2. 浮いては沈む
本日3話目の投稿です。
翌朝、窓の外から聞こえてくる鳥の鳴き声で、アナベルは目を覚ました。
実家ではいつももっと早い時間に起きていたが、昨日フェリクスから聞かされた話のことで不安になり、なかなか寝付けなかったのだ。とはいえ、食堂での朝食の時間まではまだだいぶ余裕がある。
「お庭を散歩して時間をつぶそうかしら」
昨日大聖堂を案内してもらったとき、庭のほうはあまり見ることができなかったのだ。
その後は荷物を片付けたり、仕事の説明を受けたり忙しくしていたので、庭を散歩する余裕もなかった。
「朝の庭を歩いたら、きっと気持ちがいいわ」
そうと決めればアナベルの行動は早い。
顔を洗って、大聖堂から支給された紺色のシンプルなドレスに着替え、簡単に身だしなみを整える。
そうして庭へと出てみれば、朝の清々しい空気と大聖堂の神聖な雰囲気に包まれて、もやもやしていた気持ちがすっきりと晴れていくようだった。
「悩んでいても仕方ないものね。頑張るしかないわ」
眩しく輝く木々の緑に目を細めつつ、食堂へとつながる小道をのんびり歩いていたアナベルは、庭の隅に咲く白詰草に気がついて口もとを綻ばせた。
「綺麗ね……そうだわ」
アナベルは白詰草が咲いている場所にしゃがみ込むと、小さく愛らしい花を摘んで小さな輪っかを編み始めた。
「ふふ、懐かしい。昔はよくこうやって花冠を作っていたっけ」
幼い頃、お気に入りの花畑でよく花冠を編んでは、アナベルを気に入ってくれているという妖精たちにプレゼントしていたことを思い出す。
家の外の木の枝に掛けておくと、次の日にはなくなっているのだ。アナベルは、きっと妖精たちが持ち帰っているのだと信じていた。
「……できたわ! 妖精さん、喜んでくれるかしら?」
白詰草の指輪をはめた手を朝日にかざしながら、アナベルが満足そうに微笑むと、後ろからくすりと小さな笑い声が聞こえた。
振り返るとそこには、アナベルと同じ紺色のドレスをまとった艶やかな美女、ベアトリスが立っていた。
「おはようございます、アナベル様」
「あ……ベアトリス様、おはようございます」
アナベルが慌てて立ち上がって挨拶すると、ベアトリスはアナベルの手を見つめながら、笑うのを堪えるかのように口もとに手を当てた。
「その指輪、アナベル様の素朴な雰囲気によく似合っていますわ」
白詰草の指輪に目線をやりながら、ベアトリスが言う。アナベルは急に恥ずかしくなって、パッと顔を赤らめた。
「田舎者には雑草で作った指輪がお似合い」。そういう意味に聞こえたのは、おそらく気のせいではないだろう。純粋な褒め言葉ではないことは、貴族の会話に疎いアナベルにもなんとなく分かった。
優雅に口元に添えられたベアトリスの手指には、一目で高級であることが分かる、綺麗な紅玉のついた指輪がはめられている。
(恥ずかしい……私とは大違いだわ)
アナベルは自分とベアトリスを比べて、ますますいたたまれない気持ちになった。
ベアトリスは豊かな髪を丁寧に結い上げ、朝からしっかりと化粧もして、ほのかに上気したような頬や艶のある唇がそこはかとない色気を醸していた。
一方の自分はどうだろうか。
身だしなみを整えたつもりで出てきたが、髪は手櫛で梳かして一つに束ねただけだし、化粧もしていない。おまけに指には野花で作った指輪をはめている。
今までは金銭的にも着飾る余裕がなかったこともあり、自分の装いのことなど特に気にしていなかったが、こうしてきちんとした貴族令嬢と並んでいると、自分があまりにも垢抜けない田舎娘であるのを突きつけられるようで恥ずかしくてたまらない。
「あの……お見苦しい姿で失礼しました」
俯きながら小さな声でそう答えると、ベアトリスは、ふふっと淑やかに微笑んだ。
「見苦しいだなんて、そんな。これからも、そのままの愛らしいアナベル様でいてほしいですわ。……それでは、お先に失礼いたしますわね」
お辞儀して立ち去る一連の振る舞いも完璧なベアトリスの遠ざかっていく後ろ姿を見つめながら、アナベルは小さく溜め息をつくと、白詰草の指輪を外して、そっと地面の上に置いた。
瑞花の乙女には、ベアトリスのような洗練された淑女こそ相応しいのかもしれない。
「……あんなに美しい人を差し置いて、私なんかが瑞花の乙女に選ばれるわけないわよね……」
ついさっき持ち直したばかりの心が、また萎んでいくのを感じながら、アナベルは重い足取りで食堂へと向かった。