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君の心は曇り、時々幸せ。  作者: シュート
第1章
3/39

ミッション失敗

「ただいま~」

「お帰りなさいお兄ちゃん。何ですか今日はいつにも増してくたびれた顔をしていますね。見ているだけで不快です」

「そう言うなよ。お兄ちゃんはこれでも頑張ってるんでちゅよー」

「キモイです。死にやがれです」

「……はい。すいません」

 やっと意中の異性と話が出来たというのに俺はなんて顔をしているのだろうか。

 いやいや。家にいる時だけでも心を入れ替えたつもりで。

「俺を分かってくれるのは未来だけだよ」

 もう中二にもなる妹に抱き着くと、ためらいもなく腹を蹴られた。

「気持ち悪いです! もうなんか今日のお兄ちゃんは変です! バカです。アホです。うんこです!」

「なあ。うんこは言いすぎじゃないか?」

「控えめに言ってます」

 これだけ暴言を吐いても、温かいごはんを作ってくれている未来に感謝をし、一緒に食事をした。言ってしまえば家にいるこの時だけが気の休まる唯一の時間なのだ。

 食事を終え、風呂を済ませると性懲りもなくまたベッドの上でスマホをいじり始めた。

 そして今日の5、6時間目を受けていないことを思い出し、教材を取り出そうとする。しかし、学校にバッグを置いてきたことに気づき、仕方なく部屋にあった過去の問題集で勉強を始めた。

 始めてから1時間は経っただろうか。勉強特有の眠気と戦い始めたころ、俺のスマホがベッドの上で音を立てて振動した。

「なんだ?」

 なんの通知だと手に取った瞬間。メール1件という表示に思わず身体が震えてしまった。

「うおっ!?」

 妹からでさえほとんどあり得ないメールというものが今、俺のスマホに届いているのだ。

 ゆっくり確認すると、それはやはり相崎からのものだった。

「えーっと?」

 俺は内容を確認する。そして俺は文面だけで浮かんでくるリズムを思わず口に出す。

 最近CMでよく流れている曲だった。かなり特徴的なリズムだったので文面だけでも理解できた。

「へーいへいへいへーいへい」

 するとどこからか尋常じゃない大きさの声が返ってきた。

「へーーいへいへいへーいへい」

 外から聞こえるその声に、俺はとっさにカーテンをあけ窓を開いた。

 俺の部屋からちょうど見下ろせる玄関の先に、街灯で照らされた黒髪の可憐な少女が立っていた。

「え? なんで、家の場所……」

「へーいへいへいへーいへい!!」

 俺に構わず、バケモノの咆哮のような声でその少女は叫び続ける。

「分かった! 分かったからやめてくれ!」

 俺は仕方なく玄関へと向かう。時計を見るともう9時を回っている。恐らく未来も寝てる。いずれにしろこんな時間にあんな大声出されたら近所迷惑極まりない。

 裸足で履けるサンダルを履き、玄関の扉を開けた途端。少女は家の中へと侵入してきた。

「お邪魔します」

「お邪魔させるか」

 咄嗟に俺は人の家にお邪魔しようとする少女の腕を捕まえた。

「何をするの」

「それはこっちの台詞だ。なぜ俺の家を知っている。そしてなんだあの奇妙な叫びは!」

「いっぺんに突っ込まないでくれる?」

「ああ。悪かったよ」

 額と腰に手を当て、悪かったよのポーズを取ってしまった時にはもう遅かった。彼女の腕を放してしまったその刹那、彼女は靴を脱いで家の中へと上がっていた。

「一体なんの用だよ」

 これでも女の子、どころか知り合いを家に入れるのは初めてなんだぞ。家の中も汚いし……。

 と思いつつ、仕方なく居間に入ると。

「いらっしゃいませ!」

 正座でお客様をおもてなしする未来。

「どうも。ご苦労様」

 平気で対応する相崎。

 この普通な流れに俺も流されそうになったが、やはりおかしい!

「なんだお前ら! 知り合いか!?」

 未来と相崎を交互に見ながら声を張り上げる。

「いえ。初対面ですよ」

 どうしたんですか? バカですか? と言わんばかりの表情で俺を見つめる未来。

「妹いるって話したっけ!?」

「してないわね」

 何をあらぶっているのと言わんばかりの表情で俺を見下す相崎。

 全くこいつらにはついていけない。

 そして今気づいたが、部屋の中も見事に片付いている。

「ほんとに俺の妹かよ」

「おたんこなすのお兄ちゃんが彼女を連れて来たんですから。おもてなししませんと」

「彼女じゃな――」

 俺が否定しようとすると。

「彼女じゃないわ! ただの一時的な協力関係」

 それ以上に高速でかつ盛大に相崎に否定された。

 え、めっちゃ否定するじゃん。これでもかって程に否定するじゃん。まあ実際違うのだけど、「違うわよ~」くらいでよくない?

 本音を全て心の内にしまい、建前とつくり顔だけで塗り替える。

「ま、そういうわけだ」

 居間にいるのも何かと落ち着かないので、数秒で部屋を片付けたジェット機のような妹を残して、俺は自分の部屋へと向かった。もちろん変な気を起こすつもりはないし、そんな勇気はない。

「それにしてもよくできた妹さんね」

「そうだろうそうだろう」

「誰かさんと違って」

「うっ……」

 俺の部屋に入ると、俺の部屋は全然片づいていないことを思い出した。

「うわ。これが男子の部屋なのね」

「それだと語弊があるかもしれないなぁ。他の男子の部屋はもっときれいかもしれないし......入ったことないけど」

 とか言っているうちに相崎は人の部屋を勝手に詮索し始め、ベッドの下やら押し入れの奥やらを覗き始めた。

「何やってるんだよ」

「男子ってこういう所にエロ本を隠すものじゃないの?」

「俺は健全な男子なの」

「高校生にもなってそういうことをしないのはむしろ不健康……」

「うるせーよ! で、何の用だよ! あとどうやってうちまで来た!」

 やっといちから喋る気になったようで、真剣な表情でベッドに腰を下ろした。隣に座るのは気まずいので俺は勉強机の椅子に腰かけた。

 そして一息つくと相崎が喋り始めた。

 まず家の位置は俺が昨日パンクしたままの自転車を擦りながら帰ったことによる、タイヤの跡から発見したらしい。そんなバカな話あるかっての。

「まあそこはいいわ」

 で、目的だ。わざわざ家にまで来るってことは相当重要なことなんだろうと思ったのだが。

「今日の結果と明日の作戦についてよ」

「おいまじかよ」

「今。それだけ? って思ったでしょ。私たちにとっては一番重要なことよ」

 俺は思ったのだ。

「はい。ここで質問。メールとは?」

 どうやら相崎も今になって気づいたらしく、少しだけ頬を赤く染め目をそらした。

 そう。相崎と俺は連絡先を交換している。お互いのアドレスを知っている。メールという手段があるにも関わらず、わざわざ家にまで来て話す必要はない。そういう事だ。

「もう帰るわ」

「いやいやいや。わざわざ来たのに、帰ってメールで報告ってのもおかしいだろ」

 中腰になっていた相崎が再びちょこんと座る。そして何故か重い空気に陥った。

 やたらと長く感じるこの雰囲気を断ち切って相崎が話し始めた。

「今日の結果については私が明日、女子共の話を盗み聞きするわ」

「そうか」

「で明日のことなんだけど」

「……明日もやるのか」

「まずあなたは明日確実に職員室に呼び出されるわ」

「え?」

「忘れているかもしれないけど、あなたは授業をサボったのよ」

「あ!」

 俺は授業をサボるという行為によって成績が落ちることしか気にしていなかったが、そうだ俺の前には教員という大きな壁が立ちはだかっていたのだった。絶望に打ちひしがれる中、相崎に質問を返す。

「けど、それは相崎もおなじだろう?」

「私は早退の届けを提出したわ」

 俺は頭を抱えた。生涯こいつを恨むことだろう。そして相崎だけは敵に回してはいけない存在なのだと本能で悟った。

「まあ。もうそれは今考えても仕方がねえ。明日何をするつもりなのか教えてくれ」

「やっと乗り気になったのね。良かった」

 もし犯罪級なことを仕出かしそうになったら止めなければいかんしな。

 それに、報酬は一応先にもらっているわけだし……自分で考えておいて顔が少し火照ったのが分かった。俺は乙女か。

「今日の結果には期待するとして。明日はもう少しハードな作戦を実行するわ」

「うげ。今日よりもひでぇことすんのかよ」

「あたりまえよ。あなたはそれ以上の屈辱を今まで受けて来たでしょう?」

 そう言われるとどうも否定することは出来ない。自転車のタイヤのお金だってバカにならないんだからな。服の洗濯代だって、胃薬代だって。それに……思い出せばキリがなかった。

「まだ情報が曖昧なのだけど、明日は生徒会の会議があるわ」

 そう言えばそんなことを誰かが言っていたような、言ってなかったような。適当な返事で促すと相崎が続けた。

「会議に侵入してぶち壊します」

 あくまでも女子高生のくせして、冷静かつ沈着にぶち壊すとかいう表現を使ってくるのは正直どうかと思う。そして同時にその無謀極まりない作戦にさすがに賛同することは出来なかった。

「無理に決まってるだろ。数人しか参加しない会議にどうやって紛れ込むってんだよ」

「会議室には掃除ロッカーがあることは調査済みよ」

「お前まさか……」

「やるのはあなたよ」

 答えを聞く前に役割を押し付けられた。俺は再び頭を抱える。同時に何とか回避する方法はないかと無い知恵を振り絞って考えた。

「んでもさ。それカップルに関係なくないか?」

 苦し紛れに、作戦の原点をついた指摘を発した。

「知らないの? 生徒会長と副会長は、学園で一番有名なカップルよ」

 知らなかった。自分がどれだけ周りと関わってこなかったかがにじみ出ていた。

「今日はお試しに一組やってみたけど、やっぱ一番大きなものから壊していかないとね」

「お試しで壊すなよ……」

 とはいえやらされるのは俺だ。相手がカップルであるというのならばもう俺に断る術はない。

 こうなったらやけだ。どうにかして達成する作戦を考えてやる。

「分かった。俺も腹をくくろう。だけどしっかりと作戦をたてよう。ロッカーに隠れてわちゃめちゃなんてのは流石に無謀すぎる」

「ええ、分かったわ。5分あげるから必死に考えなさい」

 色々突っ込みたいところはあったが、今は全てを飲み込んで真剣に考えた。

 まず会議室への侵入経路だ。

「会議は何時から始まるんだ?」

「恐らく6時間目が終わってすぐよ。人が集まればすぐに始まるのだと思うわ」

「相変わらずお前の情報網はすごいな」

「盗み聞きは得意よ」

 いや、そこで自慢げな顔をされても。

 さあそして会議はすぐに始まるとのことだ。しかしながら授業が終わる時間はどのクラスも大体同じだ。授業を終えた瞬間全力ダッシュで会議室に向かって。えーっと――

「あれ? 会議に侵入したところでどうやって……」

「5分経ったわ。私はもう帰るわ」

「んな自分勝手な」

「じゃ」

 小さく手で合図をすると、本当にそのまま部屋を出て行った。俺も後をついていくと、お邪魔しましたと挨拶だけはしっかりとこなしたうえで帰って行った。時間はもう10時過ぎだ。本当ならばここで見送りに出るのが筋なんだろうが、相崎はそれを望まないだろう。何より、俺は暗いところが苦手なんだ。ゆっくりと明るい我が家に戻った。

「さてどうしたもんかな」

 その時、廊下突き当り右の部屋が音を立てて開いた。かと思うと未来が寝ぼけたような顔で出て来た。

「んー。トイレ」

 どうやらトイレに起きて来たらしい。

「そうか。トイレか。トイレね」

 トイレという言葉に何故か引っかかる。カップルを破局。生徒会。トイレ。

「そうか!」

「うるさいです!」

 俺は自分で感じる以上に大きな声を出してしまっていたらしい。半寝の未来にトイレの中から怒鳴られた。

 俺は自室へと戻り、ベッドに体を預けた。

「そうか。トイレだ」

 俺はスマホを取り出すと、「おしっこちかくなる方法」と検索した。利尿作用など聞きなれない言葉の中、俺は作戦を組み立てた。


「起きたらどうなんですか? 死にますか?」

 どんなに口が悪かろうとしっかり俺が起きるまで付き合ってくれる未来に感謝をしながら、俺は目覚めを迎えた。なぜだか久しぶりに心地のいい朝だと思った。ウキウキという言葉が今の自分には一番合っているような気がした。

 今日こそはゆっくりと朝ごはんでも食べてと、食卓についた瞬間、自転車を未だ修理していなかったことに気が付いた。

「あーやっべ。もう行かないと!」

「またですか?」

「まだ自転車直してなかったんだ!」

「今日中に直さなかったら明日は、早朝5時にたたき起こしますからね」

 きっと未来は自分が早起きして作った朝食をしっかり食べてもらえないことに怒っているのだと思う。

 最低限の用意を済ませ、未来のお手製弁当を新しく出してきた鞄に詰めると家を出た。

「いってきまーす」

 気分はこんなにも清々しいのに、空はどこか暗く濁っていた。まるで何かの予兆のように。

 うっかり自転車のほうへ行こうとして方向転換をする。

 登校中特に変わることはなく学校にたどり着いた。そして何事もなく教室までたどり着いたことに一安心していると、すっと相崎が近寄ってきた。

「栄一。結果が分かったわ」

「結果って昨日のあれか」

「あの様子を見れば嫌でも分かるわ」

 そういって指さしたのは一人の少女だった。話の流れ的に察するにあの子がサッカー部の男子にパンケーキを焼いた張本人だろう。

 だが、その隣には明らかに友達の距離ではない距離に男が引っ付いている。

「……見ても分からないのだが?」

「口の形を見なさい」

 相崎はその二人の口を遠くからじっと見つめる。そして「読み取った」とこちらを向くと、当人たちに似せたような声でしゃべり始めた。

「俺達恋人になったんだぜ! うん。早川君! そして周りの女子共の歓声」

「はあ」

 なぜ読唇術が出来るのかという点はさておき、話の内容の理解に苦しむ俺だったが、少し不可解な点を見つけた。カップルをまあ、その、なんだ。大爆発? させる作戦だったはずなのに、なぜあいつらはカップルになったばかりのような発言をしているんだ?

 しかめたような顔で相崎を見ると、何かを察したように語り始めた。

「ミスね」

「……へ?」

 あまりに短い言葉に動揺し、思わず気の抜けた声が出てしまった。

「情報ミス。あいつらはまだ付き合っていなかった。なのに私たちはあの女のサポートをしちゃったってわけ」

「はあ? なんで焦げたパンケーキがサポートになるんだよ」

「さっきあの二人が気持ち悪い会話をしているのを聞いたわ。女はあんまり上手くできなくてだとかほざいて、あざとく男に近寄ったわ。男は嫌な顔一つせず、大丈夫すげーうまかったって褒めてた」

「なるほどな」

 ダメ女子が逆にもえてしまったというわけか……黒こげだけに。

「焦げてたはずなのにね!!」

 そこで相崎がクラス全体に響き渡る声で叫んだ。

 クラスの中で浮いている存在の俺達は静まったクラス中から案の定睨まれた。そして誰よりも強くこちらを睨んでいたのが早川。その人だった。

 にも関わらず相崎はさらに追い打ちをかけた。作戦が失敗してしまったことが悔しかったのだろう。

「嘘はつくもんじゃないよ! 焦げてるものがおいしいはずがない。そうよね?」

 ターゲットを早川と確定させるような発言で相崎は煽る。

 すると、睨みだけでは足りないと早川が相崎の方へと近寄ってくる。

 クラスは今までにないほど静まり返っていた。

「……黙んねーと殺すぞ」

 おそらく自分が嘘をついていることを彼女にバレたくないのだろう。その彼女はというと慌てふためいた表情でこちらを眺めている。

 静かに殺気を放つ早川に対し、相崎は攻める。

「この先苦労するよ? 彼女のまっずい手料理を毎日毎日」

 次の瞬間。早川の手が出た。右の拳を高々と上げ相崎へと襲い掛かる。当事者である相崎でさえ殴られるのを覚悟し、目をつむった。

 しかし手が出た早川に対し、俺の体も反応してしまっていた。

 相崎を殴ろうと飛んできた右腕を自らの左腕で跳ね飛ばし、右腕でみぞおちに一発入れると、追い打ちをかけるように左頬を殴りつけた。

 そして俺はすぐに我に返った。

「あ……やっちまった」

 早川はどこかに頭をぶつけたようで気絶している。そしてそれを見ていたクラスメイトおよび相崎でさえ唖然としていた。

 そしてクラスの誰かが呼んできたのかタイミングよく、いや悪く、先生が教室へと入ってきた。

「何をやっているんだ君は!!」

 首根っこを掴まれた俺は、職員室までずるずると運ばれていった。

 頭の中には「終わった」の四文字がずっとぐるぐる回っていた。全員が敵であるこの学園で事件など起こしてしまえば、どんな理由があろうと犯人にされるのは俺だ。いやしかし、今回ばかりは先に手を出したのは俺だし、パンケーキの作戦に参加してるのも俺だし。

「え、悪いの俺じゃん」

「いいから来なさい!」

 その後こっぴどく叱られた。幸いにも早川は数分で目を覚まし、もう授業に戻っているという。早川本人が大事にしないでくれと申し出たとのことで、この問題が親や学校問題として取り扱われることはなかった。そしてその件も含め早川に謝罪をしに行った。

 しかし依然として話し合いは終わっていなかった。

「君が早川君に謝りに言っている間にね。あれは早川のせいなんですって何度も何度も鬱陶しいくらい言ってくる生徒が来てね。彼女曰く悪いのは早川80%、須藤19%、私1%。らしい」

「あー。はいはい。大体見当つきました」

「だからね。彼のことは見逃してほしいって。必死に頼まれたよ。早川君もああいっていることだし。今回は……分かってるね?」

「はい。重々に承知しております」

「ホントに分かってるのかね。次はないからね」

「はい!」

 こうして俺の説教タイムは終了した。

 すでに0な俺の信頼は、この事件を得てマイナスに傾いていた。

 教室に戻るころにはもうすでに昼休みに入っていた。

「うわー。入りずれぇ」

 顔をなるべく見られないように静かに教室に入ると、やはりざわつきが止まった。

 顔を俯かせたまま自分の席へと戻ると、いや待て。席がない。

「早川殴ってんじゃねーぞ」

 俯いた顔を上げ、あっサッカー部のーーまで考えた瞬間、左の頬に激痛が走った。

 殴られたのだ。

 きゃああという女子たちの悲鳴を最後に再びクラスは静まり返った。

 それをみてこちらに駆け寄ろうとする相崎に、俺は来るなと合図を送った。

「やめろって葉山。俺は大丈夫だからさ」

 早川は止めに入るも、その葉山とやらの暴走は止まらなかった。殴ったのは事実だし、これは俺への罰ということで、黙って殴られ続けた。

 数分経った頃、早川になだめられやっと正気を取り戻したのか葉山は舌打ちを残し、去って行った。

 その場に倒れこんでいる俺。複雑な表情で見つめる相崎。もう俺に見向きもしなくなったクラスメイト達。居場所も席もない俺は教室の外へと飛び出した。走る廊下の窓の外は大雨が降っていた。

「はあ。はあ。疲れた」

 校内をかなり走り回ったせいか、息が切れてしまった。体育館にこもるなんて情けないことはしたくなくて、そのまま帰宅なんて未来のなくなることもしたくはない。教員に次はないと言われたんだ。

 考えているうちに屋上へ出ていた。外は雷が鳴り響いていた。

「神まで俺の味方じゃないっていうのかよ!!」

 びしょ濡れになりながら俺は一人で叫んでいた。

 ガシャン。屋上のドアが音を立てて開いた。

 律義に傘を差した少女がこちらへ向かってくる。俺の前まで来ると俺の頭上に傘を広げた。

「クラスからパクってきた」

 真面目な顔でそう呟く彼女の顔はなぜか俺を安心させた。


 正気に戻った俺は相崎と共に取りあえず校舎の中へと戻った。

 屋上の入り口前の階段に座り、俺にタオルを渡しながら相崎は俺に問いかけた。

「栄一。格闘技でもやってた?」

「暴走して、打ちひしがれてた男にかける言葉がそれかよ。はは」

 私がついてるよとか、一人じゃないから、だとかは相崎には似合わないにしても、大丈夫? だとか風邪ひくよ? くらいは言ってもいいもんだ。

 にしても真面目に知りたいんだという顔で見つめるので答えてやった。

「別に習ってねぇよ。頭に血が上ってカッとなってたんだ。よっぽどのお人よしじゃなかったらだれでもできるんだよ、人間ならあれくらいはな。」

「でもよかったわね」

「はあ? なんにも良くないだろうよ」

 この状況のどこに良かったと言える点があるのだろうか。俺は怪訝そうに相崎を見つめる。すると相崎は表情一つ変えずに続けた。

「昨日サボったこと。あの事件のせいで忘れちゃったんじゃない?」

 相崎に言われてハッと思い出した。そうだ、俺は昨日授業をサボったから、恐らく今日そのことについて呼び出しを食らうと腹をくくっていたのだ。しかし予想外にもそれ以上の問題を起こしてしまったため、昨日のサボりが上書きされ、まんまと忘れ去られたってわけだ。

 しかし今現在も授業をすっぽかしているわけだが……

「けど良かったとは言えないだろ。これで俺の教師からの信頼はだだ下がり。もうこの学校でやっていける気がしない……」

「私が先生に悪いのは早川だって言っておいたはずだけど」

 はいはい。あれはやっぱり相崎だったのか。元はと言えば相崎が早川を煽るようなことを言わなければーーいや、何はともあれ先に手を出したのは俺だ。今回は素直に自分の非を認めよう。

「それで作戦のほうだけれど」

 真面目な顔のまま、ひょいと話を変えてくる相崎。

「お前は鬼かっ!」

「もし何か思いついたのであれば話してほしいのだけれど」

 俺が昨日の夜考え付いた作戦は簡単に言ってしまえばこうだ。

 まず会議が始まる前にどうにか会議室に侵入し、掃除ロッカー内に隠れる。しかしその前に恐らく会議中に出されるであろうコーヒーに細工をする。まずコーヒーに含まれるカフェイン自体にも利尿作用があるらしいが、それに俺が家でなるだけ利尿作用がある食材をミックスした特製ジュースをーーと相崎に説明していると、その途中で相崎が口を挟んだ。

「却下」

「は? なんでだよ! 会議中にトイレに行きたいのに行けずに漏らしてしまう彼女もしくは彼氏なんて最悪だろ!?」

 必死に説明を続けようとするがまたしても相崎に遮られてしまう。

「まず会議が始まる前にコーヒーが出ていると思う?」

「それはだから……お湯のポットとかに」

「それにどうやってトイレに行くのを邪魔する気? まさか正面切って邪魔するわけじゃないでしょうね」

「そんなバレバレなことするわけ……」

「じゃあどうするの」

 正直そこまで考えていなかった。テキトーな案を考えて舞い上がっていた昨日の自分が恐ろしく恥ずかしい。

 しかし、こんな難しいミッションの攻略法なんてどっかの科学者レベルじゃないと思いつかないんじゃないか?

 けど俺はまだ諦めがつかなかった。

「だけどさ!」

「まずその利尿作用のある飲み物はどこにあるわけ?」

「バッグの中だけど?」

「じゃあ栄一は教室に戻るのね?」

 理解した。あんな状況で飛び出して来たんだ。今更バッグを取りに教室に戻れるわけがない。つまり俺の作戦は破綻した。

 作戦が穴だらけだったことにもがっかりだったが、いつの間にかこんな作戦についてマジになってた自分にもっとがっかりした。

「はあ。じゃあ俺は帰るとするかな。この意味不明な協力関係もこれで終わりにしてくれ」

 これからの学校の事や、クラスメイトの事で胃をキリキリと痛めながら、俺はトボトボとその場を後にしようとする。しかしそんな俺を止めるのはまたしても相崎だった。

「待ちなさい」

「……なんだよ」

「まだ話は終わってないわ。もう考えるのはいいから黙って私に付き合いなさい」

 自分勝手な相崎にムッとすると共に、情けない面も含め、哀れな自分を思い知らされたような気がして、妙に腹が立ってしまった。

「なんなんだよお前! 変なことに巻き込んでこれ以上俺を不幸にしないでくれ!」

 その一時の感情で俺が何を叫んだのかは覚えていない。頭が真っ白のまま、その場を後にした。

 けれどこの時の相崎の顔を俺は一生忘れることはないだろう。悲しみと後悔に満ちたなんとも表現しにくいあの表情を。

「……何で私っていつもこうなんだろう」

 彼女から漏れた本音の言葉も「上手くいかないな」とこぼれた雫も強い雨で何もかもかき消されてしまった。


 雨はさらに強くなっていた。今が何時なのか、クラスはどうなっているのか。今はそんなことはどうでもよかった。

 別に走るわけでもなく、急ぐわけでもなくただひたすらに見慣れた家路をたどって行った。

 無言で家に入っても、妹の未来の姿は見えなかった。それもそのはず。中学校だってまだ授業をしている時間なのだから。

「靴までびしょびしょだな」

 俺は制服を脱ぎ捨て、パジャマに着替えるとそのまま布団にダイブした。

 まるで家の中でも雨が降っているかのように顔だけは拭いても拭いても濡れたままだった。



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