36. 偽者の末路
(何よこれ……! 一体どういうことなの……!?)
ベアトリスは床にひざまずき、真摯な様子で祈りを捧げながらも、内心では苛立ちを抑えられずにいた。
昨日、自室で寛いでいたところを、急に呼び出されて狭苦しい部屋に連れてこられた。
そのままずっと閉じ込められて、こうして祈りを捧げさせられている。
食事もそこそこに何時間も祈り続けているのに、神官からはなぜ瘴気が消えないのかと責められるのだ。
(どういうこと? 瘴気なんてずっと昔にアンセルム様が封印したのではなかったの?)
こんなはずではなかった。
瑞花の乙女として祈りを捧げるだけで感謝され、賞賛されると思っていたのに。
なぜこんな場所で一人いつまでも祈らされて、訳の分からないことで叱責されなければならないのか。
自分が思い描いていた扱いとは、あまりにもかけ離れている。
傍らにいた見張り役の上級神官が、黒く濁った水晶を見つめながら何事かぶつぶつと呟く。
「なぜ瘴気が止まらないんだ。このことが公になったら……。この娘が瑞花の乙女のはずだろう? まさか、我々を騙したのか? だから神がお怒りになって……そうか、そうなんだな……」
恐ろしい目をしながらにじり寄る神官に、ベアトリスは言い知れぬ恐怖を感じて壁際へと後ずさった。
「な、何を仰いますの。わたくしは偽者なんかでは──」
「神よ、お赦しください……この者は私が処分いたします」
「……は、処分? 何をするつもり……」
正気を失った神官がベアトリスの首に手を掛ける。
「や、やめて……離して……」
懸命にもがいても神官はびくともせず、首を絞める力がどんどん強くなる。
「苦し……息が……」
ベアトリスが死を意識したとき、部屋の扉が開いた。
「き、教皇聖下に王子殿下……?」
突然現れたフェリクスとヴィクトルに驚いた神官が、ベアトリスから手を離す。
ベアトリスは激しく咳き込みながらフェリクスのもとへと駆け寄った。
「フェリクス様! 助けに来てくださったのですね……! わたくし、あの神官に殺されかけましたの……! あの者を破門にしてくださいませ!」
涙を浮かべながら抱きつこうとするベアトリスを無表情で避けながら、フェリクスが言った。
「まだ何事もないようだな」
……まだ何事もない?
ベアトリスは耳を疑った。
何を言っているのだろうか。
たった今、神官が自分の首を絞めていたではないか。それを、何事もなかったと言うのだろうか。
(愛する人が命の危機に瀕していたら、もっと必死になって心配するものではないの……!?)
首を絞められた恐怖とプライドを傷付けられた怒りにわなわなと震えるベアトリスの横で、神官がひざまずいてフェリクスに訴えた。
「教皇聖下……瘴気が消えないのは、この者が偽者だからです。だから私は……」
力無く項垂れる神官にフェリクスが近づく。
「ああ、心配をかけてすまなかった」
フェリクスが神官の頭に手を当てて神力を流すと、それまで引きつっていた神官の表情が少し穏やかになった。
「だいぶ疲れているようだ。あとは私が何とかするから、部屋に戻って休むといい」
「ああ……ありがとうございます……」
神官はフェリクスに頭を下げると、よろよろとした足取りで部屋を出て行った。
「フェリクス様……! なぜあの神官を帰したのですか!? わたくし、本当に殺されるところでしたのよ!」
ベアトリスが信じられないといった様子でフェリクスに食い下がる。
「伯爵家の令嬢……いえ、瑞花の乙女の首を絞めたのです。処刑になってもおかしくありませんわ!」
怒りに震えるベアトリスを、フェリクスが無感動な顔で見下ろす。その横には、ヴィクトルが呆れた様子で立っていた。
「危ない目にあったのは同情しなくもないけど、君は自業自得だろう。実際、瑞花の乙女ではないのだから」
「で、殿下まで何の証拠があってそんなことを……」
「僕は見たんだ。火の神殿の町で、君が男を殺そうとしたのを」
ヴィクトルの言葉に、ベアトリスの顔がさっと青褪める。
「あの男は彫り師で、君はそいつに花の形の痣に見える刺青を彫ってもらったんだろう?」
「な、何を仰っているのか……」
「シラを切っても無駄だよ。あの彫り師は僕が保護していて、君が依頼した証拠も押さえてある」
「な、どうして……! あの男は死んだはずでは……」
彫り師の男は確かにベアトリスが殺したはずだ。全身に毒が回って動かなくなるのを見届けた。
混乱するベアトリスにヴィクトルが種明かしをする。
「君が毒を常備しているように、僕も立場上、解毒剤を常備しているんだ」
「そんな……」
「君の首を絞めた神官が処刑になると言うなら、人に毒針を刺して殺そうとした君は一体どうなってしまうんだろうね?」
「ど、どうかお許しください……」
命乞いするベアトリスを無視し、ヴィクトルが護衛騎士に命じる。
「おい、この女を重罪犯として騎士団の牢に入れておけ」
騎士は暴れるベアトリスをたやすく捕らえると、そのまま部屋の外へと連行して行った。
「ふう、やっとあの女を捕らえられて清々したよ」
「……ありがとうございます」
「それで、神からは何か反応がありそうなのか?」
「そうですね……神はあの鏡を通じて瑞花の乙女を迎えるので、鏡に何らかの反応が現れると思うのですが……」
部屋の壁に掛けられた大きな鏡に視線を移したフェリクスは、その横に置かれた水晶を見て目を見張った。
「これは……どういうことだ?」
呆然とした様子で水晶へと近づくフェリクスに、ヴィクトルが怪訝な顔で問う。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「水晶の濁りが消えています……」
一点の曇りもない透明な水晶に、フェリクスが恐る恐る触れる。
話が掴めないヴィクトルがさらに尋ねた。
「水晶が濁っていないと、何か問題があるのか?」
「……この水晶は、瘴気が発生したら黒く濁るようになっているのです。実際、昨日からずっと水晶は黒く濁っていました。それなのに、今はその濁りが消えている──」
「つまり、瘴気が消えたということか?」
「はい、でもなぜ……? まさか──」
フェリクスが最悪の状況を思い浮かべたそのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ヴィクトル殿下! 大変です!」
そう言って飛び込んできた騎士は、ヴィクトルが連れてきた護衛騎士ではなかった。王宮から急いでここまでやって来たらしい騎士に、ヴィクトルが怪訝な表情で尋ねる。
「何があった?」
フェリクスは指先が冷えるのを感じた。嫌な予感がする。
「──アナベル様が、姿を消しました」
連続更新にお付き合いいただいて、ありがとうございます!
明日3話投稿して完結となります。
最後までよろしくお願いいたします。




