エピローグ
その後、リュミエールは、これからは瑞花の乙女──妖精の愛し子を大聖堂に求めないことを約束してくれた。
「風に火、水の妖精王たちにも説明しなければな……」と、やや面倒そうに眉を寄せていたが、エミリアから「上手く説得なさってくださいね」とお願いされると素直にうなずいていた。
愛し子のことで譲歩してくれたことや、エミリアへの償いとして瘴気の封印に手を貸してくれたことなど、リュミエールが黒い本に描かれていた傲慢な態度とはだいぶ違った印象なのがフェリクスは意外だったが、歴代の愛し子たちが長い時間をかけて、リュミエールに情や思いやりといった感情を芽生えさせたのかもしれない。なぜかそんな風に思った。
「そなたたちは、もう帰るのだろう? 私が大聖堂まで送ってやろう」
「ありがとうございます」
「あの、エミリア様は人間界に戻られなくて、本当によいのですか?」
アナベルが問うと、エミリアはふふっと少女のような可憐な笑みを浮かべた。
「わたくしはもう、おばあさんですもの。人間界には知り合いもほとんどいなくなってしまったし、住み慣れた妖精界のほうが安心だわ。それに……小さな妖精たちや、リュミエール様と離れてしまうのは寂しいの」
エミリアがリュミエールを見上げる。
「エミリア。そなたには最後まで私がついているから、安心しろ」
「はい。ありがとうございます、リュミエール様」
静かに見つめ合うエミリアとリュミエールを見て、二人の間には確かな絆があるのだと、アナベルには感じられた。
それからリュミエールの霊力で大聖堂へと帰してもらった後、フェリクスはヴィクトルに事の次第を報告した。
アンセルムの企みについては、すべてが明らかになると混乱が大きすぎるということで公表は避けることになったが、歴史書や伝記の記述を、瘴気を封印できたのは仲間のクラリス・アデールの協力があったからであると変更することに決まった。
また、瘴気については、五百年後に封印が解けて発生してしまった瘴気を、当代の教皇であるフェリクスが土の神の力を借りて浄化したという内容で公表され、フェリクスは一躍新たな救世主として称賛を浴びることになった。
さらに、瑞花の乙女についても、ベアトリス・エルランジェではなく、アナベル・コレットが本物の瑞花の乙女であったと訂正された。
ベアトリスは私欲のために国を欺いた大罪人とされたが処刑は免れ、修道院送りの罰にとどまった。
表向きの理由は、実害が少なく大いに反省しているからということだったが、実際はアナベルを助けるためにベアトリスを利用したフェリクスの配慮によるものだった。
とは言え、家門を守るためにエルランジェ伯爵家から切り捨てられたベアトリスが華やかな生活に戻ることは二度とないだろう。
そうしていろいろなことが落ち着いた後、妖精界から帰還してすぐ王宮から大聖堂へと居を戻していたアナベルの元をヴィクトルが訪れた。
「君がいなくなった途端、王宮がつまらない場所になってしまったよ」
いつも二人で会っていた裏庭のベンチに腰掛けながら、ヴィクトルが寂しそうに笑う。
「殿下……あんなにお世話になったのに、本当に申し訳ありません……」
「謝らないで。僕がしたくてやったことなんだから。……それに、君がずっとフェリクスを忘れられなかったことは知っていたんだ」
ヴィクトルの綺麗な碧眼がアナベルを見つめる。
「あいつと、気持ちが通じ合ったんだね」
切なさが滲むヴィクトルの瞳を静かに見返しながら、アナベルがうなずく。
「僕だって君を幸せにできる自信はあるけど、想い人がいる女性を無理やり奪ってはいけないと学んだからね。あいつに負けるのは悔しいけど、君の気持ちを無視することはしたくない」
「ヴィクトル殿下……。私が苦しいときに支えてくれて、自信を与えてくださったのは、いつもヴィクトル殿下でした。私を好きだと仰ってくださったのも、本当に嬉しかったです。同じ気持ちを返すことはできませんが、殿下のことを心から尊敬しています」
アナベルの真剣な言葉に、ヴィクトルは少しだけ泣きそうにも見える笑みを浮かべた。
「……こんなに切ない気持ちを誰かに抱いたのは初めてだよ。でも、君に出会えて、君を好きになれてよかったと思う」
「私こそ、殿下と出会えたことを幸せに思います」
「君の幸せを祈ってるよ。……でも、フェリクスに愛想を尽かしたら、いつでもおいで」
「ふふ、お気遣いありがとうございます」
ヴィクトルが片目を瞑っておどけて見せたのを可笑しそうに笑いながら、アナベルは「この優しい王子様が幸せになれますように」と願った。
◇◇◇
金色の満月が美しい夜。
フェリクスとアナベルは大聖堂のバルコニーで並んで夜空を見上げていた。
「瑞花の乙女はもう要らないのに、役目を引き受けてくれてありがとう」
「いえ、そうするのが一番混乱がなくて済みますから……」
すべてを丸く収めるため、アナベルはもう名ばかりとなった瑞花の乙女の役目を引き受けた。
「そのうち折を見て、瑞花の乙女の大聖堂での奉仕はなくすと触れを出さなくてはならないな。神からのお告げだと言って」
「そうですね。花の形の痣がつけられた精霊の愛し子は、私で最後ですものね」
アナベルがまだ首筋に残る花、いや雪の結晶の形の痣をそっと撫でる。
「フェリクス様は、ずっと私のために力を尽くしてくださっていたのですね。気がつかなくてごめんなさい……」
「……俺がアナベルに悟られないようにしていたんだから、気にしないでくれ」
フェリクスがアナベルを避けるようにしたり、瑞花の乙女に選ばなかった理由も分かって誤解が解けた今、二人の気持ちは互いにしっかりと結ばれていた。
「それに、なんだかおかしな噂も流れてしまっているみたいで……。あの、本当に根も葉もないデタラメですから、信じないでくださいね」
アナベルが困り顔でフェリクスを見上げる。
今、王都では、アナベルが本物の瑞花の乙女だったために第二王子との恋を引き裂かれたのだという、もっともらしい悲恋物語が広まっていた。
「まあ、少し腹立たしくはあるが……でも、誰に何と思われようと構わない。隣にアナベルがいてくれれば、それでいい」
「フェリクス様……」
フェリクスの金色の瞳に捕らえられて、アナベルは目を逸らせない。
「アナベル、ずっと前から君のことが好きだった。今までもこれからも、ずっと君だけを愛している」
「……私も、子どもの頃からフェリクス様だけを愛しています」
恥じらいながらも花のように可憐な微笑みを浮かべて愛を伝えるアナベルを、フェリクスが力強く抱きしめる。
「本当は、ずっとこうしてアナベルに触れたかった。今まで辛い思いをさせてしまって、すまなかった」
「いいんです。今こうやってフェリクス様に触れられるだけで、辛かったことも忘れられます」
アナベルが穏やかに答えると、フェリクスが悩ましげな溜め息をついた。
「……アナベルは、そうやっていつも俺の理性を壊そうとしてくるから困る」
そう言って、フェリクスがアナベルの顔を覗きこむ。
お互いの鼻先が触れそうなほど近い距離で、月光のような金色の双眸がアナベルの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「アナベル、もう二度と離さない。君さえいれば、他に何もいらない」
アナベルが何か言いかけたその唇を、フェリクスの唇が優しくふさぐ。
恥ずかしさに火照るアナベルの首筋を爽やかな夜風が撫でていった。燭台の灯りが踊るように揺めく。
フェリクスの少しだけ冷たい指先と、それとは逆に熱を帯びた唇の温度を感じながら、アナベルは幸せそうに瞳を閉じた。
これで完結となります。
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