その二十九 雫、熱を感じる
そうして雫が童たちを相手してやっていると、幼い方の男の子が近寄ってきて、雫が腰に差していた竹光に不意に触った。そして、鼻づまり気味の大きな声を上げる。
「あれぇ、軽いよ」
「おいお前、お侍さまの刀に触っちゃいけないんだぞ」
兄らしい大きい方の男の子が訳知り顔で叱る。雫は苦笑した。
「私のは、別にいいよ」
「どうして、本物の刀じゃないの」
女の子が、円い眼を更に円くして訊く。
「うーん……」
雫は考え込んだ。予算の都合上、などと正直なことは云えない。否、果たして颯太の懐が足りたところで、自分は真剣を差すだろうか。
どうせ殺生などはしないのだ。ならば、張る見栄もないというのに刀など持っていたところで、詮方ないことだろう。
そう云えば、江戸時代の侍の中には実際、生計が立たずやむなく刀を質に入れ、竹光を帯刀していた者もいたと聞く。雫と同じく、身形を整えるためだけのものである。ならば、中身の有るや無しやは意味がない。
詰まるところ、必要なのはこの漆塗りの鞘だけなのだ。
「……重たいから、かな」
最後に何となく、雫はそう応えた。
そうこうしていると、ようやくお八つを食べ終えたらしい颯太がこの子達に気づき、よし、お兄ちゃんも遊ぶぞ、と云って騒ぎ出した。
子供たちは大喜びだったが、誰よりも子供じみているのは颯太である。何をして遊ぶかを率先して考えているのだ。面倒見がいいわけでも何でもなく、ただ単に一緒に遊びたかっただけなのだろう。雫は頭が痛くなった。
「――どうかなさいましたか、御剣様」
桜が微笑みながら云う。半ば判った上で云っているのだろう。桜と目を合わせている内に、雫もついには吹きだした。
「ふふふ……まあ、いっか。楽しそうだしね」
雫は縁台に両の手をついて、この地に出来た最初の友人を見る。
子供たちと駆け回る颯太は、誰よりも無邪気に、笑っていた。
そうこうしているうちに、黄昏刻になった。
子供たちが名残惜しそうに帰る一方で、辺りは段段と薄暗くなってくる。灯りも何もない江戸の町は、忽ち影に満ちた怪しげな雰囲気に包まれ出した。昨日と比べても、日が沈むのが格段に早くなっている。
「……夜が長くなるということは、これから妖怪が蠢く時間が長くなるということか」
「ん、何か云ったか雫」
一番名残惜しそうに子供たちへ手を振っていた颯太が、雫の呟きを聞きつけて問う。今日何をしに宿を出たか、微塵も憶えていないらしい。
唇を突き出して雫は嫌味っぽく応えた。
「べ、つ、に」
「何だ、教えてくれたっていいだろうに」
意地の悪い女は嫌われるぞ、と聞こえるか聞こえないかの小さい声で颯太は云った。耳聡く聞きつけて、雫は頭に血を上らせる。
「ちょっと、こんなときだけ女扱いか!」
「何時私がお前を男扱いした」
「のっけから褌を買い与えておいてよくそんな口が利けるな」
「そっちこそ、段段男口調が板についてきているぞ」
「だからそれもこれも何もかもあんたのせいで……」
「――私は、お前のことは初めから女だと思っている」
「なっ……何を、そんな、今さら、しれっと」
「動揺するところも可愛いな。あはは」
「このッ」
これ以上ないほど顔を真っ赤にした雫が握り拳を振り上げ、颯太が両手で頭を庇うと、少し離れて二人の様子を見ていた桜が、くすくすと笑い出した。そして云う。
「仲がよろしゅう御座いますね」
あっさりとそう云われてしまい、雫は何も返せなかった。ふふん、と得意げにしている颯太を横目で見て、始末の悪い思いになる。
ふと雫は、自分の顔に手を当てる。
頬の熱は、未だに去らない。
(うーん……これは、ちょっと……マズいな)
そんなことを考える。
それから、ふう、と息を吐く。
そして、思った。
これは、
――これは、そう、絵巻の中の絵虚言なんだ。
すぐ手の届くところでからからと笑っている颯太を見ながら、雫はそう思いこんで、もやもやとした想いを胸の奥底へと押し込めた。
曇天の所為もあって、江戸の町並みは時刻の割に暗かった。
三人は宿に向かって歩く。早朝に宿を出たきりで、もう随分刻が経つ。さすがに少し疲れたのか、颯太も余り喋らなかった。一方、昨日は早早に違う方角へ別れた桜が、今日は一緒の方角に歩いている。不思議に思った雫が問うてみると、桜は、
「実は、巴様が、今日は泊めてくださると――それも、只で」
と心から申し訳なさそうに応えた。
「そ、その、ご迷惑だろうと何度もお断り申し上げたのですが、一切聞き入れていただけず、そればかりか、これ以上断るようならこちらとしても出る処に出る、などとおっしゃって――」
「まあ……酔狂な人みたいだから」
何処に出る気だ、と冷めたことを思いながら、雫は肩を竦めた。
桜はか細い声でこう続ける。
「兎に角――御剣様と同じお宿で休めるとは――桜は果報者です」
「え? 今なんて」
「何でも御座いませんッ」
慌てて桜は打ち消した。雫は首を傾げた。




