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「お取り込み中のところ、すいません」
那智はあくまでも控え目な口調で、
「天上河原さん。今日はすいてるから、もう上がっていいって店長が。それ伝えに来たんだ」
じゃあと言って立ち去ろうとする那智の服の裾を掴み、透子は言い放った。
「行くんなら、この人も一緒に連れていって」
那智はぎょっとしたが、あやうく声には出さなかった。
男性はあからさまに顔をしかめている。
威圧感と敵意を感じ取り、那智は小声で尋ねた。
「彼氏?」
「ううん」
透子は首を振って、
「紹介するね。天上河原真、私の兄です」
那智は「お兄さん」と口の中でつぶやき、軽く会釈してみせたが、真は頭を下げなかった。
突き刺すような眼差しでこちらを睨んでいる。
「こちらは同じ大学の佐倉那智君。恋人同士なの」
その紹介に一番驚いたのは、他ならぬ那智本人だった。
今まで透子と話した機会は数えるほどで、恋人どころか二人きりで会ったこともないのだ。
何故そんな苦しい嘘を?
目で問いかけてみるが、透子の瞳は必死で何かと戦っていて、答える余裕はなさそうだった。
「この人と一秒たりとも離れないって約束したの。だから島に戻れというのなら、佐倉君も一緒に行くわ。ね?」
懇願する眼差しを送られ、ともかく話を合わせようと那智は頷く。
真は不信感がふんだんに盛り込まれた視線で那智を精査する。
その場しのぎのでっち上げに気づいているのは明らかだった。
緊迫した数秒間が過ぎ、やがて真は太い息を吐いた。
「……仕方ないな」
透子がぱっと表情を明るくしたのもつかの間、
「そういうことなら、島に連れてきて紹介しておけ」
予想外の展開だったらしく、透子は「え」と声を上げた。
頬のあたりを強張らせている彼女の肩をたたき、真は諭すように、
「一緒に来てもいいと言ってるんだ」
「そんな。だって」
おろおろと透子は視線を彷徨わせる。
「よそ者は受け入れないんでしょう?」
「事情が違う」
真は目を伏せると、沈痛な声で、
「……母さんが死んだ」
透子は、音のしそうな瞬きをした。