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その五十 雫、言葉を失う

 意識しないまま思いを零すように、誰へともなく桜はそう云った。そうしてすぐに、はっ、と己の口を塞いだ。


「も、申し訳ありません。このような差し出がましいことを――私としたことが、御剣様に永久とわの忠誠を誓ったと云うに、わ、私は」


「……いいよ。いいよ」


 気にしないで、と雫はそんな桜の背を撫でて、落着かせた。


 そうかも知れない、と雫は思った。桜を行かせたくないのは、本当はそれが理由なのかも知れない。


 ――まだ、終わって欲しくない。


 そう、思っているのかも知れない。

 前に自身で思ったことを、雫は振り返る。

 物語は、何時しか必ず終わるのだ。

 無念が残ろうと、悔いが募ろうと。

 お話は終わってしまう。


 邪鬼を倒せようと倒せまいと、きっとそれは、同じことだ。

 絵巻の世界は、何時しか終わる。

 何が起きようと、物語は終わり、そして雫は此処を去る。

 別れの刻が、迫っている。


 ならば。

 雫に、何が出来るだろうか。


「出来た」


 達磨の頭を載せ終えると、満足そうに颯太はそう云った。

 そうして、少し離れた処から、その出来映えを眺めている。

 眼を輝かせ、心の底から嬉しそうに、笑っていた。

 雫は、ただそれを見ている。


 ――何が、出来るだろうか。


「夜になれば、妖怪あやかしは一層勢いを増します」


 桜はまた、口を開いた。


「幕府方の軍勢が持ちこたえるのも、町の守りが保たれるのも、恐らくはその時まで。破られたが最後――全ては、終わりを迎えます」


 雫はほう、と息を吐いた。

 吐息は、真っ白に揺らめいて何処かへ消えた。

 雪は、降り続けた。



 そして――。

 何も出来ぬまま、夜が来た。


 雫は暗い部屋の隅で刀を握り、壁にもたれて座し、黙している。


 部屋には颯太、桜、岬、巴がいる。誰も何も云わない。動こうともしない。姫は未だ、己が部屋で伏せったままだ。

 宿の中は、人っ子一人いないかのように静まりかえっている。

 町は、死に絶えたように夜をたたえている。


 ――このままでは、いけない。


 口を一文字に結び、雫は強く、そう思った。

 

 その時。

 事は唐突に起きた。


 ごう、と異様な音が、外から聞こえた。

 燃えたぎる何かが、凄まじい勢いで飛び行くような――。

 雫は素早く腰を上げると、窓に駆け寄り障子を開き、外を見た。


「あれは……」


 眼を疑う光景だった。


 空には――。

 炎に包まれた大きな獣が浮かんでいた。


 獣は、眼を覆いたくなるほどの禍禍しい貌をしていた。

 その虚ろな眸には、何も映し出されていない。

 口を開く度、ちろちろと暗い色の緋炎が漏れた。


「火車――」


 何時の間にか横に来ていた颯太が、小さく云う。

 ぱちぱちと、炎の爆ぜる音が此処まで聞こえてくる。


 妖怪あやかしは、小さく唸り叫ぶと、

 この世の果てまで響き渡る醜怪な鳴き声を上げ、

 その身をぐるりと、夜闇の中で舞い巡らせた。


 そうして暴れまわる度に、

 飛び散った炎が、江戸の町中に降り注いだ。


「いかん――」


 颯太が、眼を見開いて呟いた。

 飛び散った数多の妖しの炎は――。


 たちまち江戸の町を、火の海にした。


 半鐘の音が、鳴り響いた。


「いけない!」


 雫は部屋を飛び出し廊下を駆け抜け、玄関から表へ飛び出す。颯太も桜も岬も巴も、その後に続いた。

 玄関先で立ち止まった雫は、外の光景を見て絶句した。


「……そんな」


 既に周囲では、怪異の炎が燃え広がり始めていた。

 明らかに天然自然の火勢ではない。元元雪が積もっていたのだからそこまで燃えることはないはずなのに、そんなことを無視するかのように、そればかりか雪までも燃やし尽くすかのように、炎はじわじわと、辺りの建物を侵し始めていた。炎の影が、煙の揺らぎが、町の全てを覆い尽くす。


 そしてそれに紛れ込むように――。

 妖怪あやかしたちが、姿を現した。

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