3、新天地へ
3、新天地へ
第3楽章の疾走する分散和音と叩きつけるような音は、ワープとシンクロした。
その瞬間、それまでのオブラートに包まれたような心地よい夢は、壁紙がはがれるように消えてなくなり、その背後からは無残な光景が露出した。
それは廃墟と化した地球だった。
黒く焼け焦げた建物や木々、木っ端みじんになった生活の残骸、雨は潤いではなく、崩壊の傷口に染みるレクイエム。
生命の兆候のない凄惨な情景は、最も無情な悪魔の一撃によるものだった。
全面核戦争……平和という大義名分の陰で、核保有国はより強力な核兵器の開発を進めていた。そして、ほんの一握りの狂気によって、核抑止の均衡が破られたのだ。
核の爆発によって発生した大量の煤煙が空を黒く覆いつくし、太陽を遮った。そのため地球は氷河期の状態となった。
この壊滅されつくした無間地獄の中では、生き延びるすべは皆無かと思われた。
夢の蔽いがはがされて現出したこの地獄絵図が現実なのだと、受け止めざるを得なかった。私はこみ上げる不快感の中、嘔吐するように泣いた。
私の故郷、地球がなぜこんなになったのか。泣いても泣いても、そのショックを克服することはできなかった。涙の洪水が絵空事ではないと、止まらない涙に溺れながら感じた。
千々に乱れる感情の波間に、不意に凪いだ通り道を作るように伝わってくる声があった。
「ハロー」
脳裏に直に聞こえるその声に、悲嘆に暮れていた私は何の心構えもなく、ひたすら驚くばかりだった。
「私はこの船の船長です。テレパシーであなたに話しかけています。」
テレパシー! ということは、やはりこの宇宙船は異星人のものだったのか。相手は私の心が読めるかのように続けた。
「そう、私は地球外生命です。私たちは精神体として随分昔から地球を訪れていましたが、姿が見えないので気付かれることはありませんでした。それに、私たちは地球(人)に干渉しないことをモットーにしています。」
私は異星人の言葉を翻訳機にかけるように注意深く吟味したが、地球が破滅し私たちが宇宙船でどこかへ向かっているという事実とそれは齟齬しなかった。
しかし、なぜ?
「私たちは地球人に干渉しない。けれど、ごく一部の人間とコンタクトすることはある。私たちは、音楽をこよなく愛する種族です。その音楽を通して魂が共振できる人間と、コンタクトをした。そして今回も、私は地球上で最も偉大な作曲家の一人と認めるベートーヴェンの「月光」に好意的な反応を示した人間をこの宇宙船に集めた。緊急の事態だったので、私にはそれが精一杯の選択基準だった。」
夢の中で「月光」は激しい第3楽章へ突入したが、今夢から覚めて舞い戻ったこの船内には、相変わらず第一楽章が地球の滅亡が遠い昔の出来事のように静かに穏やかに、しかしぬぐい切れない悲しみをまとって流れていた。
「人々は「月光」に一様に順応し、そのメロディを血液や意識の中に巡らせていった。私は人々の記憶を有益な知識だけ残して消し、代わりに心地よい夢で蔽った。そして夢の世界に没頭し、用意した睡眠室で目的地に着くまで眠っているように仕向けた。」
ではルナティック症候群も異星人によって想定されたものだったのか。私は納得すると同時に、まだ大半を占める不可解な部分の重みを体に感じた。
「この船の目的地というのは、どこなのですか」
私は初めて声に出して尋ねた。
「銀河系の、地球から千光年ほど離れたところにある、地球によく似た青い惑星だ」
と異星人は事務的な口調で答えた。銀河系は直径10万光年で、数千億の星があるというから、一般的な地球人の尺度しか持たない私には、理解を超えた気の遠くなるような話だった。そんな遠くにどのくらいかかってたどり着くのだろう。
異星人は私が言葉にするより先に疑問を読み取った。
「あと1か月ばかりで到着する」
ワープをしたとはいえ、そんなに早く着くとは、この異星人の文明や科学が地球のそれを比較できないほど大きく上回っていることの証左以外の何でもなかった。
「君もこれから他の人たちと同じく、カプセルに入って眠るといい」
異星人の言葉から感じられる、若干のいたわりのような優しさが、私の緊張と孤独によって生じた心身の凝りを清涼剤のように癒した。
一人の人間の身には重すぎる広大無辺の宇宙の迷宮の中の孤独からようやく解放されると思うと、私の抑圧された気分は一気に軽くなった。
しかし、置き忘れた大事な荷物のような謎が、まだ残っていた。
「なぜ、私一人だけ取り残されたのでしょうか」
私は少々うらみがましさを込めて、単刀直入に問いを投げかけた。
「船の中でテレパシーが通じるのは、君だけだったから」
そう言った後、異星人は、彼らにも感情があるのだと意外に感じるような、それまでの冷静で単調な話し方とは違う抑揚のある声で話し始めた。
「私は今から百年と少し前、地球を訪れた。地球歴だと20世紀末の頃だ。地球は青い空や海、山、花々、木々など自然が美しく、素晴らしい音楽に満ち溢れていて、私はそこがとても気に入った。地球上を旅していた私はある日、丘の上で一人の人間と出会った。その人は私が歌う歌に聞き惚れ、褒めたたえた。私の音楽にこれほど感動する人間は、それが初めてだった。短い間だったが、私たちは星々の興亡の絵巻の両端ほどの隔たりを超えて、心を通わせた。
私は百年の眠りにつくため故星に戻ったが、眠りから覚めてしばらくして、仲間から地球のことを聞き、すぐに宇宙船を用意して地球へ向かった。それは、「その人」の強い要望でもあった。
そして君は、私が約百年前に地球で交信した「その人」の子孫だ。」
最後の言葉は、私の心に思いもかけない方角からの矢のように刺さった。自分が誰かもわからない私には百年前の先祖といわれてもピンとこないが、「遺伝」という観念でテレパシーや私が見た夢の内容などの辻褄が合ってくるような気がした。
異星人の話の内容は、文明の大きな落差などがあって完全に理解することは不可能だったが、それにしても、異星人の地球への愛情やその滅びへの哀惜の念、そして交流した人物への深い思いは、私たち人間のそれと変わらなかった。私は異星人の心を通して失われた地球への悲しみを爆発させ、ボロボロと涙を流した。
その一方で異星人は普段の冷静さを取り戻し、「それでは」といってテレパシーによる交信を終えようとした。
私は慌てて声を張り上げた。
「待ってください! あなたは一体……あなたは誰なのですか」
異星人は、先ほどの人間的な情感を漂わせた声で答えた。
「君の先祖の、私が交流した人は、私のことを「ジェイミー」と呼んだ」