくれた。
私にとってステラは命の恩人で借りを返したいのだが何もない為どうしようもなかった。そんな私を見て彼女は「なら、来れるときでいいからここに遊びに来てね」と微笑んでそう言ってくれた。
ステラはとても美しい人だった。今は髪を後ろでまとめているが下ろしているときは腰の辺りまで透き通るように綺麗な銀髪が真っ直ぐに伸びており、瞳は薄緑に落ち着きを感じさせる。サラという名前も名前のない私に与えてくれた名前だ。
彼女の仕事は劇団の雑用で主に役者達が仕事に入るまでの召使いである。お茶くみに菓子出し買い出しに部屋の掃除などすることは山のようにあるがこれらの仕事をたった一人で毎日こなしている。正直言って凄い労力だろう私と一、二歳位しか変わらないと言うのに本当に尊敬する。
そう眺めていると公演が始まるのか役者達が次々と部屋から出ていった。そうして一仕事を終えた彼女が三冊の本を持ってこちらに向かってきて隣に腰を掛ける。
「お待たせ~。サラとりあえず昼のお仕事終わったよ。今日はねぇこの本にしよっか」
と表紙に沢山の宝石を咥えた豚が多くの女性に追いかけられている本を持ってきた。
サラとステラはいつもこうして本を読む。本はステラの持ってくる本で大体内容が変なものばかりだ。蛙が空を飛ぶとか羊が二足歩行で世界を回るとか、ほんとによくわからないものばかり。
「ステラって医者とかになりたかったんだよね。お金貯めるかもっとそういう専門関連の本を買った方がいいんじゃないの?こんな変なもの買ってばかりじゃなくって」
とサラはあきれ顔にステラにそう言うと
「まぁ、失礼ね。ちゃんと医療の本も読んでますぅ。専門的な本をこんな時に二人で読んでもつまらないでしょ?」
と顔を膨らませてプンプン言っていたが
「それに確かに変な本だけど、たまにはこういう風にずれることも大切だと思うの」
最後の方はいつものように優しい笑顔で微笑みながらい言った。
「そうだねステラ。君の言う通りかもしれないね」
「そうでしょそうでしょ。じゃあ読もっか」
本の内容は泥棒が盗んだ宝石で様々な女性達にプレゼントしプロポーズしていったが皆振られてしまい、頭にきた泥棒が振った女性全員の家の宝石を盗み逃げていると何らかの呪いで姿を豚に変えられた女性達が泥棒を追い掛け回すという、本当に理解のしにくい内容だった。
私には何が面白いのか分からなかったが、彼女はとても面白かったのか口を抑え肩をびくびくさせながらそっぽ向いていた。
「ステラ大丈夫?」
覗き込みながらステラに問うと 手のひらをこっちに向けて大丈夫だけど待ってと小さな声で言った。
「はぁ~面白かった。」
「結局一分くらい笑ってたけどそんなにこれ面白かったの?」
「ん~全然」
「え?じゃあ、なんであんなに笑いこらえてたの?」
「あまりにも面白くてつい」
「面白くなかったのに面白いって…?」
「ああ、それはサラの顔よ」
「私?」
「だってあなたいつもは無表情なのに、こういう時は顔に出てきてほんとに表情豊かで面白いもの」
「まさかステラ読まずにずっと私の顔見てた?」
「もぉ赤面しちゃってかわいいわ」
恥ずかしさで今どんな顔をしているかも分からず顔を合わせられないから、そっぽを向こうとすると、両手で無理やり顔を合わせるようにされたから両腕で顔をすぐに隠した。
「ねぇサラ隠さずちゃんと顔を見せて」
そう言いながらサラの腕を持ってゆっくりとずらしていき顔は向き合っているがサラは視線だけは合わせまいと隅へと集中させている。
「ふふ、ほんとかわいいわ。サラは」
ステラは顔を近づけて迫っていき、サラは目をつむると唇に柔らかい感触を感じて目を開ける。
するとステラはニコニコしながら見ており、唇を人差し指で押さえつけていた。
「サラもしかして今日こそはって期待しちゃった?」
ふふと笑いながら口元に人差し指を立てて首を傾けながら言った。
「茶化さないでよ…」
腕で振りほどき頬に手をついて前を向く。
ステラはいつもこうやって私をからかう。別にキスがしたいわけでもしたくないわけどもないのだが。やはり恥ずかしい、と考えていると左頬に柔らかな感触を感じた。
その感触のもとに視線をやるとステラが顔を近づけていた。
「な、なにしたのステラ」
「なにって、頬にキスしただけだけど。もしかして、その、嫌だった?」
「嫌じゃないけど急にどうして。いつもなら茶化しておしまいだったのに」
「今日はそのサラを見ていると何となくしたくなったから。唇に本当はしたかったのだけれど急にそれは失礼でしょ?だから頬ならいいかな~って。ごめんね」
少し気まずくしばらくの沈黙が生まれる。
「あの 」
「はあ~終わった終わった」
サラの言葉を遮るように劇の役者達が部屋に戻ってくる。
「あ、ごめんね。サラ私仕事に戻るね。また明後日」
そう言ってステラは戻ってきた役者達に頼まれごとをこなしていく中、残されたサラ。
(また今日も言えなかったな)
「はあ、私も家に帰って残りの仕事しないと」
サラは劇団の役者部屋を後に帰路をたどる。
珍しく朝出ていた太陽も昼には霧に隠れどんどん街は暗く寒くなっていった。
家に帰ったサラはアイロンの電源を入れ温めている間に洗濯物を取り込み一つ一つ綺麗に仕上げて服などをたたみタンスやクローゼットにしまっていく。その後出したものをきれいに仕舞い最終確認に部屋を見回り問題ないと確認し、昼間に買い物に行った際にサービスで貰った拳サイズのパン一個を持ってまた薄暗い地下の部屋に戻る。パンは紙に包んで部屋の壁と木の椅子の僅かな隙間に隠し床に寝そべる。
体力を少しでも使わないよう死人のように息をひそめ、じっと寝転がり時が経つのを待つ。
私も元は家族の一員だった。と言っても養子としてだが。
この家庭は祖先貴族で結構の土地を持っており、貸して農民から年貢や地代を得て収入を得ていた。今では収益マンションなどを立てて稼いでいる。
そんな家なのだが跡継ぎの子供を作ろうとしたが、なかなかできずに、どこかから私を養子として迎えた。
なぜどこかというのは全く記憶がない。というのも記憶があるのは朧気に引き渡される直前の後、車の中この家に連れていかれる直前からしかない。
しばらくは人としての生活をさせてもらっていたが、日が経つに連れ私の赤い瞳と人間味の無さを気味悪がりすぐに育児放棄をした。
そうしてようやくか二人は子宝を授かり、私は地下生活が始まった。
だが突然姿を現さなくなった私のことを周囲から声をかけられることに苛立ちを持ち両親は私にぶつけて発散していた。
その日から両親が外に出ているときのみ家事をさせることで周囲の人も私のことを使用人と思ったようで何も言われなくなって暴力も減っていたが仕事によるストレスが溜まった日はかなりひどくぶつけられる。昨日は酷かったな…殴る蹴る、引っ張るは当たり前だったけど、ナイフで切りつけられたのは初めてだっけ…。少し殺されるかも…って怖かったな…。
そう眠気に誘われるままにサラは眠りについた。