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最高の物語  作者: 谷中英男
7/9

6

 熱気と喧騒が支配した空間。私はそこで昔馴染みと会っていた。昔馴染みの名前は池田優。中肉中背で、どこか親しみ深い顔をしている。いい意味でどこにでもいそうな男で、私が心を許せる数少ない友人だ。

 私たちはお互いの近況を報告しつつ、他愛もない話をしていた。そんな中で、池田はなんの脈絡もなく訊ねた。


「結婚しないの?」


 突然のことで私は困惑したが、そのつもりはないと教えてやった――両親や親族の結婚生活の行く末、自分の考えを交えて。

 池田はちびちびとグラスを煽りながら、黙って話を聞いていた。


「思うに、共通の趣味を持つことが大切だと思うよ。恋人を作るには」


 私の話を聞いていなかったのか、用意してきた返答なのか、池田はそういった。そのまま、私の言葉も待たずに質問を続ける。 


「趣味ってあったっけ?」


 池田の話が見えず、訝しがりながらぶっきらぼうに「読書」と答える。

 池田のシナリオ通りだったのだろう、彼はこくりと頷いた。


「読書みたいに受動的な趣味だけじゃなく、能動的で創造的な趣味を持つべきだよ。恋人を作って、結婚したいならなおさら」


 池田の瞳の中に煌めきが映った。私を卑下する忌々しい煌めきが。


「例えば、俺みたいに絵を描いてみるとか。それか曲を作るとか、模型を作ってみるとかね。そういう趣味を持つことで、趣味の幅を広げて、いろんな人と出会うことができるんだよ。でも、受動的な趣味と、能動的な趣味を併せ持ってる人って少ないんだよ。大体どちらかしかなくて、両方持てば片方の趣味に違った視点でアプローチできることを知らない。だから、両方を併せ持ってみることをお勧めするよ。まあ、それって難しいことなんだけどね。俺も苦労したよ。特に絵を描く方が。でも、それでいろいろな人に会えて、いろんな価値観を知れた」


 私に読書しか趣味がないと思い込んでいる池田の、遠回しな批判。自分が創作活動をしているから、それが究極にして至高なものだと思い込んでいるゆえの押しつけ。池田の言葉はそのようにしか聞こえなかった。彼はそんな人間ではないはずだが。


「結婚するっていうのは、他人同士が同じ屋根の下で暮らすっていうことだから、いくらお互いが好きであっても、価値観が合わなきゃ結婚生活は破綻すると思うんだ。お互いに妥協し続けるわけにもいかないし――」


 求めてもいないアドバイスを滔々と述べる池田。自分も結婚なんて考えてもいないのに、よく偉そうにことをいえるものだ。恋人もいないくせに。

 池田は結婚だなんだという話は捨て置き、自分の絵描きとしての方向性や、絵描き仲間との話をのべつ幕なしに語り続けた。

 私は池田の話を真面目腐った表情で聞いていた。時折相槌を入れつつ、彼の好きなように話をさせる。そんな私の姿に快くして、彼はなおも話し続けた。

 不毛な時間だった。私にはなんの影響もない、独善的な物言いを聞いているのは。彼は自分の考えがどこまでも正しく、万人が受け入れるべき唯一の道だと信じて疑わない。そんな考えを持つのは構わないし、それを私以外の誰かに偉そうに語るのは気にしない。私が気に入らないのは、彼がその話を誰にでもすることだ。相手がどんな人間か考えることもせずに。まるで、自分が迷える子羊を導ける唯一の羊飼いのように思っている。そんな考えは間違いだ。人にはそれぞれ進むべき道があり、万人を導けるなんてことはありえない。それぞれ適した道へと導くことが最善のはずだ。私も彼のように他人に自分の考えを唯一絶対のように語ることがある。松田君に話している時がまさにそれだ。これも池田の行動に共通するものがあるが、決して一緒ではない。松田君には私の思想を吸収したいという欲望が感じられ、私も彼を創り変えたいと思う欲望で溢れている。彼は私を欲し、私も彼を欲しているのだ。池田は求められなくとも、無理矢理押しつける。私は求めたものにしか手を差し伸べない。それが私と池田の違いだろう。第三者から見れば似たようなものかもしれない。しかし、お互いに自分の考えに誇りを持っているからこそ、受け入れることはできないだろう。お互いを嫌悪し、親の仇のように憎しみ合うだろう。私が何ものにも染まっていない白いキャンバスを演じ続けるのをやめた時には。

 池田の話は延々と続き、私は粛々と酒を飲み続けた。


 大門はいつものように静かに俺の話を聞きながら、酒を飲み続けている。絶好の聴衆を得た俺は、日頃体験したことからこしらえた経験則を大門に話し続けた。大門には俺の話が必要なんだ。不安定な生活は大門のためにならない。不安定な生活は精神に、思考に、肉体に異常をきたす。異常をきたした精神、思考、肉体はより一層不安定に拍車をかけ、そこから抜け出せなくなってしまう。もちろん、大門にも思うところはあるはずだ。このままではいけないと。不安定な生活から脱却するべきだと。誰もが安定した生活を望み、大門もそれを望んでいる。大門は自分の状況を客観視できないほど愚かじゃない。ただ、そのためのきっかけがつかめていないだけだ。ならば助けなければ。古い友人である俺が。俺が大門を助けなくてどうする? 学生の頃からの付き合いで、苦楽を共にしてきた友達を救うのは当然じゃないか。少しでも大門から不安定を取り除くために、俺の言葉を聞かせよう。


 俺と大門は酒を飲み続けた。

 俺は大門に語り続けた。

 大門は俺の話を聞き続けた。


 いったいどれだけの時間がたっただろう。辺りに満ちていた喧騒は消え去り、二人だけの空間が出来上がっていた。俺の顔は紅潮し、大門への話に熱が入る。尽きることのない話は滝のように流れ出る。

 延々と話し続けた俺の喉は、気付けば渇きを覚えていた。グラスへと手を伸ばすも、そこには出がらしのような酒しか残っていない。大門のも同じだった。溶けた氷の入ったグラスを祈るように包み込み、俺の話に聞き入っている。

 俺はちょうどよく通りかかった店員を呼び止め、二人分の酒を注文した。大門は俺に微笑みかけ、感謝の意を無言で表する。

 喉を潤すまでの短い時間、二人の間には心地良い沈黙が流れた……。

 店員の場違いな声が響き、二人に望みのものが届いた。お互いにゆっくりと酒を口に運び、今日の邂逅が終わりに近いことを認識する。お互いの心境を慮り、一瞬、気まずい静寂がその場を支配した。どちらも相手に気を使い、遠慮しあった気まずい瞬間。それを打破しようと出鱈目に言葉を発しかけると、大門が訊ねた。


「能動的で創造的な趣味を持った方がいい、と君はいったね?」


 さっきの話に感銘でも受けたのだろうか。酔いのせいか焦点の定まらない視線を俺に向け、大門は答えを待っている。俺は不規則に揺れ動く瞳を見つめながら頷いた。大門は俺の反応を見ていなかったかのように、おもむろにタバコに火をつけ、一服する。さっきの質問にどんな意図があったんだ? 俺は困惑しながらも、大門が話し出すのを待った。

 そんな俺をお構いなしに、大門はゆっくりと一本のタバコを吸い続けた。タバコを吸わない俺からしたら苦痛だった。十分ほどの手持ち無沙汰な時間。俺に帰ろうと促しているのかとも思い、グラスの中を空けようとちびちびやっていた。そんな俺の行動を知ってか知らずか、大門はやっとタバコの火を消し、再び口を開いた。


「私にもあるんだ。創造的な趣味が」


 随分そっけない調子だった。堅苦しく、よそよそしい言い方のせいもあってか。

 なんの説明もなく待たされたせいで、そんなことかと拍子抜けする。でも、すぐに大門の言う「創造的な趣味」に興味が湧いた。今まで、大門と長い時間を過ごしてきたけど、そんな素振りは微塵も見せなかった。なぜかいつも大門の話は聞かずに、俺の話ばかりしていた。何か聞こうと思っていても、気付けば俺が話している。秘密を打ち明けるのはいつも俺だった。それは俺のせいなのか、それとも大門のせいなのか。たぶん俺のせいなんだろう。俺が話したいことを、文句もいわずに聞いてくれる大門に甘えていたんだ。だから、今回は真剣に聞いてやろう。いつもの恩返しに。大門が秘密を打ち明けてくれるのだから。それに、創造的な趣味ならお互いにいい刺激が得られるかもしれない。


「それは私の思想を色濃く反映した人物を創り出すことだ。一つの作品として。その表情を見ると、理解できていないようだから、もう少し詳しく話そう。私が望むのは、私の思想を受け継ぎ、それを実行する人間だ。君は思うだろう。自分の思想なのだから、それを吹き込んだ人間を創る必要はないと。それは違うんだ。私の思想は、私一人では完成しない。私と同じくらい、私の思想を理解した人間がもう一人必要なんだ。私の思想を描いた作品。私の思想を理解し、実行する作品。それを創るのが私の趣味だ」


 俺の困惑をよそに、話は続く。


「そして、私は探した。私の思想を描けるキャンバスを。私の思想を描けるキャンバスは、限りなく白に近くなければいけない。つまり、それは純粋で、好奇心溢れる心の持ち主。できるだけ若く何物にも染まっていない。それは幼子でしかありえず、その幼子を手に入れるのは困難なはずだった。だが、私は幸運に恵まれた。すでに成人し、物を考えられる年齢でありながら、純粋な青年を見つけたのだ。名前は伏せるが君の後輩だ。君が私に創作のチャンスを与えてくれたんだよ」


 興奮した調子で捲し立て、俺に感謝の言葉を述べて大門は話を続けた。


「一見、彼はどこにでもいるような目立たない青年だった。私にいわせればね。彼は今まで影響を受けてきた思想が、あたかも自分が人生の中で導き出した唯一のものだと信じている愚かな人間と同じに見えた。だが、彼と話し、彼を観察しているうちに、私が求めているものだと気づいた。彼は自分の思考に不安を抱いていた。周りが愚直に妥協していく様に恐怖を覚えていた。自分が信じるに値する何かを求めていた。そして、私に出会った。彼は一瞬で私の思想に憑りつかれ、私を崇拝した。私の思想を貪欲に求め、私に近づこうとした」


 大門の瞳は、今までにないほど輝いていた。自分の自慢の玩具を披露する子供のように。


「そして、私は彼にすべてを描くことを決めた。私が望んだ白いキャンバスではなかったが、そこに描かれている彼自身に私の思想を描き足すことで、私が望んだ以上を創り出せると確信したから。それから私の人生は薔薇色だ。私が吸収し、蓄積し、洗練した思想を、彼に惜しみなく注ぎ込む日々。もちろん、彼はすべてをなんの抗もなく受け入れたわけではない。時には反発し、拒絶した。だが、彼のそんな行動こそ、私に染まっていっている証拠だった。常識に反する私の思想に激しく反発し、拒絶するということは、抗いがたい魅力を感じているということだからだよ。彼の矮小な常識がその事実を隠すために大げさな反応を示したに過ぎない。つまり、心の奥底、本当の自分は私を求めていた。大げさな反応は、常識ぶったポーズに過ぎなかったわけだ。彼の心の奥底には、拒絶した思想が刻み込まれた。彼が素直に受け入れた思想よりも強烈にね。激しく拒絶したからこそ、鮮明に。そうやって、彼は自分で取捨選択しながら私の思想を受け入れているつもりになっていたが、気付かぬうちに私の思想すべてを受け入れていた。彼のキャンバスは私の思想で大きく占められ、彼の痕跡は少ない。もう完成は目の前だ。私の作品は完成する」


 大門は満足気に語った。信じられないような話だけど、信じるほかない。大門の瞳は真剣そのものだったから。それに、こんな嘘を吐く意味はない。同じ創作活動をする者として、大門の創造に懸ける思いは伝わった。

 大門は何もいえぬ俺を気にも留めず、グラスの中身を空けて、帰り支度を始めた。身の回りの品をまとめ、上着に袖を通したところで、思い立ったように口を開いた。


「君も見ることになるよ。私の作品を。近いうちにね」


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