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11. 邂逅

「ねえ、フェリクス様。土の神殿の裏には、万病に効くという湧き水があるのでしょう? わたくし、見てみたいですわ。きっと美容にもいいはずですもの」


 儀式を終え、神殿の外に出た後、ベアトリスはどこで聞きつけたのか、神聖な湧き水を持ち帰りたいと言い始めた。


「……湧き水は険しい場所にある。そのような靴では無理だ」

「でもぉ……。せっかくですから湧き水を飲んでみたいですわぁ……」


 ちらちらと他の神官たちにねだるような視線を送るが、普段から大聖堂に篭ってばかりで体力に自信がないためか、皆目を逸らして引き受けようとはしない。

 それでもベアトリスが粘る姿勢を見せたため、アナベルは仕方なく手を挙げた。


「では、私が代わりに湧き水を汲んできましょう」

「アナベ──」

「まあ、アナベル様ありがとうございます。こちらのガラス瓶に入れてきてくださるかしら。割らないように気をつけてくださいね」


 おそらく止めようとしたフェリクスの声に被せて、ベアトリスが割り込んできた。

「アナベル様」とは呼んでいるが、きっと自分の侍女たちと同じようなもの、またはそれ以下の存在としか考えていないのだろう。

 アナベルが怪我することよりも、ガラス瓶が割れてしまうことを気にしているくらいだ。

 でも、それも仕方がない。アナベルはいつ平民になってもおかしくないような没落貴族なのだから。


「分かりました。気をつけて採ってきますね。……どなたか、地図を書いていただけませんか?」

「私が案内する」


 道の分からないアナベルが地図を頼むと、フェリクスが案内を引き受けてくれた。嬉しいと思ってしまうのは、まだまだ未練がある証拠かもしれない。

 ベアトリスは少し不満げな様子だったが、自分が頼んだせいであるからか文句を言うことはなかった。


「こっちだ。行こう」


 フェリクスがアナベルの前を歩き出す。

 ベアトリスや神官たちの姿が見えなくなったところで、フェリクスが話しかけてきた。


「こんなこと、君が引き受けなくてもよかった」

「あ、でも、皆さん困ってそうだったので……」

「……アナベルのそういうお人好しなところが心配だ」


 フェリクスが溜め息をついた。こうしてフェリクスの手を煩わせることになってしまったし、呆れられているのかもしれない。


「結局フェリクス様を付き合わせてしまってすみません……」

「いい、気にするな」


 アナベルが沈んだ声で謝ると、フェリクスは素っ気ない返事をしながらも、アナベルの頭をふわりと優しく撫でてくれた。


 本当に、いつもこんな風に不意打ちで触れてくるから諦めがたくて困ってしまう。

 アナベルは頬が熱くなるのを感じながら、平常心を取り戻すべく、本来の目的について話題を変えた。


「……そういえば、湧き水ってどんな場所にあるんですか?」

「神の通り道と呼ばれる場所から湧き出ている」

「神の通り道?」

「ああ、見れば分かる」


 フェリクスの手を借りながら、石を粗く並べただけの簡素な石段を上っていく。よく足元を見ていないと、すぐに転んでしまいそうだ。

 石段を上りきったところで顔をあげると、目の前には左右に割れたような大きな崖がそびえ立っていた。


 岩肌は白っぽく滑らかできらきらと輝き、崖の間に清らかな小川が流れている。まさに、神聖な通路のようだった。


「すごいわ……。本当に神様の通り道みたい」

「湧き水は崖の隙間から採れる。……まあ、飲んでも味がいいだけで、特に何の効能もないが」


 フェリクスが指さすほうに目をやると、崖の岩肌から透き通った綺麗な水が湧き出て、小川へと流れていた。フェリクスは味がいいだけと言うが、この場所を目の前にすると、たしかにとてつもないご利益がありそうに思える。


 小川は浅く、大きめの石がいくつか踏み石のように置かれている場所があり、そこを渡って湧き水が出ている場所まで行けるようになっていた。


「水で滑ると危ないから俺が行く。ガラス瓶を貸してくれ」

「ありがとうございます……お願いします」


 フェリクスがガラス瓶を受け取って蓋を開け、湧き水の中に入れる。瓶いっぱいに溜まったのを確かめると、固く蓋を閉じてアナベルのほうを振り返った。


「さあ、帰ろう──……アナベル?」


 フェリクスが振り返った先に、アナベルの姿はなかった。



◇◇◇



「……フェリクス様?」


 アナベルはフェリクスの名を呼びながら辺りを見回すが、どこにも見当たらない。

 ついさっきまで二人で湧き水の前にいたはずなのに、今はなぜかアナベル一人きりで知らない場所にいる。


 いや、知らない場所ではないかもしれない。

 幼いときに迷い込んだ、森の中の花畑に似ている。


 でも、故郷の森とこの大森林は全く別の森だ。それなのになぜこんなにも既視感を覚えるのだろうか。そもそも、急に違う場所に来たことがおかしい。一体何が起きているのだろう。


 そのとき、鈴を転がすような愛らしい声が聞こえてきた。


「何もおかしくないよ」

「ここはアナベルのための場所だもの」

「森は僕たちとアナベルの特別な場所なんだよ」

「だ、誰? ──あなたたちは……妖精さん……?」


 アナベルが振り向くと、そこには数人の小さな妖精が蝶のような色鮮やかな羽を羽ばたかせながら、アナベルの目の前を飛び回っていた。羽から舞う金色の鱗粉のような光が美しい。


(あれ……? 私は妖精さんの姿が見えないはずなのに……)


 不思議に思うが、目の前にいるのは明らかに妖精以外の何者でもない。なんとなくぼんやりした頭で見つめるアナベルの前で、妖精たちがかしましくお喋りする。


「嬉しい。せっかくアナベルが来てくれたのに、あの人がずっと見張ってるから連れてこられなかったの」

「いつも邪魔するんだから。アナベルは僕たちのなのに」

「本当に腹が立っちゃう! でも、もうすぐ約束のときが来るから、それまでお利口にして待ってるよ」

「約束……?」


 妖精と約束なんてした覚えのないアナベルは首を傾げた。

 

「あの、約束って──」

「ねえねえ、僕、また花冠作ってほしいな!」

「あっちに綺麗なお花畑があるよ。連れて行ってあげる!」

「アナベル、とってもいい匂いがして大好き!」


 約束とは一体何のことなのか聞こうとしたが、アナベルに会えた喜びに沸き立つ妖精たちが服の袖を引っ張ったり、頬にキスをしたりして、一生懸命にアナベルの気を引こうとしている。


 早く一緒に遊びたくて仕方ないといった様子で、その微笑ましさに頬が緩む。

 ちょうど綺麗な花畑もあるというし、可愛らしい妖精たちに花冠を作ってかぶらせてあげたい。


 何か用事があったような気がするけれど、きっと大したことではないだろう。ここで楽しく過ごすことのほうが、ずっと大事な気がする。


「そうね、一緒に遊びましょう」


 アナベルは妖精が教えてくれた花畑に座り込み、色とりどりの花々を摘んで、慣れた手つきで花冠を編み始めた。

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