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最高の物語  作者: 谷中英男
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  年の瀬も押し迫る真冬のある日、僕は久々に先輩に会うことになった。学生のころから何かと気にかけてくれる優しい人で、大門さんとの出会いのきっかけを作ってくれた大事な人だ。そんな先輩とも、大門さんと出会ってから会う機会がめっきり減ってしまった。もちろん、先輩が嫌いになったわけでも、喧嘩したりして気まずくなったわけでもない。ただ、僕の中で大門さんとの約束が何よりも大切で重要なものになってしまっただけ。大門さんに会えない日が長くなればなるほど、僕の中に芽生えた何かが枯れてしまう気がしてならなかった。だから、暇さえあれば大門さんと会い、大門さんに用事があっても、もしかしたら会えることになるかもしれないという淡い期待に心躍らせ、誰からの誘いでも断っていた。今日も、いつもなら用事があると断り、大門さんからの連絡に期待しているところだった。だけど、僕と大門さんを引き合わせてくれた先輩の誘いを断るなんてできなかった。もし断れば、僕は先輩との絆を無下にすることになり、僕と大門さんの出会いを否定するような気がしてならなかったから。  

 僕らは、地元にある学生のころから入り浸っていた居酒屋へと足を運んだ。以前とは様変わりした従業員に二人で時の流れを感じながらも、当時から変わらぬ内装に安心と興奮をして、酒を飲みかわし始めた。お互いに近況を報告しあい、先輩は僕が仕事を辞めたことに、一瞬悲しそうな顔をしていた。仕事を辞めた経緯に思い当たることでもあったのだろう、先輩はその話を詳しく聞こうとはせず、優しく頷くだけだった。

 お互いに近況報告も終わり、話のネタは自然と思いで話へと移った。学生の頃にやった数々の愚行に二人で馬鹿笑いし、在りし日の青春を懐かしんだ。

 絶え間なく続いていた言葉の嵐が唐突に止み、一瞬の静寂が鳴り響いた。お互いにグラスを傾け、静寂を打ち破る言葉を探す。僕はこの静寂を打ち破るのが苦手だった。せっかく温まった空気を、一気に冷めさせるかもしれないという不安がよぎるから。

 この時もいつものごとく僕の頭に不安がよぎり、一瞬躊躇したところで、先輩が一足先に思い出したように口を開いた。それは大門さんについてだった。僕らが出会った後も親交は続いているのかという確認じみたもの。何気ない口調だったが、今までの先輩の語気とは少し違う感じがした。何か後悔と悲しみが含まれた語調。先輩は何をそんなに気にしているのだろう。もしかして、大門さんと僕の仲に嫉妬しているのだろうか。だとしたら、それは当然の結果だ。あんなに魅力的な人を僕に独り占めされているのだから。大門さんは僕のために時間を割き、僕のために言葉を紡ぐ。そんな存在を自分のせいで横取りされれば、僕だって正常じゃいられない。嫉妬に狂い何をしでかすかわかったもんじゃない。池田さんはそんな感情をほとんど表に表さずに、至って冷静に話している。僕は改めて池田さんに尊敬の念を抱き、彼の境遇に同情した。

 僕は感謝の意味も込めて、池田さんに大門さんとの充実した日々を語った。


 彼のおかげで視野が広がったこと。

 彼のおかげで無意味な日常から抜け出せたこと。

 彼の言葉が、存在が僕を魅了してやまないこと。


 池田さんは黙って僕の話に聞き入っていた。瞳に悲しみを宿しつつ、微笑みを保ちながら。

 大門さんへの告白ともとられかねない吐露を終え、僕は一息ついた。ここまで内面を晒し出したことに後悔を覚えながらも、それを上回る充足感が僕を満たした。大門さんの魅力を分かち合えるのは、本当の大門さんを知っている数少ない人だけだから。だから、僕は池田さんとこの感情を分かち合いつつ、池田さんに自慢するようなことをしてしまった。池田さんに対し優越感に浸り、自分がいかに特別か再認識するために。

 池田さんは依然として瞳に悲しさを宿らせながら、気まずそうに口を開いた。


「この前、大門と飲んだ時に聞いた話なんだけど。あいつは今、自分の考えを誰かに植え付けて、自分の望む人間を創ろうとしているらしいんだ。馬鹿な話に聞こえるかもしれないけど、あいつの目は真剣だった」


 池田さんは心配そうに僕を見つめる。


「俺が何をいいたいかわかる? 松田君の話を聞いていたら、もしかしたら君が何か知っているんじゃないかと思ったんだけど」


 憐れみと同情に彩られた言葉だった。池田さんの悲しげな瞳はこれだったんだ。彼は言葉を濁しているけど、僕を大門さんに洗脳された哀れな人間だと思っているんだ。非常に心外な物言いだし、目に余るほどの愚行だ。僕が大門さんに洗脳されているわけがない。僕は僕の意志で大門さんの言葉を選び自分のものにしている。世間のしがらみから自分の意志で脱し、自分の望んだ道を歩いているんだ。

 僕はぶっきらぼうに「知らない」と答え、気まずい雰囲気が漂った。

 その後は話もいまいち盛り上がらず、解散することになった。店を出て、別れの挨拶を告げると、池田さんは何かいいたげな顔をしていたが、彼に背を向けそそくさと家に足を運び始めた。池田さんが追ってくる気配はもちろんない。僕は無礼な態度に少し罪悪感を抱えながらも、大門さんを悪くいう池田さんに怒りを覚えた。いくら僕らの仲に嫉妬しているからといって、あんなことをいうのは失礼にもほどがある。百歩譲ってあの場にいた僕に対して嫌みの一つは許されよう、でもあの空間にいなかった大門さんについて憶測を巡らし、彼を貶めるようなことは許されない。僕が大門さんを尊敬していることを知っているのなら、なおさらだ。

 肌を切り裂くような夜風を浴びているうちに酔いもさめ、冷静さも取り戻してきた。池田さんへの怒りも鎮火してきた。あれは池田さんなりの優しさだったんだろう。仕事を辞め、自由に生きる僕が心配になったんだ。でも、なぜわざわざ大門さんを引き合いに出したんだろう。僕が大門さんを尊敬しているのを知っていながら。大門さんを引き合いに出せば話を聞くと思った? 

 池田さんはそんな回りくどいことをするだろうか。あの人はそんなこざかしい手を使うような人じゃない。真面目で実直な人だ。大門さんを貶める可能性があることを口にすることなんかあるはずがない。それが事実でなければ。ということは、本当に池田さんの話が正しいのか?

 大門さんの言葉は僕のためを思った、愛のある言葉だった。僕のために選び抜かれ、紡がれた言葉だった。それが利己的なものだったとは思えない。僕のために時間を割き、寄り添ったのは自分のためだったのか? そんなことは信じられなかった。信じたくなかった。すべてを池田さんのせいにして、大門さんへの揺るがぬ信頼に身を任せたかった。

 池田さんのいったことは真実なんだろう。ナイフのように鋭い夜風が僕に気づかせる。いや、池田さんの言葉を聞いてから気づいてはいたんだ、だけど認めることができなかっただけだ。だけど、気づいてしまった。何か裏がなければ、他人にあれだけ時間を割き、親身になって相談に乗ったりするわけがないと。

 大門さんは自己中心的で、僕のために無為に時間を消費する人間じゃない。世間が賛美するような自己犠牲なんてものを、あの人が持ち合わせているわけがない。大門さんと長い時間を過ごし、彼の言葉を聞き続けた僕にはわかる。

 大門さんへの憎悪が湧きあがる。大門さんにいいように弄ばれた自分に腹が立つ。大門さんの後押しのせいで僕は仕事を辞めた。大門さんの言葉のせいで僕は友達を失い孤独になった。大切な先輩も失いかけている。すべては大門さんのせいだ。大門さんのせいで平凡だけど順風満帆だった僕の人生は終わりを告げた。誰からも後ろ指さされ、世間から爪弾きにされる存在になってしまった。

 僕の心は絶望と後悔で覆われた。もう取り返しのつかないところまで来てしまっている。大門さんの影響は僕の心の奥深くに根差し除去できない。大門さんに会えば会うほど、彼の言葉を吸収し成長していく。

 大門さんがいなくなればどうだろうか。大門さんの言葉という養分を失い、彼の影響は次第に萎れ、朽ち果てるかもしれない。いや、朽ち果てるはずだ。大門さんに会わないと彼の影響が薄まるのを感じ、不安になっていたじゃないか。簡単な話だ。大門さんに会わない方法を考えればいい。

 僕を弄んだ罰を下さなければ。


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