33. 手がかりを求めて
「教皇殿が僕に会いに来るだなんて、急にどうしたんだ?」
王宮の一室で、ヴィクトルが怪訝な表情をして問う。
「今日はヴィクトル殿下にお願いがあって参りました」
「お願い? なぜ僕が君のお願いを聞かないといけないんだろう?」
「申し訳ありません……ですが、どうしても本日、王族専用図書館の蔵書の閲覧を許していただきたく──」
「王族専用図書館の蔵書の閲覧? そんなの、いきなり言われても無理に決まってるだろ」
ヴィクトルは心底煩わしそうに眉をひそめた。
「急に申し訳ありません。ですが、無理を承知でお願いしたいのです。もう猶予がない……」
「そう言われても、僕の一存で決められないし。申し訳ないけど、正規の手続きで申請を──」
踵を返すヴィクトルにフェリクスが追い縋る。
「アナベルを……失うかもしれないんです。どうか、お願いします」
フェリクスの切実な声に、そしてアナベルを失うという無視できない言葉に、ヴィクトルは足を止めた。
「……アナベルを失う? どういうことなのか、説明してもらえるかな」
◇◇◇
「……つまり、瑞花の乙女は平和と豊穣を呼ぶ存在ではなく、瘴気を封じるための生贄だということか?」
「はい、その通りです」
王族専用図書館の立派な書架の前で、フェリクスとヴィクトルが向かい合う。
フェリクスが瑞花の乙女の真実とアナベルの危機を明かすと、ヴィクトルは文句をつけるのを止め、黙って王族専用図書館に入らせてくれた。
恐らく、正規の手続きをせずにフェリクスがこの図書館に立ち入ったことが知られたら、フェリクスもヴィクトルも少し面倒なことになるだろう。
だが、それを承知の上でヴィクトルはフェリクスを通してくれた。
(……彼なら、アナベルのために必ず手を貸してくれると思っていた)
つい最近までは、見た目しか取り柄のない軽薄な男だとしか思っていなかったが、今のヴィクトルのアナベルに対する誠実さだけは疑いなく信じられる。
「……それで、教皇殿が探しているものは、本当にここにあるのか?」
「そのはずです」
フェリクスがここに来たかったのには理由がある。
この場所にあるだろう、一冊の書物を探すためだ。
大聖堂や神殿中のあらゆる書物を読み漁っても見つけられず、瘴気の封印も解け、もう間に合わないのかと絶望がよぎったとき、ふと目に入った古い本。
初代教皇アンセルムの死後に側近だった男が残した、アンセルムの偉業を讃える手記。
その最後のページに書かれた言葉が、そのとき、なぜか妙に気になった。
『この記録は、偉大なる英雄であり初代教皇であるアンセルム・ダヤンの行いを鏡のように写すものである。清く穢れなき水は大聖堂に、淀み濁りし水は王家にとどまらん。願わくば、いつか黒き水を掬い上げる者が現れんことを』
普通に読めば、著者がアンセルムの偉大な行いの数々を真実そのままに記録したものであるという風に受け取るだろう。実際にこれまでそう思っていた。
だが、そのときに限ってなぜか「鏡のように写す」という表現に違和感を覚えた。
なんとなく部屋にあった姿見を眺めてみると、それまで当たり前のように見過ごしていた事実に気がつく。
(……鏡とは、ありのままの姿を写すもの。だが、鏡の前で右手を上げたとき、鏡の中の俺は右手ではなく、左手を上げている。全くの正反対──)
そう考えたとき、自分は今まで全くの誤解をしていたのではないかと、ひどく焦るような気持ちに襲われた。
『清く穢れなき水は大聖堂に、淀み濁りし水は王家にとどまらん』
今までは、大聖堂こそが清廉潔白な正義であり、王家は腐敗した悪であるという主張なのかと思っていた。
だから、『願わくば、いつか黒き水を掬い上げる者が現れんことを』と、腐敗した政治の膿を出し切ってくれる人物の登場を願っていたのだろうと考えていた。
けれど、それは表面的な解釈に過ぎなかったのではないだろうか。
本当の意味はきっと、別のところにあったのではないか。
たとえば、「大聖堂にはアンセルムの真実とは正反対の記録しか残っていない。彼の忌むべき所業の記録は王家に残してある。どうか、それを見つけ出して、真実を暴いてほしい」と──。
もしかするとこれは、側近だった男が大聖堂の関係者に気付かれないように仕掛けたメッセージだったのではないだろうか。
なぜか、そんな気がしてならなかった。
(王宮にメッセージを隠すとしたら、きっと王族専用図書館だろう)
うっかり大聖堂の関係者に見つかる可能性もほとんどなく、ここに所蔵されている書物は半永久的に保存される。
書架を急いで、しかし一冊も見逃さないよう丹念に調べるフェリクスに、ヴィクトルが声をかける。
「……僕も探す。どんな見た目だ?」
「おそらく、黒い本だと思います」
ヴィクトルと手分けをして書架の上から下まで、しらみ潰しに探していく。
しばらくして、白い表紙の本ばかりが集められた書架の前に来たとき、フェリクスはそこに背表紙が真っ黒な本が一冊だけ収められていることに気がついた。
(もしかしたら……)
フェリクスが本を手に取る。
表紙はインクに浸したように真っ黒で、題名も著者名も記されていない。
静かにページをめくり、そこに並んだ古語の羅列を目にしたとき、フェリクスは自分の予想が正しかったことを知った。
「──やっと見つけた」




