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13. 密談

「やあ、教皇殿と乙女たち。突然だけど、しばらくここに滞在させてもらうから」


 ある日、ヴィクトルが大聖堂を訪問するとのことで、フェリクスとアナベル、ベアトリスが出迎えたところ、開口一番にそんなことを言われた。


「──ヴィクトル殿下が大聖堂に……?」


 フェリクスが怪訝な表情で尋ねる。


「そう。今は瑞花の乙女の選定をしてるだろう? 王国の歴史上初めてのことだから、ぜひ間近で見て勉強したい。できれば何か力になりたいって、陛下に伝えたんだ」

「陛下に?」

「うん、陛下。つまり僕の父上にね。そしたら放蕩息子がやっとまともなことを言ってくれたって、いたく感動されてしまって。それで陛下から、瑞花の乙女の選定が終わるまで大聖堂で一部始終を見届けるがよい、なんて言われて城から送り出されたんだ。だから今日からお世話になるよ」


 ヴィクトルが乙女たちに笑いかける。


「……お待ちください。まだ私は許可していないのですが──」

「ねえ、これ、何だと思う?」

「これは……任命書……?」

「そう、僕を瑞花の乙女の選定の特別補佐官に任命するって書いてあるだろう? 陛下の署名入りで。だから、君の許可はいらないんだよね」


 ヴィクトルがにこりと微笑むと、フェリクスは苛立ちを抑えるかのように額に手を当て、深く息を吐いた。


「……分かりました。殿下を受け入れます」

「ありがとう。君たちもよろしくね」

「は、はい、よろしくお願いします……」

「ふふ、殿下に見届けていただけるなんて光栄ですわ。こちらこそよろしくお願いいたします」


 ベアトリスが余裕の態度でお辞儀をする。ヴィクトルはそれにうなずきで返し、アナベルに向かって器用に片目を瞑ってウインクした。


「じゃあ、さっそく乙女たちの一日の様子を見せてもらおうかな」


 それからヴィクトルは、三人での礼拝や、家庭教師の授業、食堂での昼食、図書室での自主勉強、神殿の仕事の手伝い、自由時間と、朝から日の沈む時間までアナベルたちに張り付いて回った。


 てっきり初日だけのことかと思いきや、連日こんな調子で過ぎていき、早くも一週間が経ったある日のこと。


「アナベル嬢はまたそんなに本を借りて、全部読むつもりなの?」


 図書室の書架の前でヴィクトルが頭の後ろで両手を組みながら、すぐ隣で本を探しているアナベルに話しかけた。


「はい、まだまだ勉強不足なので。瑞花の乙女として恥ずかしくないよう、たくさん学びたいんです」


 アナベルがまた一冊本を手に取り、左腕に積み上げた本の上に重ねながら返事をする。

 以前はなるべくヴィクトルと二人でいることは避けたいと思っていたが、補佐官としての仕事をしているのなら仕方がない、と割り切れるようになっていた。


「前はそこまで熱心には見えなかったけど」

「……そうかもしれません。私なんかよりベアトリス様のほうがずっと賢くてお綺麗で、瑞花の乙女に相応しいですから、以前は諦めのような気持ちがあったので……。でも今は、自分にできるところまで精一杯頑張ってみようかなと思っているんです」


 恥ずかしそうに微笑むアナベルの瞳には、前にヴィクトルが会ったときにはなかった、強い意志を感じる輝きがあった。


「ふうん。やる気を出しちゃったのか……」


 ヴィクトルは意外そうに呟くと、両腕を頭の真上に持ち上げて伸びをした。


「それじゃあ、僕はこれからベアトリス嬢のところへも行ってみるよ。またね」

「はい、また」


 ベアトリスの元へと向かうヴィクトルに軽く頭を下げながら返事をかえし、アナベルはまた書架に並ぶ本たちに視線を移すのだった。



◇◇◇



 アナベルがやる気を出すのは少し予想外だったな、とヴィクトルは思った。


(ベアトリス嬢に二人が幼馴染だとバラして、もっとフェリクスと親密になったほうがいいと唆かそうか)


 彼女はなかなか腹黒で野心もありそうだから、フェリクスにべったり付きまとうはずだ。

 その隙に自分はアナベルともっと仲良くなろう。アナベルと仲良くしているところをフェリクスに見せつけて、大嫌いなあの男が嫉妬に苦しむ姿を見たいから。


 アナベルは、今はあの男のことが好きらしいが、ぐいぐい押せばすぐに落とせるはずだ。

 貴族令嬢を落とすなんて、自分の地位と容姿をもってすれば、道端の花をぽきりと手折るくらいに簡単なことなのだから。

 しかもアナベルは没落貴族の令嬢だ。王子が自分に気があると思えば、玉の輿を狙ってきっと簡単に手のひらを返すだろう。


(あの男はきっとアナベル嬢を瑞花の乙女にして、自分が娶るつもりでいるんだろうけど、彼女の気持ちが他の男に向いているとなったら、どんな表情を見せてくれるかな?)


 フェリクスを絶望に突き落としたいからアナベルを奪いはするが、かと言って彼女の結婚まで責任を持つつもりは勿論なかった。


(あいつの愉快な姿を見て満足したらすぐに捨てよう。それから二人がどうするのかを見届けるのも最高に楽しそうだ)



「ベアトリス嬢。調子はどうだい?」


 ベアトリスを見かけたヴィクトルが親しげに声をかける。


「ヴィクトル殿下、ご機嫌麗しゅう存じます。日々、務めに励んでおりますわ」

「ところで君は、瑞花の乙女になって、あいつ──教皇殿の妻になりたいんだろう?」


 ヴィクトルが単刀直入に言うと、ベアトリスは少しだけ目を丸くした後、優雅に微笑んだ。


「ふふ、そうなればありがたいことですわね」

「あはは、なかなか強かな女性だね。嫌いじゃないよ」

「お褒めに預かり光栄ですわ」

「でも、油断してると足を掬われるかもしれないよ」

「……どういうことです?」


 ヴィクトルの意味深な言葉に、ベアトリスが眉をひそめる。


「実はあいつとアナベル嬢は幼馴染なんだよね。だから、あいつが情に流されてアナベルを選ぶ可能性もあるってこと」

「え……幼馴染だなんて、そんなこと一言も……」

「なぜか隠しているようだけど、やましいことがある証拠かもしれないね」

「そんな……」


 アナベルとフェリクスが幼馴染だったという事実に、ベアトリスはショックを受けた。

 瑞花の乙女の選定では、家柄や能力で上回る自分が有利だと思っていたのに、最後は情に絆されてあの娘が選ばれるのではないかという不安に襲われる。


「だから、君ももっと彼と親密になったほうがいいんじゃないかな」

「親密に……?」

「あいつはお堅いから、なかなか靡かないかもしれないけど、君の色気はとっても魅力的だから、ひと月もあればその気になるんじゃない?」


 ヴィクトルの言葉に、ベアトリスは内心で大きくうなずいた。

 たしかに、顔にも体にも自信がある。自分が迫れば、あんな化粧っ気がなくて体つきも貧相な女なんて、どうでもよくなるはずだ。

 そうやって自分の虜にしてしまえば、瑞花の乙女を決めるのも早めてくれるかもしれない。

 ベアトリスは落ち着きを取り戻し、再び優美な微笑みを浮かべた。


「はは、いい顔をしてるね」

「そういう殿下こそ、楽しそうなお顔ですわ。それにしても、なぜわたくしに教えてくださったのですか? 殿下はわたくしを推してくださるということですの?」

「うーん、そういうのとは違うんだけど……そのほうが都合が良くて」

「都合がいい?」

「うん、僕はアナベルと仲良くなりたいんだよね。とっても親密な仲に。つまり、仲良くなるための時間が必要だから、君があいつを離さないでいてくれると助かるってわけ」


 ヴィクトルがいかにも上品そうな笑みを浮かべる。


「ふふ、そういうことですのね。かしこまりました。お互いに利害が一致しますわね。そういうことならお任せください」

「ありがとう。頑張ってね」

「殿下も首尾良くいきますよう祈ってますわ」


 軟派で女性関係にだらしないヴィクトル第二王子が大聖堂で生活するだなんておかしいと思っていたが、こういうことだったのか、とベアトリスは納得した。


 女性の趣味には首を傾げざるを得ないが、美食ばかり食べていると、たまには質素な食べ物を口にしたくなるようなことなのかもしれない。


 それに、これは自分にとっても幸運な機会だ。

 もしアナベルが殿下のお手つきにでもなれば、瑞花の乙女に選ばれることはなくなるはず。実際には違っても、そういう噂が流れるだけでもいい。


 それに、もしアナベルが本当に殿下のことを好きになってしまえば、選定を辞退してくれるかもしれない。そうなれば儲けものだ。


「フェリクス様はどんな香りが好みかしら」


 ベアトリスは、棚に飾ったお気に入りの香水をあれこれ選びながら、自分にかしづくフェリクスの姿を思い描いた。


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