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27. 二人の時間


 今日で、フェリクスとベアトリスが共に過ごす時間を作るという約束のひと月が終わる。

 気にしないようにしようとは思いつつも、このひと月の間ずっと胸の中にモヤモヤを抱えていたアナベルだったが、今日で終わりだと思うと急に心が軽くなったような気がする。


 スキップしたいような気持ちで裏庭へ行くと、そこにはベンチに腰掛けて長い足を組んでいるヴィクトルの姿があった。


「ヴィクトル殿下、お待たせしてしまって申し訳ありません」

「いいよ、僕も今来たところだから」


 今日はヴィクトルとの最後のダンスの練習の日でもある。


「今日は最終試験をするからね」

「はい、分かりました」


 いつものように、最初はアナベルが一人で踊る。背筋が曲がっていたり、ステップが間違っていたらヴィクトルが教えてくれるのだが、最近は指摘されることが減っていた。

 

 リズムに乗って軽やかに踊るアナベルをヴィクトルが見つめる。ダンスの良し悪しを見極めるというよりは、何か大切なものを愛おしむような柔らかな眼差しだ。


「……殿下、いかがでしたでしょうか?」


 一人でのダンスを終えたアナベルが、ヴィクトルを振り返って尋ねた。

 ワンピースの裾をふわりと翻し、風で乱れた髪を耳にかける。

 そんなアナベルの姿がきらきらと輝いて見えて、ヴィクトルは目を奪われた。


「……ヴィクトル殿下?」

「──あ、ああ、とても良く踊れていたよ。それじゃあ、最終試験をしてみようか」

「はい! よろしくお願いします」


 ヴィクトルがアナベルの前に立ち、優しくその手を取る。


「じゃあ、行くよ」


 ヴィクトルの言葉を合図にダンスが始まる。

 風がそよぎ、木々が揺れ、小鳥がさえずる中で踊る、二人きりのワルツの時間。


 笑顔を浮かべながらも、ステップを間違えないよう一生懸命なアナベル。そんな彼女をそのまま抱きしめてしまいたくなる衝動を何度も抑えながら、ヴィクトルは堂々としたリードで相手役を務めた。


「……さて、これで試験終了だね」


 ダンスを終えて手を離さなくてはならないのを名残惜しく思いながら、ヴィクトルが告げる。

 アナベルはそわそわとした表情で指を組みながら、結果発表のときを待っている。その愛らしさについ頬が緩みそうになるのをどうにか堪え、ヴィクトルはおもむろに口を開いた。


「結果は…………合格だよ」

「……! よかったです……」


 アナベルが安堵の溜め息を漏らす。


「とても可憐なダンスだったよ。ステップも自然で前よりもだいぶ上達したんじゃないかな。もしかして特訓でもした?」

「あ……もしかすると、新しい靴のおかげかもしれません。軽くて動きやすいんです」


 そう言って、アナベルが幸せそうに足元を見つめる。


「ああ、そういえば、火の神殿の町に行ったときに靴が変わってたね。どうしたんだろうと思ったんだ」

「実は靴が壊れてしまったのですが、フェリクス様が買ってくださったんです」

「教皇殿が?」


 フェリクスが買ってやったものだと聞いた途端、ヴィクトルは急に腹立たしい気分になってきた。つい先ほどまで可愛らしく、アナベルに似合うと思っていた靴が、今は早く別の靴に履き替えさせたくて堪らない。


「……へぇ。じゃあ今度、僕もダンス用の靴をアナベル嬢に贈るよ」

「そ、そんなことまでしていただくのは申し訳ないです……!」

「気にしないでいいよ。ダンスの先生から生徒への労いの贈り物だと思って」

「ええと、ではそういうことでしたら……」


 女性の靴の一足や二足、王子である自分にとっては全く大したことなんてないのに、アナベルはずいぶんと恐縮している。そういう無欲すぎるところがもどかしくはあるけれど、好ましいとも思う。


 ヴィクトルが少し寂しげな笑顔を浮かべながら溜め息をつく。


「じゃあ、アナベル嬢。名残惜しいけどそろそろ……」


 そろそろお開きの時間だ。まだまだアナベルと一緒にいたかったが、仕方なく終わりの挨拶をしようとしたヴィクトルにアナベルがためらいがちに声を掛けた。

 

「ヴィクトル殿下、実はお渡ししたいものが……」


 アナベルがそのままポケットから何かを取り出して、ヴィクトルに向かって差し出す。


「あの、これ……本当に大したものではないのですが、今までお世話になった御礼です」


 アナベルが差し出したのは、白いハンカチだった。隅に一か所、四つ葉のクローバーの刺繍が入っている。


「これを、僕のために……?」


 ヴィクトルが驚いたように目を見開く。


「はい、あまり上手くはないのですが、ヴィクトル殿下が幸運に恵まれるようにと願って刺繍しました。以前に殿下が貸してくださったハンカチもお返し出来ないままだったので……。あんなに立派なハンカチの代わりにはならないと思いますが、受け取っていただけると嬉しいです」


 はにかんで微笑むアナベルを、ヴィクトルは眩しいものを前にしたかのように目を細めて見つめる。


「あの、子供っぽかったら申し訳ありません……。もし不要でしたら、他の方にあげるなりしていただければ……」


 ヴィクトルが返事をしないので不安になってきたらしく、早口でもごもご言い出したアナベルの手を、ヴィクトルがぐいと引き寄せる。


「──他の奴になんてあげないよ。本当に嬉しい。大事にするよ。ありがとう、アナベル嬢」


 柔らかで、幸せそうで、でも今にも泣き出しそうにも見える笑顔を浮かべながら、ヴィクトルはアナベルを強く抱きしめた。



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