anecdote 【約束】
破壊不能の左腕と世界最高のマシンを持つ男
人呼んで、MIDNIGHT
少し戻って。
サイレンの鳴り響く格納庫で、百年に迫る3人の警備員の内、長身の男が1歩前に出た。
ポマードでキッチリとセットされたブロンドと、優雅な立ち居振る舞いは、英国紳士と呼ぶに相応しいが、その瞳は紳士とは程遠い邪悪な光を放っている。慇懃無礼のお手本のような男だ。
さっきの3人は一斉に襲い掛かってきたのに妙だな、と百年は警戒した。
しかし、大柄な男は3m近くありそうな、電信柱の如き巨大な槍を床に突き立て、腕組みをしながら体を預けている。
小柄だが、筋肉で上着を破ってしまいそうな胸板の熱い男は、直立不動で両拳を握り、瞑目している。
2人とも、長身の男に加勢する気は無さそうな態度だった。
「まずは私から行かせて頂きます」
右手で腹部を押さえ、左手を背中に回して一礼し、ゆっくりと百年に近付く悪の紳士は、腰を落として目線を合わせ、右手を開いて、手の平を見せるように百年に差し出した。左手は背中に回したままだ。
「力比べでもしようって言うのか?」
「Yes,sir!」
そんな訳はなかろう、と思いつつ、百年は悪の紳士の右手に左手を合わせた。
百年も決して小さな方ではないが、2m近い長身と比べれば20cmほどの差がある。純粋に力だけで押し合えば後退せざるを得ない。
だが、百年には力を補う技がある。関節の抵抗を利用して均衡を保つ。……かに見えたが、悪の紳士は不敵な笑みを浮かべたかと思うと、百年の左手首の関節を極めて、後ろ手に捻り上げた。
百年は手首が極まりきる前に体を猫のように丸めて前方に転回し、逆に悪の紳士の右手首を極めに掛かる。
寸での所でポイントをずらして逃れた悪の紳士は、背中に回していた左手で百年の右肘の関節を掴んだ。
百年は左腕で悪の紳士の右足を抱え、柔道の内股を掛け、仰向けに倒して逃れると、間髪入れずに足首を極めた。だが、百年の足首も同じく極められていた。
痛みを堪えながら一瞬睨み合い、同時にお互いの脚をタップして離れ、再び組み合った。
悪の紳士の使う格闘術は、イギリス・ランカシャー地方に伝わる『Catch as Catch can』と言うレスリングスタイルだが、素人目には何がピンチで、どこがチャンスなのか判らない。しかし、相対する2人の間には他者を寄せ付けない迫力がある。
特に百年は残る2人をも相手にしなければならない為、一瞬たりとも気が抜けない。掴んでは離れ、離れては掴みを繰り返し、一進一退の攻防が続く。
そんな緊張感の中、自分の出番が無い大柄な男は、遂にアクビをし始める。と、それを合図とするように、いつの間に装着したのか、悪の紳士はブラスナックルでアッパー気味のパンチを繰り出した。
百年はステップバックで間一髪かわすが、バランスを崩して片膝を突いた。
「私の『神の拳』をかわせる男が、こんな極東の地にいるとは思いませんでしたよ」
「ずいぶんセコい真似をする神様だな」
百年は膝に付いた埃を払いながら立ち上がる。
「本当の神の拳を見せてやろう」
腰を落とし、左腕を胸元に、右拳を腰に構え、力強く握り締める。
アクビをしていた大男も息を飲む気迫に、悪の紳士は1歩、2歩と後退りしてしまっていた。5歩目にして己の後退に気付くと、今までの慇懃な態度を反故にして、吠えた。
「老いぼれの山猿が!」
悪鬼の如き表情でブラスナックルを突き出すが、百年は左腕でそれを受け流す。それでも格闘能力の高さを誇る悪の紳士は、体勢を崩しながらも、百年の顔面を狙って膝蹴りを繰り出す。が、そこまでだった。
一瞬早く、百年の右拳が悪の紳士の鳩尾に到達していた。苦悶の表情を浮かべた悪の紳士は、その場に倒れ落ちた。
「さあ、次はどっちだ?」
百年は人差し指と中指、Vサインの形で残る2人を指差した。
鼻息荒く1歩踏み出した大男を、小柄な男が左手を挙げて制止し、両眼を開いた。その視線は大男ではなく、真っ直ぐに百年を見据えていた。
大男は、好きにしろ、と言わんばかりに巨大な槍へ再び背を預け、腕を組んだ。
身長差20cm、体重差50kg重の大男をホンの少しの動きで黙らせる。小柄ながら高い能力を秘めている事を窺わせる一幕だ。
ダッシュして一気に詰め寄り、手刀の逆水平打ちを、百年の胸元を斬り裂くように振り抜く。まともには喰らわなかったものの、その威力で白衣が焼け焦げた。
手刀と白衣の摩擦熱だけではありえない。これも京龍ラボの人体改造による特殊能力の成せる業だ。大男が一目置く理由の1つだろう。
青白く発光した両手で次々と繰り出す。悪の紳士との闘いとは逆に、組み合えば即敗北となりかねない。手刀をかわす度に後退させられ、追い詰められていき、遂には壁に退路を断たれた。
小柄な男は両の手刀を十字に重ね、百年の首筋へギロチンのように叩き付ける。が、断頭台に百年の首は転がらず、代わりに処刑人の絶叫が広い格納庫にこだました。
十字に重ねた1点を狙った神の拳が、灼熱に焼かれながらもギロチンを破壊していた。小柄な男の腕は、肘と手首の間に、もう1つ関節が増えたかのように、くの字に折れ曲がり、もはや使い物にならない。青白く発光していた腕は、見る見る元の肌色に戻っていく。
膝を突き、奥歯を噛みしめて痛みに耐える小柄な男を見下ろしながら、百年は壁にあるスイッチを押した。テストコースへのシャッターが再び上昇していく。
後退していたのではない。これが目的だった。豪快なだけでなく、戦略眼にも長けている一面が垣間見えた。
しかし、喜んだのも束の間。シャッターが1mほど開いた所で、鋭く風を切る音が百年に向かってきた。と感じた刹那、激しい破壊音が響いた。
巨大な槍が百年の眼前数cmをかすめ、スイッチに突き刺さり、シャッターの上昇を止めてしまった。
一瞬面喰った百年だったが、
「あれだけ開いてれば問題なかろう」
百年と大男が同時にシャッターを目指して走り出す。その時、
「GAAA-ーーーーAH!」
野獣の如き咆哮が2人の耳をつんざく。
声の主は両腕を壊され、戦闘不能と思われた小柄な男だった。
壁に突き刺さった槍に飛び乗り、そこから更に飛び、百年に向かって一直線に突っ込む。全身が青白く光り輝き、天馬のように華麗でありながら、その表情は荒々しい。まさに捨て身の覚悟の飛翔だ。
「その意気や良し!」
百年は頭から突っ込んできた天馬の襟元を空中で掴み、そのまま一本背負いの要領で投げ付けた。畳の上ではない。固いアスファルトに叩き付けられた天馬は、今度こそ起き上がる事は叶わなかった。
それでも、この特攻は時間稼ぎには充分だった。先回りした大男がアメリカンフットボールのように激しく鋭いタックルで突進してきた。
不意を突かれて態勢が整っていなかった百年はまともに喰らい、シャッターとは正反対の方に吹っ飛ばされた。
大男が追撃を繰り出そうとした時、1階部分に相当する天井付近の明かり取りのガラス窓が派手な音を立て、ダイヤモンドダストのように太陽光を乱反射させながら降り注いだ。その中をSCI-KYOHに乗った深輝が舞い降りる。
「ナイスタイミングだ。助かったよ、深輝さん」
瞬時に状況を把握した深輝は、着地と同時にそのまま大男に突き進む。自信満々で真っ正面から受け止めた大男だったが、吹っ飛ばされはしないものの止めるのが精一杯。さすがにSCI-KYOHのパワーで押され始めた。SCI-KYOHの後輪が砂煙を巻き上げ、大男を壁際に追い詰めていく。
だが、壁まで残り5mに迫った所でピタリとパワーが拮抗したかと思うと、徐々に押し戻され始めた。
大男の陰に隠れて気付かないうちに、同じ顔をした大男が3人、スクラムを組んで後ろに付いていた。
「グッジョブ、ブラザー!」
援軍到着。4人となった大男達は気合を入れ直し、SCI-KYOHを押し戻す。
深輝は、フェンダーに内蔵されたスパイクベルトを前後輪に装着する【スパイクフィギュア】にモードを切り替えて持ち堪えようとするが、アスファルトが削られるだけで大した効果は無かった。
「ダブルホイールだ、深輝さん!」
百年が叫んだ。
通常エンジンと、前輪に内蔵されたモーターを同時に起動する【ダブルホイール】
パワーは相乗される。
「ダブルホイール、オン!」
ハンドルのスイッチを押してモーターが唸りだすと、4人の大男はもはや障害物ではなくなった。電車道で押し出され、壁とSCI-KYOHにサンドイッチの具とされて悶絶した。
「一段落付いたな。行くぞ、深輝さん」
「はい、プロフェッサー」
深輝はダブルホイールとスパイクフィギュアを解除し、シャッターに向かって走り出す。車体を傾け、後輪を滑らせて、1mの隙間をくぐり抜けた。
深輝の脱出を見届けた百年も後に続こうとしたが、それは大男の執念に阻まれた。
どこから用意したのか、刺又に似た、先端が2つに分かれた槍が飛んできた。百年が並の反射神経なら即死だっただろう。それでも躱し切れずに、右手首を鎹で止められたような形で、壁に磔にされてしまった。
「俺がオリジナルだ。コピーみたいにヤワじゃねぇ!」
これは事実とは違う。オリジナルとコピーで身体能力に差があるわけではない。3人のコピーがクッション代わりとなって、オリジナルの受けるダメージが減ったに過ぎない。
しかし、まるでこの言葉が真実であるかのような気迫が漲っていた。
「プロフェッサー! 今……」
「先に行け、深輝さん!」
格納庫内に戻ろうとする深輝を百年が制した。
「1対1なら、こんな力しか能の無い男に負けん」
「このランスロット・ノートンをナメるなよ!」
鼻息荒く、初めて大男が名乗った。
「そちらこそ、老いぼれだと思って油断せん方が良いぞ」
百年の挑発でランスロットがキレた。猛烈なタックルを身動きの取れない百年に突き刺す。
「……ッ!」
声にならない呻きが百年の口から漏れる。
助走距離が足りないと判断した深輝は、SCI-KYOHから降りて、シャッターをくぐる。
「何をしてる、早く行きなさい!」
「でも!」
「ナイトの為だ!」
深輝の脚が止まった。
「あんたの目的はナイトを守る事だろう!?」
ランスロットが再びタックルで百年にダメージを与える。
「……ッ!!」
「プロフェッサー!」
叫ぶ深輝の瞳を見つめ、百年が小さく笑った。
「正直な所、克也1人でナイトは守れないだろう。恥ずかしい話だが甘やかし過ぎた。あいつにはあんたが必要だ、深輝さん」
「プロフェッサー……」
「ここは、この老いぼれの言う事を聞いてくれ」
「遺言は終わったか?」
ランスロットが下卑た笑いを浮かべる。
「あと一言。わしもすぐに追い駆けるよ」
「ナメるなと言っただろう!」
ランスロットの丸太のように太い腕が、百年の喉元に喰い込む。
「……ッ!!!」
百年の傷付いていく姿に耐えかねた深輝は2人の間に割って入ろうとしたが、百年がまた制した。声や動きではなく、視線だけで。
それは頼みではなく命令だ。この時の2人は義父と嫁ではなく、師匠と弟子の顔になっていた。
「……押忍」
深輝は一礼してから再びシャッターをくぐり、SCI-KYOHと共にナイト達の後を追った。
「逃がすと思うなよ」
深輝を追おうとするランスロットだが、
「追わすと思うなよ」
百年は左手で槍の柄を折って、それを投げ付けた。もちろん大したダメージは与えられず、
「死に損ないが!」
ランスロットは激昂し、今までで1番鋭く重いタックルが百年に突き刺さる。
「GUAHッ!」
野太い悲鳴を上げたのはランスロットの方だった。百年の右膝がランスロットの脇腹に喰い込み、肋骨を砕き折った。
しかし、百年の方も無事ではない。体捌きでポイントをずらせたおかげで骨折こそしていないが、150kg重の大男の衝撃は生半可なものではなく、断続的な痛みが全身を支配していた。
「奮ッ!」
痛みを堪えて気合声を発し、右手の枷を解くと、神の拳を構えて、ランスロットを睨みつける。
「孫との約束がある。これ以上、貴様に付き合ってる訳にはいかん」
次回 Phase.II Senti-METAL-Boy