第一話「純白と美彩の泡沫」
それは遠き日の泡沫。今はもう忘れ去られた夢の残骸。
少女は友達の手を握りながら、キラキラとした瞳で画面に映る英雄に夢中になっている。
世はバトルヒロイン全盛期。魔法少女を初めとした変身ヒロインアニメはもちろん、女性が主役の特撮ドラマが放送されていたほどに。
そして、そんな特撮に夢中になっている少女こそがわたし。遠き日のわたし。
「―――ねえ、雪麗」
少女は呼ぶ。友の名を。画面から目を離さずに。
友はその呼びかけに指を絡めて応じる。
しっとりとした指から伝わる熱が自分と同じものだと感じ取ると、少女のきらめきはさらに増していく。
「―――って凄いね!強くてかわいい!」
繋いだ指に力が籠る。
「うん、そうだね」
それを感じてか、友はさらに深く指を絡ませる。
「わたしもなりたいなぁ。―――みたいに」
ああ、覚えている。
「だって世界一かわいくて強くてカッコいいなんて、最強じゃん」
この時感じていた全身を駆け巡る熱ときらめきを。
「うん。そうだね」
高鳴る心臓の音を。絡め合った指の痛みを。なのに、なのにどうして――――
「どうか、この想いを、2人の夢だけは―――」
どうしてわたしは、憧れたヒーローの顔も声も、あの時感じたきらめきでさえも――――思い出せないのだろうか。
ガラガラと椅子を引く音。パタパタとした足音。そんな音がアラームのように襲い掛かる。
なにか大事な夢を見ていた気がするのに。その記憶がどんどん離れていく。
このまま意識を手放せば、また夢の続きを見られる気がする。もう少し寝よう。
聞きなれた足音がわたしのすぐそばに迫っている気がするが気にしない。わたしの眠りを妨げるものは何人たりとも許さな――――
「……さちゃん。起きて」
身体が小刻みに揺らされている。
「ん―――……」
でもなんだかそれが心地よくて開きかけた瞼をもう一度閉じた。
しかしそんな微睡も、思考が回ると同時に薄れていく。
ここは学校で。親友の呼ぶ声がして。グラウンドから男子のにぎやかな声が聞こえてくる。
つまりは放課後で、今は下校時間。退屈な六時限目とホームルームはいつの間にか終わっていて、楽しい放課後ライフの幕開けという訳だ。
「んんーっ!!」
解放感に身を委ね、大きく伸びをする。そんなわたしの頭をやわらかな何かが支える。
「おはよう美彩ちゃん!」
「……頭が高いぞ、雪麗」
親友の日笠雪麗。先ほどから身体を揺すったり呼びかけたりわたしの頭を胸で支えていたりしていたのはこの子だ。
腰まで伸びる長い黒髪と泣きぼくろがチャームポイントの女の子。あと無駄に発育がいい。決して羨ましいとかではない。
雪麗はわたしの吐いた毒を気にも留めず、
「一緒に帰ろ!」
そう提案すると、くるくると回りながらわたしの席の前へ移動し笑顔で手を差し伸べる。
わたしはやれやれと苦笑し、親友が差し出した手を優雅にとると、席から立ちあがり、帰り支度をはじめた。
美彩ちゃんと二人の帰り道。
校門に集まった生徒たちに美彩ちゃんが軽く手を振ると黄色い悲鳴が上がる。当然だ。
すれ違う人々が振り返るのを感じる。当然だ。
散歩していた犬さえも立ち止まり美彩ちゃんをみている。当然だ!
彼らは美彩ちゃんを見ているのだ。
ふわりと風になびくブロンドの髪。ガラス細工のように煌びやかなエメラルドの瞳。雪のようにきめ細かく穢れのない白い肌。
決して贔屓目で見てはいない。彼女は誰にも負けない美貌を持って産まれた、世界一美しい小学五年生神月美彩なのだから。
「美彩ちゃんの髪、今日もきれいだねー」
セツは当たり前の賛美を息を吐くように呟くと、水と戯れるように美彩の髪を手の中で転がした。
「やめて」
容赦のない美彩のエルボーがみぞうちに入る。
「ぐえっ」
思わず、醜い声が飛び出す。とても乙女の出していい声ではない。
「あんまり髪には触れないで。でも……」
「でも?」
「褒められるのは悪い気分じゃないよ」
美彩の視線がわずかに下へ逸れる。よく見ると耳がほんのり赤くなっている。ああ、なんて愛らしい生き物なのか。
「うん!」
思わず抱きしめそうになるが、大きな声で返事することでその欲求を抑える。
抱きしめたら最後、天国と地獄を両方味わう未来が見える。美彩ちゃんのエルボーは痛いし、それ以上にランドセルが邪魔だ。後ろから抱きしめたところであんまり気持ちよくないのだ。
トコトコ歩く後ろ姿。ゆらゆらきらめくブロンドのポニーテールの毛先が、背負ったランドセルの頭を撫でている。
世界の中でただ一人、セツだけが見ることを許された桃源郷がここにある。
「いいな、いいなぁ。セツは生まれ変わったら美彩ちゃんのランドセルになりたいな」
「何言ってるのよ、気持ち悪い」
美彩がちらりと軽蔑の視線を向けてくるが気にしない。
「雪麗。わたしはね、雪麗のこととっても素敵だと思ってるのよ」
「へっ?」
突然の告白に思わず、足が止まる。いや時間が止まる。世界が止まる。
静止した世界の中で美彩ちゃんの言葉が脳内で回り続ける。素敵……?素敵。すてき?ステーキ?
「雪麗?ちょっと聞いてる?」
「あ、はい」
「まあいいけど。あのね、雪麗。雪麗は羨む必要なんてないよ。こんな素敵な女の子、他にいないもの。このわたしが認めてあげるんだから誇りに思いなさい」
背中越しにそう語る美彩の真意はわからないけれど。美彩ちゃんがセツを褒めてくれた。その事実だけがとっても嬉しくて。
「えへへ、ありがとう。美彩ちゃん!」
「だぁ!抱き着くな!」
エルボーが来るのをわかってて、思わず天国にダイブしてしまったのだった。
黄昏時の校舎内をわたしは一人教室を目指して歩く。
結局あの後、雪麗はなにをしても離れず、抱きつかれながら帰ることとなった。困った親友だ。
家に帰り、やけに軽いランドセルをベッドの上に放り投げてから宿題の存在を思い出し、急いで校舎へ引き返した。
忘れ物を取りに来た旨を担任の先生に話し、鍵を受け取り教室へと向かう。
黄昏時。昼と夜の境目の時間。その時間になると異界との境界が歪み、魔の物が跋扈する。そんなことを得意げに話していた雪麗のことを思い出す。
怪談や都市伝説の類が大好きな雪麗は、嫌がるわたしをよそに得意げにその手の話をすることがある。きっとあれは嫌がるわたしを見て楽しんでいるのだ。本当に困った親友だ。
しかし嫌な時に嫌なことを思い出してしまった。あとで雪麗にはお仕置きしないといけない。
教室は三階の階段側。なので階段さえ上ってしまえばすぐにたどり着けるのだが、こうも薄気味悪いと階段を上りきるまでの時間が永遠に感じる。
もしかするとこの階段を上りきったら異界とやらに入ってしまうのではないか。そんな底知れぬ予感に心細さを感じ、わたしは自分の影を見つめた。
「なにもないといいけど…」
影に向かって独り言をつぶやくと、わたしはまた階段を上り始める。
結局、なにも起こらないまま教室まで辿り着いた。一人で勝手に怯え、無駄にびくびくしていただけ。情けなくて涙が出そうだ。変なことを吹き込んだ雪麗には後で酷いお仕置きをしないといけない。
鍵を開け、教室へ入る。そこで、
バリン―――――ッ!
ガラスが砕けるような音が脳内に響いた。
「な、なに……?」
一変する空気。教室の窓から見える空は一瞬で赤黒く塗り替わり、うっすらと廊下を照らしていた蛍光灯は一斉にバチバチと音を立てて点滅し、やがて光を失った。
異変を感じ取った心臓がバクバクと警鐘を鳴らす。これは明らかな異常事態だ。オカルトだ。怪奇現象だ。雪麗許さない。
今すぐここから逃げ出さなければならない。だが知っている。こういう時はお約束というものがある。当然勝手にしまった教室の扉は開かない。いくら叩いても窓ガラスは割れない。このあとに起こる展開など決まっている。
突如床に描かれる光る魔法陣。そこからウサギ頭の毛糸の怪人がゆっくり這い出てくる。昔見たアニメにこういう展開があった。物語の導入として襲われる奴だ。テンプレすぎて少し笑ってしまう。
見た目もかなりファンシーな怪物だが、恐ろしくてたまらない。あれは絶対にろくでもないものだ。
「ミ……ツケ…た………」
人間の大人程の体躯を持つそいつはそう呟くと、ゆっくりとわたしに迫る。
「い、いや……っ!」
震えながら後退りするも、すぐに壁にぶつかる。逃げる場所などない。もうダメだと諦めて座り込み、影に触れようとしたその時だった。
「させるかああああああああああっ!!!!!!!」
割れるはずのない扉を蹴破り、わたしと怪物の間に割って入ったのは。わたしの視界を一瞬のうちに真っ白なパンツで埋め尽くしたそいつは。
ミニスカートの女子高生だった。
「せええええいやああああああああっ!!!」
わたしの目の前で女子高生と怪物が戦いを繰り広げている、はずだ。
なにしろわたしには戦ってる姿は見えない。わたしに見えているのはたなびくスカートと、そして真っ白なパンツだけだ。
ドカドカ音はするし、掛け声と怪物の苦しむ叫びは聞こえてくるのだが情報源はそれしかない。
「クソ!やっぱり生身だとダメージが薄いか……。おい、あんた!」
おしりの主が喋りだす。
「は、はい?」
「俺が合図したら目を閉じろ!わかったな!」
「わ、わかりました」
至極真面目なおしりさんは、俺っ子らしい。どんな顔をしているのか拝んでやりたいがそんな暇はない。
「いまだっ!!!」
おしりさんが叫ぶ。わたしは目を閉じる。
「ライト……アアアアアアアアアアアアアアアアアッッップ!!!!!!!!!!」
叫び声と共に、目を瞑っていても感じ取れるほどの光が彼女から放たれる。
しかし、それも一瞬のこと。うっすらと目を開けると、
「えっ?」
目の前にあったはずのおしりは銀色に変わっていた。
「おらああああっ!!!」
銀色のロボットのような見た目をしたそいつは、怪物にタックルを仕掛け、そのまま壁へ押し込んだ。
わたしはあれを知っているような気がする。そうあれはまるで、“―――――”特撮ヒーローそのものだ。
おしりのお姉さんは特撮ヒーローに変身したのだ。
「ルナティックキャリバー!」
お姉さんの叫びに呼応するかのように、掲げた右手に巨大な剣が投影されていく。アニメに出てきそうなド派手な装飾を施されたファンタジー調のその剣は、刀身は三日月型をしていて、全長は持ち主と同じくらいの巨大さだ。
「これで、しまいだあああああああああああああ!!!!!!!」
薙ぎ払われた刀身に怪物は両断され、爆散する。
それはまるで特撮番組のワンシーンのようで。わたしは釘付けになった。
この心に灯る熱に覚えがある。しかし、それがなんだったかを思い出せない。だけど―――
「ふぅ――――――」
ヒーローの変身が解かれる。あの制服は知っている。近所にある女子校の制服だ。
思っていたより身長は低い、気がする。目測で160くらいだろうか。短く癖の強い白髪がとても印象的だ。
「あんた大丈夫だったか?」
そう言って振り向いた笑顔に少しドキリとする。
中性的な顔立ち。高い鼻、切れ長の眼。
わたしほどじゃないが、すごく、すっごく美しい顔をしている。
「? おいきこえて――――」
一瞬の出来事だった。
凄まじい轟音とともにお姉さんは上から突如現れたピンク色の光の柱に飲まれた。
光はすぐに消え、お姉さんのいた位置には巨大な穴が開いていた。
「おね、おねえさん!?」
慌てて、穴の近くまで走る。
「えへへー!ブイ!悪者はやっつけたぞ!」
恐る恐る穴の下を覗こうとしたとき、妙に明るい声が頭上から聞こえた。
声を辿り、上を見上げると白とピンクの衣装を身に纏った少女が、ふわふわと浮かんでいた。―――そう、あれは………
「君大丈夫だった?まあ大丈夫だよね!なんたってこの魔法少女スイートフェザーがきたんだもの!もう安心っしょ」
「まほう……しょうじょ……」