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12. 蕾が綻ぶとき

「くそ……!」


 油断した、とフェリクスは拳を強く握りしめた。

 すぐ近くにいるから大丈夫だと思ってしまった。場所が場所だけに、もっと注意が必要だったのに。

 だが、まだここにアナベルの気配が残っている。


 フェリクスは濡れた手で髪をかき上げると、小川の中に入ってひざまずいた。

 日の光を浴びて煌めく水面に手を当てて静かに瞳を閉じ、精神を集中してアナベルの気配をたどる。

 きっと妖精たちのいたずらなのだろうが、人の身で妖精の世界に行くなど、体に負担が掛かるはずだ。


 それに、アナベルが戻ってこないのではないかと思うと、たまらなく恐ろしかった。


「……捉えた」


 向こう側(・・・・)にいるアナベルへと神力を送りこむ。フェリクスの存在を知らせるように、彼女がこの力をたどって戻って来られるように。


「神力」などと大仰な名前がついているが、実際はただの癒しの力でしかない。アナベルを転移させるような万能の力はなく、幼い頃からアナベルがこうやって森で姿を消すたびに、必死の思いで取り戻していた。


 フェリクスが一心に神力を注いでいると、やがて腕の中に確かな温もりと重みが戻ってきた。


「アナベル……!」

「フェリクス様……?」

「アナベル、気分はどうだ?」

「気分? 特に悪くはありませんが……」

「よかった……」


 心底安堵した様子のフェリクスに、一体どうしたのだろうかと首を傾げたアナベルだったが、ふと重要な事実に気がついた。


「えっ、ど、どうしてこんな……! それに、川の中……?」


 アナベルはなぜか川の中でフェリクスに横抱きの姿勢で抱きしめられていた。

 フェリクスの整った顔がすぐ目の前にあり、長い睫毛に縁取られた涼やかな目に見つめられている。

 力強い腕の感触とフェリクスの体温を感じ、あまりの恥ずかしさに息もできない。


「何も覚えてないのか?」

「は、はい……。一緒に湧き水を汲んでいたはず、ですよね……?」

「ああ、そうだな」


 よく分からないが、気を失ったところをフェリクスが助けてくれたのだろうか。水に濡れてしまったフェリクスは思わず見惚れるほど美しかったが、こんな場所で不便を掛けてしまって申し訳ない。


「用事も済んだし、神殿に戻ろう」

「はい。あの、助けてくださってありがとうございました」

「何でもないから、気にするな」


 そうして帰り道は、ずっとフェリクスに手をつながれたままだった。段差のない真っ直ぐな道でも、フェリクスは決してその手を離すことはなかった。


 神殿に着くと、ベアトリスが駆け寄ってきた。フェリクスがアナベルの手を握っていることに気がついて、一瞬、引きつった表情を浮かべたが、すぐに笑みを取り繕ってアナベルに向き直った。


「アナベル様、湧き水は採れましたか? 早く見せてくださいます?」

「はい、実はフェリクス様が採ってくださって……」

「フェリクス様が? まあ、そんなにずぶ濡れになって、わたくしのために……! ありがとうございます」


 ベアトリスがアナベルを押し退けてフェリクスの手を握る。


「いや、それより早く着替えたい。替えの服を用意してくれ。アナベル嬢も着替えたほうがいい。風邪をひく」


 フェリクスはベアトリスの手をするりと解いて、湧き水の入ったガラス瓶を手渡し、アナベルの手を引いて神殿の中へと入っていった。



◇◇◇



 王都の大聖堂へと帰ってきた後、自室に戻ろうとしたアナベルをベアトリスが呼び止めた。


「……アナベル様、少しフェリクス様に気遣ってもらったからといって誤解なさらないようにね。フェリクス様に相応しいのはわたくしですから。湧き水だってわたくしのために手ずから摂ってくださったのですもの」


 ベアトリスがアナベルを睨みつけて牽制する。余計な刺激を与えないよう、アナベルは従順に返事をすることを選んだ。


「……はい」

「分かっていればよろしいのよ。くれぐれも、変な期待はしないことね」


 ベアトリスが艶やかなプラチナブロンドの髪を手で払い、ドレスの裾を翻して去っていく。


 アナベルは大森林の「神の通り道」での出来事を思い出した。どうやら意識を失ったところをフェリクスが助けてくれたらしいが、青褪めた顔で、とても心配そうな表情をしていた。


(フェリクス様の気持ちが分からない……)


 自分を避けているのかと思えば、たまにああしてとても気遣ってくれる素振りを見せる。


 妻にするのは嫌だけれど、幼馴染としては大切に思ってくれているということなのだろうか。


 いっそのこと思いきり突き放してくれたほうが、フェリクスへの想いを断ち切れるのだろう。でも、もし本当にそうなったらと考えるだけで、辛くて泣きそうになってしまう。十年もの間、ずっと自分に自信がなくて想いを告げられず、片想いをしていた。


 でも、このまま黙って諦めてしまって、自分は納得できるのだろうか。


(ちゃんと頑張ってみよう。瑞花の乙女の選定も最初から諦めずに、きちんと勉強して、務めをこなして……)


 そうしたら、告白する自信もつくかもしれない。告白して想いが実らなくても、前向きに受け止められるかもしれない。

 アナベルはそっと胸に手を当て決意した。

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