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私は私が迎える最良の最後を創り出すことができないでいた。私自身の美の概念も同様に創り出せず、剽窃家の身分に甘んじていた。
陰鬱な日々だった。美を享受したはずの私に、美を語る言葉も、明確な美の概念も存在しなかった。私の内に存在するのは、先人が生み出した言葉と、曖昧なイメージにすぎなかった。あたかも自ら美の概念を生み出し、創造主のように振舞う、虚飾にまみれた道化。それが私だった。借り物で繕った雑多な美を着こなす醜い私。
そんな虚飾にまみれた醜悪な私だったが、私の周りには私を慕う人間が少なからずいた。同年代や、特に年下が私を囲った。私が拝借した美の概念から来る流儀、凝り固まった既成概念を堅守する人間に対するそっけない振る舞い、世間など気にしない行動、それらが、行く先もまだ定まらぬ若者を惹きつけたのだろう。彼らは私の中に自由を見出し、たどり着くことのない理想郷を夢想した。
そんな私を慕う人々との交流の中で、私は運命の人と出会った。私の友人が連れてきた「松田」という青年。彼は整った顔立ちでどこか中性的な雰囲気を匂わせつつも、世間が求める通俗性の象徴たる人物だった。彼の振りまく普遍的な愛想、優しげでどこか不安げなまなざし、謙虚さ溢れる振る舞い、それらのおかげで彼は世間から好意的に受け入れられるだろう。いや、すでに受け入れられ、それゆえいつものごとく受け入れられるために、それらの振る舞いを無意識に披露したのだろう。彼を紹介する友人の横で微笑む彼を見て、私はそう思った。
世間の象徴のような彼に、もちろんなんの興味も沸かなかった。彼のことなど気にも留めず、友人と話し込んだ。友人も話に夢中になり、彼のことなど眼中にない。彼にとっては居心地の悪い環境だろう。自分の存在を無視されるほど堪えることはない。私はそんな彼の苦痛に歪む表情を拝もうとした。もちろん、露骨に感情を表すことはしないはずだ。彼のような人間は、他人から嫌われることをひどく嫌う。ちょっとした仕草で私たちの気を引くか、話が終わるまで気配を消すのが定石だ。私たちに気づかれるまで、あたかも話に加わっているかのように振る舞い、油断なく愛敬を振りまくだろう。そんな醜悪な振る舞いを私は期待した。他人に迎合し、己の信念も持たない下卑たる微笑みを嘲笑してやろうと息巻いた。彼を、私が嫌うものと断定し、私の領域から排除したかった。だが、気取られないように盗み見た彼の顔には、どんな微笑みも存在しなかった、しえなかった。露骨なまでの不快感が彼の表情を支配していたから。世間の誰もがかぶる醜い仮面ではなく、ありのままの自分を曝け出す彼。私が想像した彼ではなかった、もちろん、世間の一員にも見ることができないものだった。己の不快感を隠そうともしない、ある種の純粋さが見えた。子供のような純粋さ、いつの日か失う輝かしい光。私は彼に興味が湧いた。もしかしたら、彼も私のように世間と敵対し、仲間を募る同士なのかと期待したから。私は友人との会話を唐突に中断し、彼に質問した――どうでもいい他愛のない質問を。彼は急な問いかけに驚きながらも、余所行きの綺麗な仮面をかぶり、顔を朱に染めながら答えた。私はたどたどしくも誠実な受け答えに好感を覚えた。
それから私は彼と二人きりになり、長いこと話し込んだ。話し込んだといっても、彼を探るために、私の望む方向へ誘導したに過ぎないが。彼からしてみれば、大いに語らい合ったと疑わないだろう。
この語らいも終始順調なものではなかった。まず、彼の余所行きの仮面をはぎ取るのに難儀した。私と友人の会話の最中は仮面を脱ぎ去っていた彼だったが、一度私が意識を向けた結果、どんな質問にも教科書通りの返答をし、私が盗み見た純粋さを無意識に隠していた。まさに世間の一員たる対応だった。無機質でなんの温かみもない言動。私はそんな彼の振る舞いに対し根気強く対処し、彼の本心を聞き出すために借り物の思想を披露し続けた。
長いことくだらない応酬が続いた後、彼は唐突に自らの不安を口にした。
周りの妥協していく様。
それを大人になったと諭す人々。
自分もその流れに屈しそうになっているという事実。
私の待ちわびた瞬間だった。醜く整えられた仮面を脱ぎ捨て、彼は素顔を再び表した。
彼の口にしたことは、彼の年代なら当然のごとく持ち得る普遍的なものだった。だが、その普遍的なことを私のような初対面の人間に告白し、抗おうとする姿勢に私は歓喜した。彼こそ私が求めたものだ。世間という名の仮面をかぶりながらも、その世間に疑問を抱き、世間に抗うもの。しかし、このままでは彼も世間という名の大多数に染まり、退屈で怠惰な一生を送ることになるだろう。そんなことは私が認めない。彼のような人間はそんな怠惰で恥知らずな人間になってはいけない。
そこで私はすべてを理解した。彼は私を最高の最後に導くための天使だと。彼が私を高みに導くことができる唯一の存在なのだと。彼のおかげで、私はあの主人公のような最後を迎えずにすむのだ。彼を私の望む存在へ創り替え、彼は私を最高の最後へ導く。全ての駒が出そろった。あとは私がその使命に屈せず、その使命を全うするだけ。
私は彼を導くための、そして、私の望む最後のための最初の言葉を探した。私の頭の中にあるのは私の尊敬する偉人たちの言葉だけだった。ここまで来ても、私は他人の言葉でしか私の美を語れない。その事実に落胆した、辟易した。
すぐさま私は気づいた。それこそが私の美なのだと。他人の言葉をあたかも自分の言葉かのように駆使し、他人に影響を与える。そうして、私は私の望む最高の最後を迎える。それが私の美だ。私が生み出した唯一にして至高の概念なのだ。私は彼に悟られぬように、あたかも私が作り出した言葉のように流暢に語り掛けた。
「君は世間を気にし過ぎだ。自分らしくあれ。他人の猿真似は醜いぞ」
彼の瞳は羨望と、好奇心で輝いていた。私の作戦は成功したのだ。彼は私の虜になるだろう。すでにお預けを食らった犬のように鼻息荒く、黙って私の言葉を待っている。彼のその無垢で純粋な態度に私は心揺らいだが、心を鬼にし、溢れ出しそうになる言葉を押し込めた。ここで彼の望む言葉を吐き続ければ、確かに彼は満足するだろう。だが、彼はそれで満足して、私との邂逅を望むことはなくなるだ。それでは私の望むものは得られない。
私は適当に理由を告げ、この邂逅を終わらせた。あっけない終わりに彼は呆然としていたが、すぐさま私との再会を望み、日取りを決めた。
全てが私の思う通りに進んでいる。
この出来事が私と彼を変えたのはいうまでもない。私は剽窃家の身分を享受し、私の行く末を見定めた。彼は私という最高の師を迎え、世間から決別する。