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29. 誰かが寄り添ってくれるだけで


「それじゃあ、アナベルの荷物はすべてこちらで引き取るから」


 翌日、大聖堂の応接間ではヴィクトルとフェリクスが立ったまま向かい合っていた。


「……あんなにすぐ瑞花の乙女の発表を出すとは思わなかったけど、アナベルを貶めるような言葉を使わなかったことは感謝するよ」

「……まるでアナベルが殿下のもののような言い方ですね」

「そうするつもりだからね。お前のように彼女を傷つけたりしない」


 ヴィクトルが睨むように目を細めると、フェリクスの瞳が昏く翳った。


「……一つだけお願いします。彼女を森には連れて行かないでください」

「……分かった」


 フェリクスの頼み事の意味が分からず怪訝に思ったが、ヴィクトルは了承の返事をし、そのまま大聖堂を後にした。



◇◇◇



 王宮へとやって来たアナベルには、ヴィクトルの手配で豪華な客間が与えられた。

 クローゼットには色も生地もさまざまな美しいドレスが何着も用意されていて、なぜかサイズもぴったりだった。

 人生で初めての侍女もつけられており、「アナベル様」と敬われ、かいがいしく世話をされるのが慣れない。


「ヴィクトル殿下が恋人の方にこんな風に部屋まで用意されるなんて、初めてのことですよ」


 侍女のカーラが楽しそうに瞳を輝かせながらアナベルに教える。


「いえ、私は殿下の恋人ではなくて……」


 アナベルはまず誤解を正そうとするが、カーラはすっかり興奮して聞いていないようだ。

 頬に手を当て、うっとりとした表情で王子と令嬢の恋物語に浸っている。


「アナベル様が不自由しないようにって、自らいろいろ手配されていて、あんなヴィクトル殿下見たことありません。アナベル様は今までのご令嬢たちと違って、本当に殿下に愛されていらっしゃるんですね〜」


 ヴィクトルがアナベルに好意を持ってくれているのは、昨日の水の神殿での出来事で分かった。

 ヴィクトルのことは心から信頼していて、本当に優しくて素晴らしい人だと思うし、好感を持っている。


 ……でも、これはきっと親愛の情で、恋愛感情ではない。


 それなのに、こんな風に王宮でお世話になってしまい、ヴィクトルの気持ちを利用しているようで心苦しい。


 しかし、心の底から信じ切って、恋をしていたフェリクスからの裏切りのような態度に傷付き、打ちのめされて、どうすれば良いのか分からなかった。


 故郷に帰っても、家門の名誉だと涙ぐんで喜んでいた家族や、盛大に見送ってくれた近所の人々に合わせる顔がないし、王都にはフェリクス以外に頼れる人も思いつかない。

 真っ暗闇にたった一人置き去りにされたような心地だった。


 そんなときに手を差し伸べてくれたヴィクトルに、アナベルはためらいつつも縋らずにはいられなかった。


「そういえば、もうすぐ夕食の時間ですね。ヴィクトル殿下がいらっしゃいますよ」


 カーラが笑顔でアナベルに言う。


「殿下が?」


 今日の朝食と昼食はアナベル一人での食事だった。

 大聖堂よりさらに豪華な料理が運ばれてきて、味ももちろん素晴らしかったのだが、さすがに傷心したばかりなのと、初めての王宮に緊張しすぎて、あまり食は進まなかった。


(心配を掛けたくないし、夜はちゃんと食べれるといいのだけれど……)


「殿下がお戻りになったら、お食事をお待ちしますね」

「はい、分かりました」



 ──そうしてあっという間に夕食の時間になり、大聖堂へ出掛けていたヴィクトルが帰ってきた。


「アナベル、待たせちゃってごめんね」

「ヴィクトル殿下、お帰りなさいませ」

「……アナベルから『お帰りなさいませ』って言われるの、なんだかいいね」


 ヴィクトルが機嫌よさそうに席へとつき、夕食が始まる。

 朝と昼よりさらに豪勢な食事で、アナベルは思わず目を見張った。


「とても美味しそうですね」

「君と二人きりで食事できるのが嬉しくて、料理長に腕によりをかけて作るよう頼んだんだ」

「ありがとうございます。今まで食べたことがないようなお料理ばかりで楽しみです」


 ヴィクトルが王宮での笑い話など、楽しい話をいろいろ聞かせてくれたおかげで緊張がほぐれ、少し食欲が出てきた。

 アナベルが魚のムニエルを全部食べ切ると、ヴィクトルが安心したように微笑んだ。


「少し食べられるようになったみたいでよかった」

「……本当にいろいろとお心遣いいただいて、ありがとうございます。いつも助けてもらってばかりで、殿下には感謝してもしきれません」

「いいんだ。君の力になりたかった」

「ヴィクトル殿下……」


 ヴィクトルの優しさがアナベルの心を温かく包む。


「そうだ、君が王宮でも勉強できるように家庭教師を手配したんだ。さっそく明日から来てくれる。マルロー夫人みたいな人じゃないから安心して」

「こんな、何から何までいいのでしょうか……」

「いいんだよ。僕がそうしてほしいんだ。君が嫌じゃなかったら受け入れてほしいな」

「嫌だなんてことあるわけがないです。本当にありがとうございます」


 それからデザートをいただきながら、また少しお喋りして、二人きりの夕食は和やかに終了した。


(誰かが寄り添ってくれるだけで、こんなにも安心できるなんて……)


 昨日の絶望に泣き濡れた夜とは違い、今夜は少しだけ穏やかな気持ちでベッドに入ることができた。

 窓の外では、深い紺色の夜空に金色の月が清らかに輝いている。


 その景色を見て、ふとフェリクスのことが思い浮かんだ。

 アナベルは苦しげに眉を寄せた後、ぎゅっと目を瞑って、彼の美しい姿を頭の中から追い出した。



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