25. 予想外
アナベルは今、火の神殿へと向かう馬車に揺られていた。目の前にはフェリクスとベアトリス、隣にはヴィクトルが座っている。
今回は少し回り道をしなければならず、一日がかりの移動になるらしい。
目の前でベアトリスがフェリクスに触れたり、顔を近づけたりするのを見るのが辛かったが、ヴィクトルがたくさん話しかけてくれるおかげで、だいぶ気を紛らわせることができた。
そうして途中で何度か休憩を挟みつつ、かなりの距離を移動したところで、ようやく本日の目的地に到着した。
「今日はここで宿を取り、明日、火の神殿に向かう」
どうやらここは火の神殿に一番近い町のようだった。王都からの訪問者が珍しいようで、大勢の人たちが様子を見に集まっていた。
「嫌だわ、こんなに注目を浴びてしまって」
ベアトリスが満更でもなさそうに周囲を見回していたが、ある一点で視線を止めると、さっと顔色を変えて俯いた。
「わ、わたくし、先に宿に入らせていただきますわね」
ベアトリスは青褪めた顔で案内を頼むと、そのまま急いで宿へと入っていった。
するとヴィクトルも何か思い立ったように、「僕もちょっと失礼するよ」と言って、どこかへ行ってしまった。
華やかな美貌の二人がいなくなったことで、町の人たちの興味も薄らいだのか、人だかりも次第に減っていき、いつもの町の様子に戻っていく。
「……では、フェリクス様、私たちも宿に行きましょうか」
そう言ってアナベルが歩き出そうとした途端、ちょうど足下に転がっていた石を踏んでバランスを崩してしまった。
「きゃっ……!」
「大丈夫か……!?」
ふらついたアナベルの体をフェリクスが咄嗟に支える。
「怪我はしていないか?」
「はい、大丈夫です……」
どうやら足を捻ったりはしていないようで安堵したアナベルだったが、別の違和感に気づいて「あ……」と声を漏らした。
「どうした? どこか痛むか?」
フェリクスが心配そうに尋ねるが、問題なのは足ではなかった。
アナベルが恥ずかしそうに告白する。
「あの……靴が壊れてしまったようです……」
「靴?」
アナベルがワンピースの裾を上げ、おずおずと右足の靴を見せる。フェリクスが少しためらいながらアナベルの足下を見ると、靴の底が半分ほど剥がれてしまっていた。
「かなり履き古した靴だったので……。どうしましょう……どこかで直せるでしょうか……?」
明日は火の神殿に行くというのに、このままではまともに歩くこともできない。替えの靴は持ってきていないので、靴を直すか買うかするしかなかった。
「……私、靴屋さんがないか探してきますね」
アナベルが壊れた靴を履いたまま、ひょこひょこと歩き出すと、フェリクスがぱっとアナベルの手を取った。
「フェリクス様……?」
次の瞬間、アナベルの体がふわりと浮き上がって、フェリクスの腕の中にすっぽりと収まっていた。横向きに抱きかかえられ、まるでお伽噺の王子と姫のような格好だ。
「あっ、あの、これは……!?」
突然の事態にアナベルが焦って声を上げると、フェリクスがわずかに眉を寄せる。
「そんな靴で歩くと危ない。たしか、すぐ近くに靴屋があったはずだから、そこへ行こう」
フェリクスはアナベルを抱きかかえたまま、町の人たちの視線を微塵も気にかけることなく、靴屋までの道のりを歩いていく。
そうしてとんでもない目立ち方をしながら、ようやく靴屋に着いた後、アナベルはまずフェリクスの腕から下ろしてもらい、真っ赤になった顔を冷まそうと両手を当てた。
その間にフェリクスが店主らしき男性に話しかける。
「女性用の靴を買いたいのだが」
「あっ、フェリクス様……新しいのを買わなくても、直してもらえれば大丈夫ですので……」
新品の靴を購入しようとしているフェリクスに、アナベルが慌てて声を掛ける。
「ボロボロの靴を直したところで、どうせまたすぐに壊れる。新しいものを買った方がいい。……店主、見せてもらえるか?」
「へい。女物の靴はこちらでさぁ」
店主が女性用の靴が並んでいる棚に案内する。シンプルな見た目のものから、刺繍や飾りが施されたお洒落なものまで、なかなかの品揃えだった。
アナベルはどれにしようか迷いながら、結局何の飾りもない無難な茶色の靴を選んだ……のだったが、フェリクスに横から取り上げられてしまった。そして代わりに、花の刺繍が入った菫色の愛らしい靴を手渡される。
「……アナベルには、そういう靴も似合うと思う」
フェリクスがぼそりと呟いた言葉に、せっかく落ち着いたアナベルの顔がまた赤くなる。
試しに履いてみると、派手すぎない小花の刺繍が可愛らしく、大聖堂の紺色のワンピースにもよく合った。大きさもぴったりだ。
そして何より、フェリクスが見立ててくれたというのが、どうしようもなく嬉しい。
「これ、とても気に入りました」
「……そうか。では、これを買おう。店主、すぐに履いてもいいだろうか?」
「へい、もちろん! よかったら、古い靴のほうはウチで処分しときましょうか?」
「ああ、頼む」
そうしてアナベルが新品の靴に履き替え、フェリクスが代金を支払ったあと、靴屋を後にした。
「フェリクス様、靴を買っていただいて、本当にありがとうございます。とても可愛くて、履いているだけで嬉しくなります」
アナベルが笑顔でお礼を伝えると、フェリクスも嬉しそうに微笑んだ。
「……それならよかった。では、靴も買ったし帰ろうか」
「あ……」
宿へと戻ろうとしたフェリクスを、アナベルがなぜか悲しそうに見つめる。
「どうした? やっぱり足が痛むのか?」
「いえ、あの……」
煮え切らない様子のアナベルの態度に首を傾げつつフェリクスが返事を促すと、アナベルは頬を赤く染め、俯きながら答えた。
「あの、フェリクス様と出かけられたのが嬉しくて、このまま戻るのが勿体ないなって思ってしまったんです……」
思いがけないアナベルの言葉に、フェリクスは驚いて固まった。
「あ、でも、フェリクス様はお忙しいですものね……! 変なことを言って申し訳ありませんでした」
自分でもとんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったことに気づき、居た堪れなくなって足早に帰ろうとしたアナベルを、フェリクスが引き止める。
「……今日は別に忙しくはない。少し寄り道したところで、誰も何も言わないだろう」
「ほ、本当ですか?」
「本当だ。……どこか行きたいところがあるのか?」
「えっと、特に行きたい場所があるわけではないのですが……。あ、でも少しお腹が空きました」
アナベルが空腹なのを明かすと、フェリクスはふっと楽しそうな笑みを浮かべた。
「では、何か食べられる店に行こう。前に食事をして美味しかった店がある」
「は、はい!」
それからアナベルはフェリクスと一緒に小さな軽食屋に行って焼き菓子を食べた。
フェリクスはあまりお腹が空いていなかったようで、甘さ控えめのものを一つ口にしただけで、あとはアナベルが食べるのを優しい眼差しで見つめていた。
「ごちそうさまでした。本当に美味しいお店でしたね」
「気に入ってもらえてよかった」
「連れてきてくださって、ありがとうございました。明日の儀式も頑張りますね」
「──ああ。……では、明日も早いからそろそろ戻ろう」
儀式のことに触れた途端、フェリクスの表情が少し翳ったように思ったが、次の瞬間にはいつもの冷静な顔つきになっていたので、気のせいだったのだろうとアナベルは思った。
(今日はとても楽しかったわ)
宿への帰り道も、新しい靴のおかげか足取りが軽く感じる。
明日の火の神殿での儀式も頑張ろう、とアナベルは心の中で呟いた。




