ミッションスタート
あっ。耳に髪をかけるその仕草も可愛い。
「おい! 須藤! 何をぼーっとしている! 教科書を読めと言っているんだ!」
「……すいません」
俺こと須藤栄一は、すっと立ち上がると指定された教科書のページを読み始めた。
教科書が上下逆さまなんて定番なドジは踏まない。ましてや読むページを間違えたりもしない。所詮俺はつまらない男だ。
「僕は孤独が好きだ、孤独になることに躊躇いはない」
俺は文を読み終えるとすっと席に座った。周りからはクスクスと俺をあざ笑う声が聞こえる。
全く先生も趣味が悪い。よりによってこんな文章を俺に読ませるとは。
「じゃあ次の文。相崎。読め」
「はい」
軽い返事をして立ち上がったのは長い黒髪のよく似合う可憐な少女、相崎琴葉だった。彼女はどこか不愛想な所があるが、実際可愛い。というか好きだ。小学校から同じ学校に通っているが、こんな俺が唯一興味を持った人間だ。高校が同じになったのは本当にたまたまだ……と思う。
「孤独とは悲しい事ではない。他の奴らはみな同じように群れを作っているが、逆に言えば私はみなにできないことが出来ているということだ」
「相崎! そんな文章は書いていないだろう! ちゃんとしないか!」
相崎は何も言わずに座った。俺は相崎を小さいころから見てきたが、実際のところあまり話したことはない。昔は無邪気で明るい子だったはずだが、いつからだろうかこう無口でそっけなくなったのは。
「……ねえ何あれ。きも、むしろ怖いんですけど」
「……関わらない方がいいぞ」
クラスメイトが小さな声で相崎を罵倒する。現在進行形で孤独派の俺は、その小さな暴言が本人に届いていることを知っている。自分自身何度自分の悪口を聞いたことか。
「あー。時間が来てしまった。もういい、今日はここまでだ」
イライラを隠しきれていない教員がそそくさと教室から去って行った。
この現代文の授業で今日はおしまいだ。クラスメイトどもは部活やらカラオケやらでどんどんと散っていく。
ふらふらと立ち上がると手提げ式の鞄を肩に担いだ。
――どんっ。すると突然後ろから軽い打撃を受け、バランスを崩す。
「おっと。ごめんよ。影が薄くて気づかなかったぜ」
わざとぶつかってきたにも関わらず、にやにやと嘘を吐く男子を俺は睨みつける。
「おーっと。そんな怖い顔すんなよ。俺まで殺されたらたまんねーよ。な?」
男子は言うだけ言うと、思い切り俺の腹を蹴とばした。
「……うう」
「さ。帰ろ帰ろ」
こうして教室に残ったのは、俺と相崎だけになった。
ちらりと相崎の方を見ると、そそくさと荷物をまとめ上げ、何も言わずに出て行った。
「はあ」
続いて俺もじんじんと痛む腹をおさえながら、教室を後にした。
俺はこの高校まで自転車で通っている。というのも家から近いからこの学校を選んだのだ。今はむしろ後悔していない。孤独であることに慣れすぎてしまったのだ。
中庭を通り、校舎の反対側まで来ると黒くて地味な自転車が目に入った。
「あったあった」
鍵を外し、サドルにまたがった時に気づいた。
「パンクしてる」
これも何度目だろう。まあ恐らくさっき俺にぶつかってきたやつの仕業だろう。
俺のことが嫌いなら関わらなければいいのに。ぼっちにも厳しい世の中だ。
仕方なく俺は自転車をずりずりと引いて帰った。
いつもよりも長く時間がかかってしまった。いつもなら自転車かっ飛ばして帰る帰り道が今日はとても長い。きっと気持ち的な面もあるのだろう。
「……ただいま」
鍵を開け、俺は家の中へと入る。
「あっお帰りなさい」
そういって目をこすりながら俺に言葉を返すその少女は、可愛いうさぎさんーーのパジャマを着た俺の妹、須藤未来だ。
火事で両親を失った俺に残された唯一の家族だ。今現在、おじさんからの仕送りのおかげで生活できているが、俺はおじさんを家族だと思っていない。まあまあ繁盛している会社の社長ではあるが、その立場を利用して何かと人を見下す。そんなおじさんが俺は好きじゃなかった。
だからこそなのだろう。火事の時、妹が友達の家に遊びに行っていて本当に良かったと心から思う。
「お。良い匂いだな。カレーか?」
「シチューです。お兄ちゃんはバカですか?」
そして少々毒舌なのが玉に瑕だ。
未来は現在中学二年生。家事やらご近所付き合いやら何でもこなすエリート中学生だ。もちろん学校にも行っている。本人曰く成績もトップクラスらしい。
俺は手を洗うと、居間に移動する。
「いただきます」
俺が帰ってくる時間を想定して作られた、出来たてのご飯。今日もおいしい。
「お風呂も汲んであるので、食べ終わったら入っちゃってください。私は明日早いからもう寝ます」
「そうか」
俺は黙って壁にかかっている時計を見る。まだ五時前だ。一体明日はどれだけ早く起きるのだろうと思いながら、黙って視線を食卓に戻した。
「ごちそうさまでした」
俺は早々に食事を済ませると、食器を片づけ風呂場へと向かった。
衣服を脱ぎ、髪をかき上げると浴室に入った。
そして簡単に体を流すと、そっと湯船につかった。
「ああ~」
俺は湯船のお湯を手ですくってみる。少し経つとすぐに指の隙間からこぼれてなくなった。
こんな不安定な世界でよくあんな風に絆やら友情やらでつながれるよな。現実はこのお湯のようにすぐに消えてなくなるというのに。
「あ、タイヤ直さなきゃ」
俺は風呂から上がるとすぐに自室へと向かった。別段明日が休日というわけでもないが、寝るにしては早すぎる時間だったので、ベッドに横になると目的もなくスマホをいじっていた。
風呂に入った後に自転車を直す気分にはどうもなれなかった。
そうこうしているうちに瞼は重く閉じて行った。
「起きてくださいお兄ちゃん。遅刻したいんですか?」
「んん? ああ、おはよう未来」
いつの間に寝てしまったのだろう。ベッドに転がっているスマホを手に取る。
「お、もうこんな時間か」
俺は制服に着替えて自室を出ると、洗面所にて歯磨きを済ませて居間へ向かった。
「悪い、今日はこれだけでいいや」
食卓に並んだ料理の中から、パンだけを取るとすぐに玄関へ走った。
玄関には昨日置いたままの鞄が転がっていたが、中には弁当がしっかり入っていた。出来た妹を持つっていいなって素直にそう思った。
「自転車を飛ばせばまだ間に合う時間では?」
未来が少し大きめな声で居間から叫ぶ。
「今自転車壊れてんだ」
「そうですか」
「そういや未来、お前今日早いんじゃなかったか?」
「いいからさっさと行ってください」
「へいへい」
俺はパンをくわえて家を出た。
昨日の未来は恐らく単純に眠かっただけなのだろう。俺が帰った時から眠そうに目をこすっていたし。
パンを食べきると、見覚えのある道をひたすら歩いた。
リア充どもがたむろう通学路を抜け、校門をくぐり、階段を上がると教室に着いた。
「おはよう」
中に入ると、一瞬だけパッと静かになりまたざわつきを取り戻した。
当然挨拶はない。返って来ないとわかってはいても抗いたくなるもんだ。
「はあ」
自分の席につき、落書きやいたずらが何もないのを見て取りあえず安心する。
時間ギリギリに来たので、席に座るとすぐに教員が中へ入ってきた。
授業は開始されたが、席が窓際の一番後ろなため板書だけ写してぼんやり外の景色を眺めていたら、いつの間にか昼休みになっていた。
「さて、俺も食べるか」
俺はリュックを探り、そして気づいた。未来が今朝作ってくれた弁当がなくなっていることに。
俺はクラスの奴らに視線を向けた。
「……朝はおとなしかったのに、昼になりゃこれか」
俺はクラスをうろうろと回りながら、近くの奴ら一人一人に目を向ける。誰もがみんな俺じゃない、私じゃないと嘘をつくその顔は笑っていた。
俺は教室の前の方で、チョークの粉まみれになった弁当を発見した。
「……こりゃ昼飯は無しかな」
諦めて席に戻ろうとしたその時だった。
「こんなひどいことをしたのは誰よ!」
俺の弁当を指さし、相崎が声をあげた。
だが、そう言われて名乗り出るものは当然いなかった。
「いいよ別に。俺なんかかばわなくても……」
「食べ物を粗末にすんな!」
あ、はい。俺の心配じゃないですね。なんかすいませんでした。
クラス全体に響き渡る声で叫んだあと、何を狂ったかチョークの粉入りの弁当を口にかきこみ始めた。
クラスのみんなはもちろん動揺し、さすがの俺も驚愕のまなざしで見つめる。
「食えたもんじゃねーだろ」
さすがになんか申し訳なくなってきて止めに入るが、もう既に丁度半分ぐらい食べ終えていた。突如、相崎が俺の腕をつかんで教室の外へと引っ張り出した。
「ちょっと来なさい!」
「え? ちょ、おい!」
そのまま相崎に引っ張られ、俺は屋上まで出た。
「へえ。屋上入れるんだ」
俺が辺りを見渡していると、風が吹き荒れる屋上の真ん中で彼女は言った。
「あなた友達いないでしょ」
心に刺さる衝撃の一言。相崎は変わらず真剣な顔をしている。
「さてどうでしょう」
「いるならいるって言うはずだし、今までのあなたを見てきたら嫌でも分かるわ」
「分かってんなら聞くなよ」
自分もいないくせにとは付け足さなかった。これでも一応俺は相崎のことが好きなわけだから。
普通好きな人を煽るようなことはしないだろう。いや、あえてしてみるのも手だろうか。
「可哀想だとは思わない。俺も相崎も」
そして出たのは捻くれた言葉。こんな自分に嫌気がさす。
「言われたくもない」
小さな高校の屋上で二つの視線がぶつかり合う。
そして彼女はまた唐突に口を開く。
「単刀直入に言うわ。あんた私に付き合いなさい」
「それは喜んでいいものなのでしょうかぁ?」
風の音がうるさいこの場所だが、彼女が「私と」ではなく「私に」と言ったことを俺は聞き逃してはいなかった。
愛の告白だと勘違いし、早とちりして恥をかく。なんていう漫画みたいなアホなことはしない。
だからわざと疑いをかけるような返事を俺は返したのだ。
「私とあんたは嫌だけど、似ていると思う。だからこそ協力するべきだと思うの」
「知ってますかね。雑魚と雑魚が集まったところで所詮は雑魚に毛が生えただけ。何にも解決しない」
「あなたは私を雑魚だというのね」
「……知るか。俺は戻るぞ」
相崎を通り越して、俺は教室に戻ろうとする。
こんな色んな意味で寒い所、これ以上は御免だ。
「待って」
相崎の一言で俺はまた足を止めた。
「……なんだよ」
振り返らずに答える。
「あなたがもし手伝ってくれるというのなら、それ相応の報酬を支払うわ」
「何をするか知らんが、俺は報酬なんざ求めてねーんだよ」
「何でもいいの。何でも。今思いつく最大限の欲求を一つ言ってみて」
金が欲しいだとか、大きい家が欲しいだとか。そんなものはいくらでも思いついた。だけど、実際は何を考えたのかわけの分からないことを口走ってしまっていた。
「そうだなぁ。俺が好きな相崎がキスでもしてくれるっていうんならやってあげてもいいかもしれないな」
それは思い返せば軽い告白だった。俺は絶望やら羞恥心やらで一刻も早くこの場を立ち去ろうと足を動かしたその時だった。
「ーーんんっ!?」
俺の顔を包み込むような甘い香り。目の前には整った顔。そして唇に柔らかい感触。俺の認識が間違っていない限り、少々強引ではあるがそれは間違いなく「キス」だった。
「お、おい!? 何してるんだよ」
「先払いだよ。あなたが途中で役割を投げ出さないためにね」
「ふざけるな! こんなの無効だ。俺はまだ手伝うなんて言っていない」
「もっと激しいのが良かった?」
真顔で問いかける相崎に少しの恐怖さえ感じた。
しかし、俺は欲望を抑えて断った。
「いや結構だ」
「私はこの通り何でもする覚悟よ」
「何でもするって一体これから何をやるつもりなんだ」
相崎は少し黙った後、顔をあげ、拳を高々と掲げ、そして叫んだ。
「幸か不幸か。カップル爆発大作戦!!」
「……なんだそりゃ」
名前だけ聞きゃ、片っ端からカップルを爆発させてって感じだが思いっきり不幸でしかないと思うのだが? さすがに比喩表現だろうが。
「その名の通りカップルを爆発していくってことよ」
「うそだろ……」
「何でもする覚悟だって言ったでしょ」
「いや言ったけどもさ」
犯罪に手を染めるのか。爆弾って高いんじゃないのか? いやまずどこで買うんだ? それとも作るのか?
俺は妙なことに巻き込まれたと頭を抱えた。
「冗談はおいといて、まあ要するに幸せにイチャラブを楽しんでるカップル共を破局させようってわけ」
俺が真剣に悩み始めたものを軽い冗談だと流された。が、まあカップルに何かするというのは変わらないらしい。
「なんたってそんなことを」
「あなたは私のうわさを知らないの?」
「うわさ?」
噂というのは友達と友達の間などで成り立つものであって、友達どころか話せる人さえもいない俺にとっては噂などという存在はほど遠いものなのだ。
「私と関わったものは不幸になるって」
「え、なにそれ。俺不幸になるじゃん」
「それ以上どう不幸になるっていうの?」
軽くディスられた気分だが、他人から見たら俺はとてつもなく不幸な奴に見えるのだろう。てことはなんだ俺が史上最高に不幸そうだから声をかけたという事か。
「中学のころはご存知の通り、彼氏とかもいたわ。でもそれが悪かったのね。今まで付き合ってきた彼氏はみんながみんな、何かと不幸になっていったわ」
「なるほどね。それが相崎が孤立している理由ってわけか」
「そう。だからまずは私にできなかった恋愛というものを楽しんでいる奴らを懲らしめるってわけ」
「って言ったって俺達じゃ何も出来なくないか?」
ーー俺に恋愛経験はないし。ボソッと付け足した言葉は、聞こえていないと願おう。
話せる人が全くいない俺と、見るからに他人から避けられている相崎。この二人で一体どうやって、カップルという俺達から天と地のようにかけ離れた存在に攻撃するというのだろうか。
「まあそこは私に任せなさい。であなた名前は?」
「……小学校から一緒なのに知らないのかよ」
「言いたくないのなら別にいいわ。勝手にモブ男って呼ぶから」
「須藤栄一だ」
「そ。私は相崎琴葉。よろしく栄一」
その後俺は携帯を持ち始めてから、妹以外で初めての連絡先を登録した。
俺はメッセージのやり取りが簡単になるアプリなどは入れていないので、連絡をする時はメールになりそうだ。
相崎は今後仕掛ける対象や日時、作戦などが決まった際にメールを送ると言った。
とそこで予鈴が鳴った。都合がいいんだか悪いんだか。
「おっと。もう昼休みが終わるな」
俺が校舎に戻ろうとすると、再び相崎に腕を掴まれ連れ戻された。
「今日はもう戻らなくていいわ」
「なんでだよ」
部活やバイトもしてない俺からしたら、成績だけは落としたくなかったので振りほどいて戻ろうとする。
しかし負けじと俺の腕を左右交互に掴んでくる。しかもこの女、力が割と強い。
「今日は……帰りたくないの……」
「あざとく言ってもダメだ」
ついに振りほどくと俺は階段を下った。
相崎は俺を捕まえるのは諦めたようだが、それでも最後まで連れ戻そうと声をかけた。
「最近あなたへのいじめがエスカレートしていると思うの」
「あれはいじめじゃない。いじりだ」
俺は苦しい言い訳をこぼす。
それに答えるように相崎は続ける。
「今教室に帰ってもまたさらにひどいことをされるだけ」
「そんなの知ったことか」
俺が再び階段を下り始めると、相崎から深いため息がこぼれた。
「なら早速作戦を開始するわよ」
「はあ? やらねーよ」
「先払い……」
相崎が睨むような追い詰めるような顔で俺を見つめた。
自然と俺は目をそらす。
逃げるようにまた少し階段を下る。
「これ」
相崎の方へ振り返る。
瞬間、俺は目を丸くして驚いた。途端下りていたはずの階段を一気に駆け上った。
「おい! お前いつの間に!」
相崎の手には携帯が握られていて、その画面にはついさっき、俺と相崎がキスをした瞬間の画像が映し出されていた。
俺は「貸せ!」と叫んで相崎に飛びかかる。しかし相崎は咄嗟に画面を消したため、パスワードがかかってしまい俺には開けることが出来なかった。
ならいっそ壊してしまえばいい。そう思って携帯を地面にたたきつけようとするが、相崎は止めようともしなかった。
「もうすでに私のパソコンに送信してあるの。家に帰ればいくらでも印刷できるってわけ。そう、百枚でも千枚でも」
俺は焦りを通り越して、悲鳴を上げたい気分だった。
「成績を下げたくないのでしょ? この写真、教員室に持っていって無理やりキスされましたって叫んであげるわ」
「そんなもの俺が否定すれば」
「あら、教師陣から信頼があるのはどちらかしら」
正直どちらも信頼があるとは言い難いが、俺と相崎を比べた場合は別だ。確実に相崎の言葉が信じられるだろう。
何しろ俺はこの学校において邪魔な存在なのだ。ボーっとしているし、根暗だし。場合によっては先生であろうと平気で反論する。それに何よりこの学校の価値を下げる存在であるからだ。というのも教師陣は俺がいじめられているのを知っていながら黙認しているゲスだ。なにか口実があるのならばそこに付け入ってくるだろう。
一方相崎は顔だけは一流で可愛いし、俺よりも成績優秀だ。一部には相崎に悪い印象を持っている教員もいるが、大体は相崎のことを真面目だけどちょっと変わったやつくらいに思っている。
「くそっ!」
英語の発音を一つ間違えただけで評価を一つ落とされたことのある俺は、機会があればいつ退学させられてもおかしくないと自分でも思う。
まあだからこそ授業は真面目に受けないとまずいのだが。
「分かったよ。5、6時間目はサボってやる」
「あら、6時間目までとは言ってないのだけど。まあいいわ」
ずる賢いというか何というか。どこまでも隙の無い奴だ。
「じゃ屋上は寒いからちょっと移動しましょうか」
特に会話が弾むわけでもなく、ほぼ無言に近い状態で俺達は移動した。
そして何度か来たことのある教室にたどり着いた。
「家庭科室?」
「ちょっと用意が必要なの。そこに座って待っててくれる?」
家庭科室の扉を開けると近くの椅子を指さしてそう言った。
それにしても屋上だとか家庭科室だとか、割と危なっかしいところの鍵が開いたままというのは学校としてどうなのだろう。
「少しだけ時間をもらうわ」
相崎は家庭科室一体をあさりながら色々なものを集めて来た。
「なんか作るのか?」
「ええ」
フライパンを片手に集めて来たものをタイミングよく追加していく。
そして数分経つと香ばしいにおいと共に、見るからにふわふわなパンケーキが出来上がった。
適当に用意した皿にパンケーキが置かれる。
「へえ。相崎って料理できるんだな」
皿の上のパンケーキをおいしそうな目で見つめていると、相崎はまた何かを作り始めた。
いや、材料は同じだ。きっとまたパンケーキを作るのだ。一体何がしたいのだろう。
そして数分後香ばしさを明らかに通り越した匂いと共に、丸焦げになったパンケーキが出来上がった。
「へえ。相崎って料理できないんだな」
「すこし黙りなさい」
そういうと真っ黒のパンケーキを掴んで俺の口に放り込んだ。
「ーーッツ! もごもご、ががが!」
熱さとまずさで死ぬかと思った。
俺はやっとのことで全て喉を通すと、息を荒くしながら相崎を睨んだ。
「お前は鬼か」
「どうだった。私の手料理は」
「見ての通り激マズだ」
「私レディーよ。そこは嘘でも美味しいっていうところじゃないかしら」
「悪いが嘘がつけるレベルではなかった」
「そ。なら成功ね」
相崎は不気味な笑みを浮かべると再びフライパンに素材を垂らす。
そして二つ目の丸焦げパンケーキが出来上がった。
「さあ行くわよ」
「お、おい。これどうすんだよ」
使用した道具を全て戻すと相崎は丸焦げのパンケーキを皿にのせて、それを持ったまま教室を出た。
しかし台の皿の上にはまだパンケーキが一つ残っていた。最初に作ったやつだ。
「食べちゃっていいわよ」
俺は待ってくれよと叫びながら、パンケーキを丸ごと口に入れた。
瞬間、口の中が優しい感触でいっぱいになり甘さと柔らかさでとろけそうだった。
俺は相崎の後を追いながら小さく呟いた。
「……なんだちゃんと美味しいじゃん」
そういや俺今日昼飯食ってなかったな。なんて、そんなことを考えながら。
廊下を渡り、階段を下り外へ出た。
各部活の部室がたくさん並んだ部室棟。サッカー部の所で相崎は止まった。
「ここね」
サッカー部の部室は昼休みから開いてるのよと俺に説明した後で、俺に焦げたパンケーキを預けて堂々と部室へと侵入した。
一体どこまで調査済みなのか不思議に思ったが、パンケーキを落とさないように注意しながら俺も後に続く。
「で、こんなところに来て何するんだよ」
部室の中が以外にも整っていて、それでいて匂いも気にならないのが俺としては割と驚きだったのだが、そんなことは気にする様子もなく相崎は何かを探し始める。
「この季節。部室に食べ物を置いてあっても腐らないのよ」
ソックスやら脛あてやらが置いてある棚をいじりながら呟く。
「一体何の話だよ」
数分後相崎は、訳も分からず入口で突っ立っていた俺の方に駆け寄ってくる。
その手には巾着袋のようなものが握られていた。
「これ。うちのクラスの栗原愛奈が彼氏である早川智樹に、部活前の腹ごしらえにと作ったパンケーキ」
相崎が巾着袋を開けると中からタッパーが出てきて、さらにそれをあけると綺麗な色と形をしたパンケーキが顔を覗かせた。
「へえ。うまいもんだな」
無表情で感嘆の声を漏らすと、その口を塞ぐかのように、相崎はそのパンケーキを俺の口に突っ込んだ。
「んん! ふがんが!」
喉に詰まりそうなのを必死に回避して、飲み込む。
「はあはあ。俺を殺す気か」
「どうだった?」
「普通にうまかったよ」
呆れ気味で俺が答えると、相崎はどこか不機嫌そうな顔をした。しかしその後すぐに不気味に笑った。
「私聞こえたの。明日智樹くんにパンケーキつくってくるんだとかいう女子共の会話が」
「女子共ってお前も女子なんだけどな……」
「それで思いついたわけ。そのパンケーキを丸焦げのものにすり替えておけば、彼氏に愛想つかされて別れるんじゃないかってね」
俺が真面目な顔で「最低なやつだな」と言うと、相崎はそれに真面目な顔で「ありがとう」と答えた。
それにしてもそのパンケーキ作戦は即興で考えたんだろうか。それとも俺が協力するのを見込んで昨日くらいから作戦を練っていたのだろうか。
いずれにしろタチの悪い作戦だ。協力することになってしまった以上否定することは出来ないのだが。
「ほら早く入れなさい」
俺は言われるがまま、皿の上に乗っている丸焦げのパンケーキをタッパーの中に入れた。
相崎はタッパーの蓋を閉めると巾着袋の中にしまい、何もなかったかのように元の場所に戻した。
「さ、作戦終了。後は結果を待つのみね」
「なあこの後どうするんだよ。時間余ってるんだけど」
壁に掛けられた時計を見ると、丁度5時間目が終わるくらいの時間だった。
けれど作戦の内容を聞く限り、結果が出るのは部活が始まる放課後になりそうだ。
「結局6時間目は受けられるってことでいいのか?」
ーーン!? その後だった。急に部室の電気が消され、口を抑えながらしゃがまされた。
「ふががが!」
「……すこし黙りなさい」
俺は言われた通りに、少しの間落ち着いていた。
するとドアの向こうに一人の体育教員が通った。こちらの存在には気づかずに通り過ぎて行った。
そしてパッと電気がつく 。
「ふう。危なかったわ。ここでつかまるわけにはいかないもの」
「なるほど教員が来てたわけか。よく気づいたな」
「結果を見届けるまで、説教を食らう気はないわ」
最後まで警戒を解かずに俺達は部室を出た。今までよく誰にも会わなかったものだが、またさっきのように危うい状況が訪れるかもしれないと思い、足音が立たないくらいの丁度いい速足で歩いた。
「で、どうすんの」
「このまま教室に戻ってもサボってたのがバレちゃうわ」
相崎は少しの間考え込んだ後、ハッとしたように顔を上げた。
「図書室に行くわよ」
咄嗟の思い付きのような行動をする相崎に、俺はまた腕を引っ張られ連れて行かれた。
人がほとんど通らない裏道を歩き、校舎の中からではなく外の裏口から図書室へと入った。
6時間目に突入する時間。さすがに図書室に人の姿はなかった。図書室の管理の大半は図書委員が行っているため、授業中はすっからかんだ。しかし、関係者しか使わないような裏口の扉でさえもやはり鍵は開いていて、この学校の適当さがにじみ出ている。
「奥の部屋にきて」
図書室へと入るとさらに奥の部屋へと連れて行かれた。
扉を開けると、古そうな本が詰まった本棚が置かれた小さな部屋が広がった。
「へえ。こんなところあったんだ」
ぼっちあるあるで居場所がないとき、よく一人で図書室に来るがこんな部屋が奥にあったとは知らなかった。
「ここ知らない人結構多いのよね」
そう言いながら少し埃っぽい床を払い、本棚に背を預けて座った。
相崎は自分の隣の床を手でポンポンと叩く。
俺はその合図を汲み取り、少しためらった後相崎の横に腰を下ろした。
「別段この部屋で何かしようってわけじゃないの。ただこれから協力してもらう身として、栄一のことをもう少し知りたいと思って」
「ただ利用するだけで俺のことなんてどうでもいいんだと思ってたんだけどな」
「別にどうでもいいわよ。だけど私が知らずに栄一のコンプレックスに触れたとして、険悪な感じになるのは面倒でしょ」
「別に俺はキレたりしねーよ」
目線を一切合わせずに話す俺達。友達や知り合いではなく、まさに協力関係。クライアントとサーバーのようなものだった。
少しでも話が途切れたらそのまま無言になりそうな雰囲気の中、ただただ時間が流れていく。
「あら、私に自分のことを知りたいって言われて嬉しくないの? 少しは気があるとか思ったりしないの?」
「別に思わねぇよ。お前みたいな美人と話せて嬉しくないって言ったらうそになるけど、それで勘違いするほど俺はアホじゃない」
俺の若干相崎を褒めるような発言に、相崎が「あら、ありがとう」と返事をした後、会話が途切れてしまった。
気まずい雰囲気特有の重たい時間が少し過ぎたころ、俺は口を開いた。
「小学生ん時だ」
「話す気になったのね」
「俺の家で火事が起きて、えらく燃えた。両親は死んだ。それだけじゃない。マンションにいた奴らは全員死んだ。稀にみる大火事だったらしいな。けど驚くことに俺は、俺だけは生き残ったんだよ」
日がオレンジを強くして、影を伸ばす窓の外を眺めながら続けた。
「要するに俺は相当運が良かったんだよな、きっと。だけど普通の人はそんなの信じたりはしない。もちろん俺だってびっくりした。警官にも消防の人にもえらい驚かれた。1億回に1回の奇跡だの生命力の塊だの、終いには神の子なんて呼ばれたよ。でも噂って怖いもんだよな。中学に上がるころにはすっかり俺は人殺しになってたんだから」
「そう。あなた中学生のころからずっとそう言われてた」
「マンションが火事で崩壊したのに俺だけが生きてたんだ。つまり周りからはどう見える。単純に考えたら俺が放火したって考えるのが妥当だ」
相崎は言葉に詰まったような、困った顔をしていた。けど不思議と驚いた顔はしていなかった。あたかも知っていたかのように。
俺はこれで話をやめることにした。
「てのが結末よ」
簡単な言葉で締めくくると、タイミングよく隣の部屋からチャイム音が鳴り響いた。
俺はすっと立ち上がると、扉に手をかけた。
「さっ。いくか」
出ようとした瞬間、相崎の言葉で引き留められた。
「誤解を解こうとはしないの?」
「そりゃ最初はしたさ。でも信じてもらえなかった。ただの強運だのなんだのってことも、俺が放火してないっていう事実さえな」
言うだけ言うと、俺は全てを出し尽くしたかのように無心の状態になった。例の大作戦のことなどとうに忘れてそのまま家に帰ってしまった。