21. 試験の結果
それからいよいよ試験の日がやって来た。
アナベルは持てる力をすべて出し切り、あとは採点結果を待つだけとなった。
(……きっと大丈夫。ヴィクトル殿下にもたくさん教えていただいたし、あんなに勉強したんだもの)
授業の時間を控え、アナベルはベアトリスと並んで腰掛けながら、両手を固く組み合わせたまま教師の訪れを待った。ベアトリスはそんなアナベルの様子を横目で見て鼻で笑っている。
やがて廊下から足音が聞こえてくると、部屋の扉が開いて答案を携えた教師が入室してきた。眉を寄せ難しい顔をした教師がコホンと一つ咳払いをする。
「答案を返却します。まずはベアトリス嬢」
「はい」
ベアトリスが余裕の振る舞いで教師から答案を受け取る。
「さすがベアトリス嬢ですね。よく出来ていました」
教師が満足げな笑みを浮かべてベアトリスを労った。
「ありがとうございます。でも、このくらいは出来て当然だと思いますわ」
ベアトリスがちらりとアナベルに目線を寄越すが、アナベルはそんな嫌味を気にしている場合ではなかった。
(どうしよう、すごく緊張する……! もし点数が悪かったら、ヴィクトル殿下に合わせる顔がないわ……)
早く結果が知りたいような、やっぱり止めてほしいような矛盾した心持ちでいたアナベルは、「アナベル嬢」と鋭く名前を呼ばれ、びくりと肩を跳ねさせた。
「は、はい……」
「これがあなたの答案です。……あなたがこんなに出来るとは、予想外でした」
「……ありがとうございます」
褒め言葉と取れないこともない微妙な一言とともに答案が返される。アナベルは両手で受け取ると大きく深呼吸をした後に、答案へと目をやった。
「……!!」
今回、試験のあった地理、歴史、古語の答案には、すべて三段階評価のうちの最高評価である「優」の文字が書かれていた。一生懸命に勉強した努力が報われた思いで胸がいっぱいになる。
(まさか最高評価をもらえるなんて……!)
いくつか誤りはあったものの概ね正答できていたようで、勉強を見てくれたヴィクトルへの感謝の気持ちが込み上げてくる。
一方のベアトリスは、アナベルが喜んでいる様子がつまらなかったのか、教師に授業を進めるよう促し、そのまま三科目の問題の解説でその日の授業は終わることとなった。
「それでは、本日の授業はここまでとします。……アナベル嬢はそのまま部屋に残ってもらえますか?」
「は、はい」
授業の終わりが告げられた後、アナベルだけ部屋に残るようマルロー夫人が言った。
(一体なにかしら? 個別に解説してくださるとか? もしかしたら、よく頑張りましたって褒めていただけたり……?)
ほんのりとした期待に胸を膨らませていると、ベアトリスが部屋を出ていった。聞こえよがしに「フェリクス様に褒めていただかなくては」と言っていたので、このままフェリクスのところへ行くのかもしれない。
やがてベアトリスの足音が遠ざかっていくと、しばらく無言でアナベルを見つめていたマルロー夫人がおもむろに口を開いた。
「……アナベル嬢、今回の試験結果が想像以上の出来栄えで、とても驚いています」
そんな風に言われ、これはきっと褒めてもらえるのだと思ったアナベルは、はにかんだ笑顔を見せたが、続く教師の言葉に思わず固まった。
「まさか、不正はしていませんよね?」
信じられない問いに絶句していると、マルロー夫人が重ねて問いただしてきた。
「試験のときに不正な手段で回答してはいなかったかと聞いたのです。私が懇切丁寧に教えてもなかなか覚えられなかったのに、急にあれほどの知識がつくなんて考えられません。正直に言いなさい」
「……不正なんてするはずがありません。毎日、一生懸命に勉強しただけです」
「あなたのように物覚えの悪い人が一人で勉強したところで、たかが知れています」
アナベルの能力を見下し、不正をしたと決めつける言葉に、アナベルは胸を抉られるような悲しみを覚えた。
たしかに、まだまだ知識は不足しているし、物覚えも悪いかもしれない。それでも、だからこそ頑張ってきた努力を認めてもらえず、はなから疑いの目で見られることが辛かった。
(……でも、マルロー先生の仰るとおり、私一人ではこんな好成績は取れなかったもの。仕方ないかもしれない)
それなら、ヴィクトルに勉強を見てもらったことを伝えれば、不正をしたのではなく、勉強の成果だったと信じてもらえるはずだ。
そう思い、アナベルはマルロー夫人に事情を話したが、夫人はわざとらしく嘆息した。
「本当にあなたは物を知らないのですね。放蕩王子と噂のヴィクトル殿下が勉強を見たところで、きちんと教えられるわけがないでしょう。あの方は遊ぶことにしか興味をお持ちでないのだから。下手な言い訳はおやめなさい」
マルロー夫人のあまりの言い様にアナベルは耳を疑った。
(ヴィクトル殿下は放蕩王子だから勉強を教えられる訳がない? 遊ぶことにしか興味がない?)
彼女は一体ヴィクトルの何を知っているというのだろうか。
アナベルもまだ知り合ったばかりだし、初めはたしかに軽薄そうにも見えた。でも、今は彼が本当は親切で聡明であることをよく知っている。
だから、噂しか知らずに決めつけて、彼を貶めるような発言をされたことが許せなかった。
「……それは誤解です。ヴィクトル殿下は聡明で、色んなことに気のつく素晴らしい方です。私のことが信じられないのは仕方ありませんが、ヴィクトル殿下を悪く仰るのはやめてください」
目上の人間に反抗するなど初めてで、少し声が震えてしまったが、アナベルはマルロー夫人を真っ直ぐに見つめ、最後まで言い切った。
「……あなた、口答えするのもいい加減に──」
激昂したマルロー夫人が声を荒らげてアナベルを詰ろうとしたそのとき、コンコンと大きめのノックの音が部屋に響いた。




