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その四 雫、魅入られる

「じゃから、未だに無視されておるんじゃ。

 写実画でもなく空想画でもなく、ただただ好きな物がつらつらと並べて奔放に描かれておるだけ。


 雅楽の好んだ物語に出てくる、泡沫(うたかた)の如き虚言(そらごと)が、ごたまぜになって極彩色で描き出されておる。

 一応読本のように筋立てはあるようなんじゃが、文字になって残っておらんから、今となっては誰にも分からん。


 絵巻と題されてはおるが、実のところジャンル分け不能の総合芸術、頭の固いボンクラ学者連中の度量を越えとるんじゃな。

 結局これだけの作品でありながら、誰も評価しとらん。仕方ないからわしが貰い受けた、というわけ」


 得意げにそう言う祖父に生返事をしながら、雫はもう一度頭から絵巻を見返した。

 江戸の町の外には、明媚な自然の情景が、水墨画のように迷いなく力強い筆勢で描かれている。


 そこまで話した祖父は、ご機嫌を伺うように恐る恐る雫に尋ねた。


「……気に入ったかの?」


「まあ……嫌いじゃない」


 素直でない性格の雫にとってはそれが、大いに気に入った、という意味になる。

 絵巻に見入る雫の姿を見て、祖父は嬉しそうに微笑んだ。


 それから雫は改めて、首を傾げてみせた。


「それで、私は何を手伝えばいいの? 絵巻物一巻きを展示するだけならお祖父ちゃんでも出来るじゃない」


「いやいやいや。この絵巻をここに置くということはじゃな、この部屋全ての品の配置にも関わってくるということじゃ。

 全体のバランス、組み合わせ、その辺も館長たるわしのセンスが問われる。


 ここにこれを置いたらあそこに甲冑があるのは具合が悪い。あちらに馬具が見えるのはよろしくない。

 並べ替えねばならん。そんなわけで、力自慢の強力(ごうりき)雫に出馬を願った」


「人を金太郎みたいに呼ばないでください」

 雫はむっつりと口を真一文字に結ぶ。


 とはいえ、学校一の力持ちであることは事実であるから言い返しにくい。

 一年生の時の文化祭の企画で腕相撲勝負をやったところ、すまし顔のまま来賓の大学生の男まで一人残らず負かしたため、最近ではクラスの男子から「魔人」と呼ばれるまでに至っているのである。


「まあそう言わず。それじゃあお祖父ちゃんはちょっと事務室で用意してくるからの、ちょっとここで、待っていておくれ」


 そう言うなり、返事も待たずに祖父は展示室から去っていく。

 浮き足だったその後ろ姿を見て、雫は軽く頭を掻いた。

 どうにも物を断れない性分で困る。


 そうして雫は、静かで仄暗い展示室に一人残された。


 雫は再び、傍らの絵巻へと目を戻す。

 ぼんやりとした灯りに照らし出された細緻な絵は、どこかうねるような、奇妙で妖しい力強さを感じさせた。


 雫はじっと、それを見つめる。


 今にも、その世界に取込まれそうになるほどだった。


(……一体何を思って、こんなもの描いたんだろ)


 ふと雫は、そう不思議に思った。


 これが並大抵の思い入れでないことは、一見して雫にも分かる。

 雫の知る限り、明治時代ともなると外国から入ってきた文物が(にわか)に持て囃されて、江戸時代の版画や浮世絵などは、まるで塵紙のようにぞんざいな扱いを受けたはずである。


 無論注文など来ようはずもない。

 ならばその歌方雅楽なる画家は、わざわざ自分の趣味でこんな手間暇かかるものを描いたことになる。


 一体何のために、描いたのだろうか。


(信じられないくらい心をこめて描かれてるな。でも、病的な怖さとか、凄みとかはないか。というより、何だか……)


 考え考え絵巻を眺めているうち、雫は何かに気づいた。


 町の外、小さく描かれた竹林の中に、一人の影がある。


 ――それは、少年だった。


 歳も雫と同じくらい、元服も済ませていない、年若い少年の姿である。


 稚気に満ちた愛らしい顔立ちで、人気(ひとけ)のない池の端の岩にぽつりと一人で腰掛け、一心に何かをしている様子だった。


「なんだろ……」


 気になった雫はそこに、顔を近づけた。

 すると。


 その少年が、()()()()()()()()()


「……え?」


 何かの見間違いだろうと、雫は目を擦る。


 そんなはずがない。

 薄暗い部屋だからぶれて見えたのだろう。光の加減で錯覚したのだろう。

 画が独りでに動くなど有り得ない。そう思う。

 思うが、しかし、


 しかし間違いなく、彼と目が合っている。


 雫は、目を逸らすことが出来ない。


「あれ……?」


 波打つように絵巻が(うごめ)く。

 天地が淡き光を放つ。


 所狭しと描き出された人、物、妖怪(あやかし)、自然の全てが、まるで生命(いのち)を得たかのように、縦横無尽に動き始めた。


 雲は揺蕩(たゆた)い草木は(なび)く。

 陽光(ひざし)(そそ)ぎ、水面(みなも)は流れる。


 どこからか夏の熱っぽい風が吹き、雫の頬を、優しく撫でた。


 人々の生き生きとした喧騒(ざわめき)飛鳥(ひちょう)の鳴く声、柳のそよぐ音。

 無音のはずの部屋の中で、それらが確かに、雫の耳に聞こえてくる。


「うそ……」


 紙に塗りつけられた顔料(えのぐ)に過ぎなかったはずの何もかもが、無限大の広がりを持って、雫を包み込むように迫ってくる。


 美術館の暗い部屋は最早雫の目に入らず、絵巻の世界が、目前の全てとなる。


 (うつつ)と夢の別は失くなり、(まこと)(うつろ)が反転する。 

そして、



 そして視界が、

 ゆらり、と歪んだ。

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