4. 出会い
翌日。アナベルが庭園の木陰の芝生の上に座り歴史の教科書を読んでいると、頭上から柔らかな声が降ってきた。
「やあ、君が瑞花の乙女候補のご令嬢かな」
聞き覚えのない声に驚いて顔を上げると、すぐ傍にすらりとした見目麗しい青年が立っていた。いつの間にいたのだろう。勉強に集中していてまったく気が付かなかった。
「は、はい、一応そのようです……」
青年からの問いにアナベルが自信なさげに答えると、青年はその場で腰を下ろして、アナベルが読んでいた本を覗き込んだ。
「歴史の勉強をしていたの?」
「はい、お恥ずかしながらこれまで勉強が不足していたもので……」
「へえ、こんなにたくさんノートも取って、真面目なんだね」
「い、いえ……」
「今いくつなの?」
「えっと、十七歳ですが……」
「へえ、僕より三つ年下だね」
突然現れアナベルを質問攻めにする青年に戸惑いつつも返事をしながら、アナベルは内心で首を傾げた。
先ほどから気さくに話しかけてくるが、この青年は一体誰なのだろう。仕立ての良さそうな服装から、どこかの裕福な貴族のように見えるが、大聖堂の関係者だろうか。
「あの、あなたは……?」
アナベルがためらいがちに尋ねたとき、正面からフェリクスの声が聞こえた。
「──ヴィクトル殿下」
フェリクスが口にした名前を聞き、アナベルはハッとして隣に座る青年を見つめる。
ヴィクトル殿下……ということは、この国の第二王子だ。輝くような金髪にサファイアのような青い瞳が印象的な美しい容姿。親しみやすい態度ながらも、どことなく気品を感じさせる佇まいには、たしかに尊い王家の血が流れているように思われた。
「あ、あの、先ほどは大変失礼いたしました。殿下のお顔を存じ上げず……」
いくら知らなかったとはいえ、この国の王子を地面に座らせて呑気にお喋りしていただなんて、とんでもない不敬だろう。アナベルは深々と頭を下げて謝罪した。
「そんな畏まらないでもいいよ。顔を上げて」
許しを得てアナベルが顔を上げると、ヴィクトルは爽やかな笑顔を浮かべてアナベルを見つめていた。にこにこと微笑みながら、一向に視線を外す様子がない。
どうすればよいのか戸惑ったアナベルが、助けを求めるようにちらりとフェリクスのほうを窺えば、フェリクスは不機嫌そうに眉を寄せていた。
(ヴィクトル殿下への粗相に怒っているのかもしれないわ……。また失敗してしまった……)
アナベルが自分の至らなさを悔やんで俯いていると、フェリクスが二人のいるほうへ近づいてきた。
「……殿下はなぜここへ?」
フェリクスが怪訝な表情で尋ねると、ヴィクトルが肩をすくめて返事をした。
「噂の瑞花の乙女候補の様子を見てみたくてね」
「では事前にご連絡ください。突然いらっしゃられても困ります」
「はいはい、僕が悪かったよ。でも、別にもてなしてもらおうだなんて思ってないし」
「そういう訳にもいきません」
一見、普通に会話しているようだが、どこか刺々しい雰囲気を感じて、アナベルは少しだけ居心地悪いような気持ちになった。
(お二人は、あまり仲が良くないのかしら……?)
もしかすると、フェリクスが不機嫌そうだったのはアナベルに怒っていたからではなかったのだろうか。
とはいえ、フェリクスは目上の人物に失礼な態度を取るような人間ではないはずだ。それなのに、なぜここまで嫌悪を露わにしているのだろうか。
不思議に思ってフェリクスを見上げると、耳元でヴィクトルの甘く囁く声が聞こえた。
「でも、瑞花の乙女って本当に花の形の痣があるんだ。ねえ、もっとよく見せてくれる?」
ヴィクトルがアナベルの首の痣に触れようと手を伸ばした瞬間、フェリクスがヴィクトルの腕を掴んで制止した。
「なに? 痛いんだけど」
「彼女はこれから仕事がありますので。……アナベル嬢、こちらへ」
「は、はい」
有無を言わせないフェリクスの命令に、アナベルはためらいながらもお辞儀をして、フェリクスとともに大聖堂の中へと入っていった。
「──へぇ、アナベルね……」
後に残されたヴィクトルは、楽しい遊びを見つけたかのように端正な顔を綻ばせながら、建物の中へと消えていくアナベルの後ろ姿を眺めていた。