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その三十四 雫、息荒くうずくまる

 神社と云うよりも桜の言のとおり、ただ小さなお社があるだけの、自然のままの森である。風に吹かれた木木の影が、寂しく妖しく揺れていた。


「あー、はあ、はあ、はあ、はあ……」


 敷き詰められた砂利の上に倒れ込むと、雫は乱れた息を何とか整えた。颯太は、横で呻き声を上げて引っ繰り返っている。大して脚力もない者がよりにもよって雫と手を繋いで走るなど、飛脚と老人を紐で括り付けるようなものであって甚だ非人情な話と云える。


 一方、殊の外疲れた様子の見えない桜は、鋭い目をして辺りの様子を窺っていた。


「ど、どう、桜ちゃん、何か、いる?」

「――いえ、御剣様。何も見当たりません」


 あれだけ大きな鳥が見当たらないのであれば、今はいない、と考えた方がよいのだろうか。それとも、ここが相手の本陣である、ということ自体がそもそも考え違いだったのかも知れない。そう雫は、寝不足と疲労で調子が今ひとつの頭を無理に回して考えた。いや実際、そうならそうで構わない。なんでもいいのでこの肝試しからさっさと解放して欲しい。 


 地面に寝そべったままの颯太が、何とか口を開く。


「そ、そう云えばお前たち。大きな鴉だ化物鳥だと頻りに云っていたが――実のところ、どのくらいの大きさなのだ。それが判らぬと、探しようがないぞ」


 改めて颯太にそう問われて、雫は首を傾げた。


 そう云えば空を飛んでいるところしか見たことがないから、具体的にどの程度の大きさなのか、未だに把握していない。ただ漠然と、大きかったという印象が残っているだけである。ばさばさという激しい羽音、異様な雰囲気から、そのように判断していたに過ぎない。


 ゆっくりと立ち上がると、颯太は着物に付いた土埃をぱんぱんと払った。


「まったく。揃いも揃って自分たちがどんなものを探しておるのかすら判っていなかったのか」


 そう偉そうに云いつつ歩いているが、まだ足元がふらついている。手近な鳥居にもたれ掛かると、颯太は一息ついた。


「そんなことでは、こんな夜中にこんな暗いところで鴉など見つけられるわけがないではないか。闇夜に鳥の譬えそのものだ。どうするんだ、埒があかんぞ」


 疲れているとはいえ一人ぐっすり眠っている分、猶更威勢がよい。

 得意げに滔滔と説教する颯太を睨み付けながら、しかし雫は、ふと奇妙に感じた。周囲に影になる物など特にないはずなのに、颯太の姿が、矢鱈やたらと薄暗くて見づらい。提灯が消えてしまったからだろうか。


 ――いやに、暗いな。


 その時。

 

 ばさり。


 酷く大きな羽音が聞こえた。


 厭な予感がして、雫は顔を歪める。

 颯太の立つ、暗い地面の影が揺らいだ。


 そう云えば。


 出ていたはずの月の光がない。


 雫は――少しずつ上を向いた。

「ギャア」

 耳障りな鳴き声が聞こえる。

 


 其処には、広げた翼が空を覆わんばかりの巨大な鴉が、

 鳥居に留まって雫たちを見下ろしていた。



 人の顔ほどもある黒光りする眼、太く鋭利なくちばし、艶やかな純黒の羽、鳥居を強く掴む爪。

 天を覆い隠すほど大きな鴉は、じっとこちらを見据えていた。


「雫――」


 雫の視線の向く先に気づいた颯太と桜も、口をぽかんと開け放したまま、化物を見つめている。颯太はゆっくりと、呟いた。


「――拙いぞ」

「分かってる……」


 雫は腰に手をやる。今は、伽羅倶利屋で貸してもらった木刀を差している。多寡が鳥相手だからこれでたくさんだろう、とその時は思っていた。しかし目の前にいる妖物は、甘い予想と比較にならぬほど大きい。


「ぎゃあッ」


 知らしめるように再び高く鳴くと。

 鴉は鳥居から飛び立ち、真っ直ぐ雫の元へ滑空してきた。


 素早く横っ跳びに避けると、雫はすれ違い様に木刀を厚いその羽に打ち込む。見事に当たったが、あまりの力の強さに雫はそのまま跳ね飛ばされて、ごろごろと神社の地面に転がった。


 一応効いてはいるようで、鴉もギャアギャアと喚き立てた。しかし雫の側も、咄嗟に受け身を取らなかったら大変なことになっていたところである。痛みを堪えながら雫は素早く身を起こした。

 一方上空まで一旦飛び戻った鴉は、ぐるりと空中で廻って、またこちらへと風を切って降りてくる。


 空を見上げたまま、顔を引き攣らせて雫は叫んだ。


「ちょっと颯太! なんか出して!」


「え、な、なんかって何だ、ま、待て、今描く」


 しどろもどろになりながら颯太は筆を執り始めたが、到底間に合わない。鴉の攻撃は始まった。


 嘴を真っ直ぐ雫の方へ向けて飛んでくる。仕方がない。雫は足元の砂を引っ掴むと、思い切り投げつけた。目潰しである。卑怯でもなんでもいいから、取り敢えず相手の動作を封じなければならない。


 しかし。


 砂が来ると気づくや否や、鴉はばっと横に避け、その流れで片羽を使って雫にばさりと風を送った。


 とんでもない風圧で着物の裾が捲れ揚がり、真っ赤になった雫はそれを押さえるのと同時に、颯太が見ていないか確かめるので躍起になってしまう。顔を向ければ案の定、筆を握ったままの颯太はぼうっと雫を見ていた。


「だからお前何で今だけ私を見てるんだ! 私のお尻なんかいいから集中して描け……うわっ」


 自分で投げた砂礫すなつぶてが、思い切り自分の目に入った。

 涙がボロボロ出てきて、雫は前が見えない。


「あーもー私のバカ!」

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