3、ひとたびの別れ
3、ひとたびの別れ
高熱にうなされながら、レミは夢を見た。
そこははるか彼方の宇宙、火星のように赤く輝く巨大な星を中心とする星系だった。それはジェイミーが住む惑星の太陽で、その寿命の末期に達したために元の大きさの百倍くらいに膨れ上がり、その赤い輝きももはや生命をはぐくむ健全な光ではなく、病みはてた爛熟を思わせた。赤々と輝きながらもその星の表面温度は低下していき、やがては冷えて暗く輝きを失った白色矮星になる運命だった。高熱に冒された不安定な夢の中で、その赤い巨星の輝きは没落した王家の悲しみの音色を響かせて、時の礎に塵埃のように堆積していくのだった。
それはジェイミーの意識が見せた映像なのだろうか。共感と交流を通して、いつしかジェイミーの意識がレミの内に宿るようになっていたのだろう。
熱が下がり病が癒えて、レミは再び丘の上の野原に行った。夢に出てきた不思議な赤い巨星のことを話すと、ジェイミーは思いを巡らすように間を置いた後、静かに肯定した。
「それは僕の住む星の太陽の姿なのだろう。生まれ育った星を遠く離れて何年も宇宙を旅する僕たちにとって、その太陽は故郷の象徴だ。生命の溶鉱炉のように、いつも意識の片隅で輝いている。」
望郷の念というのは宇宙のどこへ行っても同じなのだと、レミは思った。レミの高熱が、ジェイミーの生の源である太陽のイメージを活性化させ、夢の中に浮かび上がらせたのだ。
「この地球の太陽も、やがて赤い巨星になるだろう。まだまだ何億年も先のことだが。その時地球は膨張する太陽に飲み込まれてしまうかもしれない。それ以前に、太陽の熱で人類は滅びるだろう」
遠い未来の話とはいえ、夢で見た赤い巨星のどこか禍々しい印象は強烈で、その太陽とともに終末に向かって悲劇的な運命をたどっていくジェイミーの故星までも鮮明に肉眼で見ることができるような気がした。
それは夢の中でのみ見ることができる映像だった。
現実の制約から解放された意識は、夢の中で超能力を得て万能になる。夢は単なる休息の中の幻ではなく、そこには未知と神秘への禁断の扉を開く鍵が潜んでいるのではないか。あるいはジェイミーのことも、レミの夢かもしれない。しかしそれは夢の中で進化したレミの能力の賜物なのだ。
ふとレミは思った。夢の中でだけ君に会えるというラブソングがたくさんあるが、それは虚しい思いではなく、愛の力が夢の中で開花するということかもしれない。
ジェイミーは歌う
「目を閉じて 願い事を唱えれば
そこは限りない夢の世界
足元に掛けられた虹の橋を渡って
君はどこへでも行ける
妖精の住む国へ
探し続けた伝説の都へ
決してたどり着けない彼方の星へ
透き通った鏡の中へ入って
君は何にでもなれる
おとぎの国の王女に
向かうところ敵なしの騎士に
二つの月の下で眠る異星の人に
目を閉じて 願い事を唱えれば
そこは限りない夢の世界
魔法から生まれた鍵で扉を開ければ
君は誰にでも会える
物語の中のあの主人公に
花束と詩をささげた憧れの人に
夜空の星になったあの人に 」
レミは夢をたくさん見るようになった。その多くは、日常からかけ離れた未知の情景だった。ジェイミーの記憶の一滴が、レミの夢の中で波紋を広げたかのようだった。
それは映画「2001年宇宙の旅」でボーマン船長が見た「無限の彼方へ」の映像を思わせる、幻と混とん(カオス)と摩訶不思議と驚異が入り混じった世界だった。
「光あれ!」の一言で出現した、天地創造のめくるめく光の洪水。その光に征服され抗い続ける宇宙の闇。激しく燃え盛る太陽。静寂の闇に孤高の光で輝く天体。膨張する赤い星。膨張する宇宙全体。時の間隙から無数の星が誕生し、存在し、数知れぬ銀河となり、宇宙の無限に目隠しするように輝きで満たしていく。
夜空の星はよく宝石に例えられるが、それは地上の人間が決して手に入れることができないものだ。手に入らないもの、届かぬものへの憧れ、情熱、諦念が、人の心に光と影の両方を与えている。
宇宙に秩序と意味を与える光の源は愛だと、ジェイミーは言った。では愛とは何なのだろう。存在することへの無条件の肯定。生命への慈しみ。
「地球という星の地球人である君と、何百光年という彼方の星から来た精神体である僕との出会い。こんなに異質でかけ離れているけれど、相違から生まれるのは敵対心でも恐怖でもない。僕の作り出す音楽に共感し、君が心を開き感動を分かち合うとき、そこに生まれるのは愛なんだ」
ジェイミーへのこの気持ちは愛なのだろうか。
進化の過程でずっと劣っている地球人の私の愛は、宇宙への入り口に佇んでいるにすぎないのだろうかと、レミが自分に問いかけた。
季節はめぐり、雪は解け、冬眠していた動物たちは目覚め、葉を落とした木々の枝には新たな生命が芽吹こうとしていた。丘の上の野原にも、春の足音が近付いていた。
ある日レミは、空気の中に胸を締め付けるような甘く懐かしい花の香りを感じ取った。新生と再会の春が巡ってきたというのに、レミの心には不安と切なさが陽炎のようにたゆたっていた。
そしてその不安がついに現実となった。
ジェイミーが、故星に帰るときが来たことを告げたのだ。それは心のどこかで予感していたことではあったが、百年宇宙を旅し百年冬眠するというジェイミーの故星への帰還の時が「今」だということが途方もなく不条理で不運だと思えた。今ここを去れば、戻ってくるとしても百年後ということになる。自分はおそらく生きていないだろう。
急速に胸の中で肥大した塊を吐き出すように、レミは叫んだ。
「なぜ、なぜ今!?
ジェイミーがいないと、生きていけない!」
自分でも驚くほどの激情だった。その激情がラブソングやメロドラマの中の自分とは無縁の科白をほとばしらせたことにも愕然とした。その言葉と一緒に、涙が堰を切ったようにあふれ出た。
それに対して、ジェイミーの冷静な言葉が、なだめるように伝わった。
「君の心は夢の中で宇宙を旅した。時空を超えてどこへでも行ける能力を、君はすでに得ているんだ。僕が生み出す音楽に感応する君の心は、たとえ肉体が滅びても生き続けるだろう。この広い宇宙にどこかで、心は必ずまた出会うのだ。
では、また」
未練たらしいやり取りをする暇も与えず、ジェイミーはマントを翻すように颯爽と去っていった。夕暮れの野原には、静寂を覆うように影が立ち込めていった。
その夜、寝付けないままレミは部屋の窓を開けて夜空を見た。夜気はまだひんやりとしていたが、冬の凍てついたような空と違い、春の霞が広がったような夜空の主役は、すでにオリオンではなかった。七つの星が並んだ北斗七星を擁するおおぐま座が、春の夜空の頂点にあった。
赤く泣きはらしたレミの目を夜気が冷やして冴えわたらせ、星々の瞬きが夜伽をする様に優しく囁きかけた。その星々の間をすべっていく流星を、レミは見た。その後、浅い眠りの中にサンドマンの砂のような水脈をひいて流星は流れ続け、夢の中でそれはオルゴールに似た音色を持ち、やがてジェイミーの声になった。
「さようなら、レミ、また会おう」
翌朝、太陽が昇ってくる前にレミは家を出て、丘の上の野原に向かって走った。まるで夢のお告げに従うように、放心した一心不乱の表情で。息を切らせてようやくたどり着いた丘の上の空間は、朝陽を浴びて、目覚めの交響曲が鳴り響いているようだった。鳥がさえずり、咲き初めた春の花々が鳥と声を合わせて歌っているように思えた。
ただ、草の上にぽつんと置かれたギターは、弦がすべて切れて垂れ下がって、音楽会から取り残されていた。レミはギターを手に取った。つい先日まで美しい音色を響かせていたとは信じられないくらい、それは汚れて古びて見えた。魔法が解けた後の物体の打ち捨てられたような寂寥感がそこにはあった。
「本当に行ってしまったんだ」とレミは呟いた。
また新たな涙がひとしずく頬に流れたが、瞑想するように目を閉じ数分間沈黙した後、目を開けたレミの瞳には決意が宿っていた。
「このギターに弦を張って、ジェイミーの曲を演奏しよう、歌を歌おう。私はもうジェイミーの音楽を生みだせるのだから」
そして、レミの中でジェイミーの音楽は生き続けるのだ。
「私はこれからずっと生きていく、生きていける」
ジェイミーが次の活動期間に備えて冬眠している間、レミはジェイミーの音楽を、生命を受け継ぐように、人生を送っていくだろう。そして地球での人生を全うしたとき、レミの精神は肉体を離れて宇宙へ飛び立っていくのだ。ジェイミーの待つ宇宙へと。
朝陽がレミの瞳に燃える決意を、さらに強調するように照らした。
レミは思い切り叫んだ。
「ジェイミー、ありがとう~!」
遠い谷や森を経めぐって吹いてきた風が、その言葉を大切な贈り物のように包んで舞い上がり、はるか彼方へと旅立っていった。