1、ムーンライト号
1、ムーンライト号
静けさが私を取り巻いていた。
静けさには2つの種類がある。1つは、大きな脅威を隠蔽しているような、不気味で不安を掻き立てる静けさ。もう一つは、煩わしい騒音や雑音が消え去った後の清々しい空白の静けさ。
私の周りの静けさは、後者に近かった。しかしそれは安心感を保証するものではなく、ヒタヒタと迫ってくる不安とは無縁ではない。
ただ、得体のしれない不安を宥めるように感性を撫ででいく音楽が、かすかに静けさを蔽っていた。ゆるやかに幻想のメロディが繰り返されるピアノ曲、それはベートーヴェンの「月光ソナタ」だった。
私が突如、この場所へと覚醒したのは、3か月ほど前のことだった。それは私の曖昧な時間感覚による数字で、実際にどれほどの時間が経過したのか、正確にはわからない。腕時計は相変わらず時を刻んでいるがそれは単なる惰性で、「以前」からの一貫性が見いだせない今の状況の中では、役に立たない玩具に等しかった。
ここは昼も夜もない。
一日が24時間で昼と夜とが交替で訪れるという地上の常識は、ここでは通用しない。人工の灯りは微妙に明るさの調整はできるが、それは人為的な照明にしては自然過ぎた。かといって太陽の光と比べれば、その差は歴然としていて、その不可思議な明かりを何かに例えるなら、月の光が一瞬の魔法で太陽の光に仮装しているといった風だった。
そんな謎の明かりに照らされたこの場所は、吹き抜けのような高い天井が蒼穹の役割を担った、だだ広い空間だった。
最初そこは千名ほどの人間が存在し、さながら大学のキャンパスのような賑わいだった。皆一様にこの見知らぬ場所で目覚め、驚きと違和感を共有しあった。皆初対面だが、自己紹介しようにもそもそも自分が誰であるかを思い出せなかった。
もちろん私も同じだ。時間も空間も方角も空気もすべてが、羅針盤の針が狂ったような五里霧中の状態の中では実感から遊離していて、その中の基盤となるべき自分自身もまた把握できないという、救いようのない現状だった。
人間は大勢いたが、仔細に観察すると、老若男女(若年層中心)多国籍で、彼らを識別するうち、私は自分が地球の日本人であることまで思い出した。が、それ以上先のことは、記憶を塗りつぶそうと発生する靄によっておぼろげになった。
人々は他の人間たちに言葉を投げかけることで解決の糸口を見いだせるかのように、周囲に手当たり次第に話しかけ、問いを発した。はじめは自国語で頑是ない幼児のように騒いでいた人たちは、次第に共通言語として最も有力な英語を使って話すようになった。
英語以外の言語しか話せない人たちも、互いに通訳しあって意思疎通ができるようになり、コミュニケーションの輪は大きく広がった。
そして多くの人々の知識や情報、知能を寄せ集めて検討した末、色々なことが判明してきた。全員に共通した基礎となる事実、自分たちがどこにいるのか、の答えが出た。
それは、宇宙船の中だった。
誰もがその答えに納得したが、それに付随して多くの疑問がそこから枝分かれするように生じた。
何故、何処へ、誰が、云々。
究極の答えは出なかったが、分かったことは、ここが巨大な宇宙船のなかで、皆がいるだだ広い空間は居住エリア、そこは他の部分と隔壁で区切られ、扉は固く閉ざされていて、そこから出ることができない。空間にはテーブルやいす、ソファなどが無造作に置かれているが、大半は何もないスペースで、千人の人間を収容するという目的を満たすことが優先されていた。
空間の隅には狭いコンパートメントが人数分に足るほど沢山あり、中にはベッドがあって、そこは就寝したり一人になったりしたいときに利用できた。
他に食料や水が大量に保存されている区画やちょっとしたライブラリーなどもあったが、全体として生存するための最低限の設備しかなかった。
その理由を、私たちは程なく知ることになる。
宇宙船の目的等の情報を握っている船長や乗組員は居住スペースにはおらず、従って、頑丈な壁に阻まれてそうした詮索はことごとく挫折した。
人と会話したり歩き回ったりコンパートメントで休息したりという単調な毎日の繰り返しで、人々は特殊な状況に慣れる方向に自然な流れで向かい、答えの出ない追究や詮索は沈静化していくかに思えた。
しかしそんなある日、惰性を打ち破る出来事が起きた。
「船がワープした!」という興奮気味の声が上がったのだ。それは、英語を話す40代くらいの白人男性だった。
ワープ航法とは、SF映画や小説の中に出てくる超光速航法で、恒星間宇宙船には必須の物だった。しかし光より速いものはないという相対性理論の鉄則を覆すことは現実には至難で、22世紀になっても実現の目途はたっていなかった。
ゆえに太陽系外の恒星への宇宙船での有人飛行などフィクションの枠を出ておらず、人間が宇宙で到達できた範囲は、火星がやっとだった。だからワープという言葉を聞いた時、私は自分がフィクションの世界に迷い込んだのではないかと一瞬錯覚した。けれども、どんなに特異な環境であれ、ここは紛れもなく「現実」なのだと、私の体内で生命の証言者として脈打つ心臓の鼓動が告げていた。
「ワープって?」と誰かが問いただした。
「SFの古典の「スタートレック」にでてくる瞬間移動のことか?」
その声には明らかな懐疑がにじんでいた。
「そうだ、そのワープだ」男性は自信をもって答えた。
「何を根拠に……」
「聞いてくれ、私は以前、ワープのシミュレーションをしたことがある。」
ワープ航法は開発されていないが、ワープのシュミレーションは無重力体験と同様に行うことができた。といっても空想の混じったアトラクション的なもので、まだ実験段階なのでごく限られた人しか体験できなかった。その男性は体験できる地位にでもあったのだろうか。自分が何者かは覚えていないが、そのワープ体験は身体感覚とともに記憶していたらしい。
彼によると、ワープする瞬間、肉体的な衝撃はほとんどないが、現実(覚醒時)から夢へとシフトするような、チャンネルが切り替わるような奇妙な感覚があるという。意識がふっと薄れ、自分が極小分子の集まりにまで還元されて、未知の時間にさらわれて行くような感じ。
人々は彼の説明に、半ば感心して納得し、半ば疑いを抱いた。そのどっちつかずの不透明な空気の中、一人の若者が進み出た。
「僕もさっきそういう感覚がありました。何かにつまずいて、その瞬間に時間と空間のクレバスに落下しそうな感じだったんです。」
すると、その発言をきっかけに複数の人々が先刻ワープ体験をしたと口々に語り始めた。
「僕も感じました!なにか意識が宙返りするような感じ。あれがワープだったんですね」
「私もよ!あれがワープだったなんて、信じられないわ」
「ではワープだったんですね。今までに感じたことのない、世界観が変わるような一瞬でした」
そのワープがきっかけだった。人々がルナティック症候群にかかるようになったのは。それは夢に取りつかれる奇妙な症状だった。最初は夢の中でとてもきれいな景色を見たとかすごく幸せな気分を味わったという程度だったが、それがエスカレートして、夢の世界にずっと浸っていたいという願望に支配されるようになっていった。
その願望は心のなかで野生化するように、抑制のきかない欲望へと育っていき、葛藤で半狂乱になった人物が無意識のうちに「睡眠室」のドアを開け、そこに並んでいた無数のカプセルにおびき寄せられるように入り込んだ。自らカプセルのスイッチを入れ、カプセルを閉ざして長い眠りについた。
人々は彼の一連の行動を唖然として見守っていたが、自分も早晩彼に倣ってカプセルに入ることになろうとは、知る由もなかった。
まるで伝染病のように多くの人々が同じ症状に陥り、夢遊病者の群れのように睡眠室に彷徨いこんだ。
一度目のワープの後、数日以内に約2百名が睡眠カプセルに自ら閉じこもった。そしてそれから約1か月後に2度目のワープが起こり、その数日後には約4百名がルナティック症候群になって、同じ道筋をたどった。
残った人々は半数以下に人口が減った居住スペースで、ぽっかり空いた空洞のような新たな空間に不安と怖れを抱いた。人間の不在から生まれた空間が、人知で計り知れない落とし穴であるかのように。
以前医者だったと思われる人物が、それをルナティック症候群と命名した。特に精神に大きな異常をきたすわけではないにせよ、明らかに尋常ではない行動がみられるということもあるが、それは船内にBGMのように流れる「月光」の曲から想起した命名だった。
因みに、船の名前も「月光」からとって「ムーンライト号」と、私たちはほぼ全員一致で名付けた。
「月光」の第一楽章がエンドレスで流れていたが、それは耳障りということは決してなく、むしろヒーリング効果のほうが大きかった。宇宙船に乗り合わせた約千名全員がこの曲を知っていて好きだと答えたのは、果たして偶然なのだろうか。
私たちは主にルナティック症候群について話し合った。その夢は記憶喪失している私たちの地球での記憶ではないか、それゆえに心惹かれ執着するのではと。
それは理屈に適っているが、不思議なのはワープの後特定の人々が発症することだった。ワープは人間にとって未曾有の体験だから、それが精神面に及ぼす影響は未知数といえる。そのストレスが引き金になって、幸せな夢へと人々を駆り立てるのではないだろうか。
それにしても1回目のワープの後約2百名、2回目の後約4百名と、まるで計画したようにルナティック症候群にかかるのは不自然だった。何か人間の理解を大きく超えた知性による操作が背後にあると思わざるを得なかった。
そして、ムーンライト号を操縦するのが異星人だという考えが、残された私たちの間に、迷妄を蔽いつくす宵闇のような速さで浸透していった。