北界の守護神・アダマイトス
その日の夜、俺は街中を歩きながら奇妙な胸騒ぎを覚えていた。どことなくだが「いつもと違うな」と感じたのである。俺はしばらく夜風に吹かれながら歩を進め、そして『ザーヤの酒場』へとやってきた。やはり、なにかがおかしい。
静かすぎるな。まるで喧騒が聞こえてこないではないか。一体全体どうしたというのだろう? 俺は不安を抱きつつも、酒場の木製扉を開いた。
ギイイィィ……
錆びた金具の音が、闇夜の空気に吸い込まれていった。
店内へ足を踏み入れると、なにやらものものしい空気が漂っているのを感じられた。いつもの賑やか大騒ぎはどこへやら。客の大多数は、新聞に目を通しているようだった。今日は読書日和なのか? そんなことを思いつつも、俺はヴェロニカの隣のカウンター席に腰かけた。
「どうしたんだ? 今日はやけに静かじゃないか。みんな新聞なんて読んじゃってさ」
「なんだ、お前まだ聞いてないのか?」
マスターは訝し気な表情を浮かべながら「あいよっ」と酒を注いでくれた。俺はそれを受け取り一口。その後、疑問を口にした。
「えーと、なにかあったんですか?」
「奴が出たなの」
ヴェロニカがいつにも増して真剣な声色でそう答えた。俺を見据える瞳にはかつてない程の気迫が感じられる。
「奴って、なんだ?」
ヴェロニカはマスターに新酒を注文し、それを一息に飲み干した。「美味しいなの」。そう静かに呟いてから、再び俺の方へと視線を向けた。
「『北界の守護神・アダマイトス』……。聞いたことくらいあるはずなの」
『北界の守護神・アダマイトス』……?
確かにどこかで聞いたような気がするが、イマイチ思い出せない。
そんな俺の肩を、何者かが背後から二度叩く。
「ん?」
振り向いた俺の視線の先には、よろず屋のおっちゃんがいた。俺はその顔を見て「あっ!」と思い出したのだった。確かに俺は『アダマイトス』という名を耳にしたことがある! この街にやって来てすぐの頃の話だ。
よろず屋のおっちゃんはなぜ自分がよろず屋一筋で生きてきたのかということを熱く語っていた。その時に『アダマイトス』というモンスターの名前を口にしていたのだ。
俺は特に気にもせずに聞いていたが、その『アダマイトス』を『マハの黒鉄』を元に生成した武器で倒した人間がいたのだとか。よろず屋のおっちゃんは英雄と称えていたっけな。
「はは、思い出したかい? あん時は本当に助かったよ」
「いえいえ。俺もあの時は良い経験が出来ましたから。お互い様ですよ」
「ははっ! 相変わらず謙虚だねぇアンタは!」
豪快に笑うよろず屋のおっちゃんを尻目に、俺はマスターへと問いかけた。
「それで、『アダマイトス』というのは具体的にどういうモンスターなんですか?」
俺はテイマーをやっているが、それでもやはり「モンスターのことならなんでも知っているぜ!」という訳にはいかない。なにせ十二歳から十七歳にかけての五年間を『英雄の誉』で過ごしてきたんだ。あんな辺鄙な村にいては、手に入る情報もたかが知れている。
今になって思えば、マッチョスは『英雄の誉』というパーティで高みへと昇り詰めるつもりなど初めからなかったのだろう。ある程度の評価を得てからは、狭く田舎者の多い場所で人生を謳歌する。それだけが目的だったように感じる。
本当に根っからの野心家だというのならば、あんなちっぽけな場所に留まっていようなどとは思わないはずなのだ。
「お山の大将で充分さ!」
そう言って笑うマッチョスの声が容易に想像できる。
「『北界の守護神・アダマイトス』。四聖獣の一匹なの。その名の通り、北方を守護するという役割を担ったモンスターで、ランクはSSS。神聖族の、最強の名を冠するモンスターの一角なの!」
「四聖獣だって!?」
四聖獣という言葉なら、流石の俺も耳にしたことがあった。
あんな辺鄙な『スラの町』にも伝わっているくらいなのだから、『ぺレスロウレ』の民の中では、知らない人間はいないのだろう。
「そうさ。四聖獣は四年に一度、いずれかの方角を守護するモンスターがランダムに出現するとされている。その名の通り守護神だから、いつも通りなら信仰の対象なんだがな……」
「と言いますと?」
マスターはヴェロニカと同じように、一気に酒を煽った。それから長く息をついて、いつもより少しだけ低い声で言った。
「出現した場所も時期も、てんでバラバラ。今回の『アダマイトス』は大昔『ぺレスロウレ』を破壊へと導いた『アダマイトス』と同じかもしれねぇってことだ。こういう年は数百年から数千年に一度訪れるんだ。その年代は俺たちの間ではこう語られる」
忌み年、と――。
「必ず、良くねぇことが起きるんだ。それも、世界単位のな」
マスターの声を聞いて、俺は少しだけ、寒気を覚えた。




