その二十八 雫、団子屋で和む
さらりと告げる桜に唖然として、雫は目を円くする。桜は小首を傾げた。
「どうか――なさいましたか」
「いや、今何て」
「ですから、もうすっかり秋だと」
「あ、き?」
雫は何が何やら判らなくなって、眉間に皺を寄せた。
昨日この世界に降りたってすぐ、今目の前で大手を振って歩いているお目出度い奴から、夏の盛りだと教えられたばかりである。
しかし、そう云われてみると空気、雰囲気、何もかもが間違いなく、雫もよく知るこの国の秋のものになっていた。
薄曇りの和らいだ陽射し。時折急に吹き荒ぶ寒風。大きな屋敷の庭木も枯葉を付け、それが路の端に幾葉か落ちている。傍には蝉の乾いた死骸が転がっていて、如何にも侘しい心持ちにさせられた。柿の木に実がついているのもそちこちに見かける。
往来を行く人々の身形も昨日と違って、心なしか厚着になっていた。否、そんな瑣末なことよりも、この空気を感じれば、誰であってもこれが秋であることは判る。
何がどうなっているのか判らず、雫は再び桜の顔を見た。
しかし桜は、不思議そうにその小振りな顔を傾げるだけだった。
――ああ。
そう云うことか、と漸く雫は合点がいった。
祖父と共に眺めた泡沫絵巻、奇妙なところは、時代がない以外にももう一つあったのだ。
四季が、一つ絵の中、分け隔てなく一時に描かれていたのである。
絵巻の始まりは確か夏、青々とした草木があり、更にその少し先には、枯れ木が描いてあったように思う。つまりそれが今、そのままの形で雫の周りに起きているようだった。
桜のこの様子も、時代について尋ねたときと同じこと。疑ってはならぬ事だから、疑わないのだ。これに疑念を持ったが最後、絵巻の世界は立ちゆかぬ。そういうものなのだ、と受け止めるより他ない。
絵巻の中の人々は、初めからおかしいとは思わないのである。
瞬きながら此方を見つめてくる桜に向かって、ううん、何でもないんだ、と誤魔化しながら、しかしこの調子だと明日には冬になるのだろうかな、寒いのは嫌だな、と考えて、雫は抜けるような空を、ぼんやりと見上げていた。
しかしその後は――これと云った収穫のないままであった。
収穫がなかったのは、専ら颯太が原因である。結局のところ颯太の行きたい処へ二人が付き合わされているだけであり、要するに、昨日の遊行の続きをやっているだけのことだったのだ。
秋の香りの満ちた町並みを巡り、店屋を冷やかし、蕎麦屋で昼食を摂り、川縁の柳の木の下を、枝を掠めながら三人して歩く。
途中で寄った呉服屋で新しく羽織を買ってもらったため、雫としてもなかなか文句を云えない。そして何処へ行っても兎に角颯太は、一人ではしゃいでいた。
「あのさあ颯太……」
「ようしそろそろ八刻だ。次はあそこの茶屋へ行くぞ。何か、手掛かりが得られるかも知れん」
人の話をろくに聞かないまま、先に見える朱い傘と緋毛氈を指さすと、颯太は行き交う人の波の中を突き進んでいく。桜は困ったように笑い、そして雫は首を振って、深深と嘆息した。
じきに店先の縁台に腰掛けた三人は、団子を食べて茶を啜った。そもそも何をしに出てきたのか判らなくなるほど、長閑な時間が過ぎていた。
颯太は終始にこにこと機嫌良く笑んでいる。桜は少食らしく、ちまちまと囓るようにして食べている。雫も初めは渋い顔をしていたが、半ば自棄になって口に放り込んだ団子が、思いの外美味かったため、少しだけ頬を緩めた。そうして、顔を上げる。
秋空が美しい。
「お侍さま」
不意に可愛らしい声が耳に届いて雫が顔を向けると、そこには何処かの童が三人ほど、人懐こい澄んだ眼をして集まっていた。三人ともぽうっと口を開けて、あどけなく雫を見上げている。
綺麗な鞠を大事そうに抱えた、小さな女の子が尋ねてきた。
「なにしてらっしゃるの」
「え? んー……そこにいる、へらへらしたお兄ちゃんの付き添い。ふらふらどっか行ったりしないようにね。お団子、あげようか」
雫がそう云うと、三人の童子は顔を見合わせ、にっこりと笑った。
丁度一串残っていたので、一人に一つずつあげることにする。差し出された三つの小さな手に渡してやると、美味しいね、と云いながら、童たちは頬張っていた。
嬉しく思いながらも、雫は少し思った。
(侍と町人って、こんなに友好的だったのかなあ……)
しかし、本当のところなど、結局誰にも判らぬのだ。雫の聞き知っていることとて所詮、後世の学者が文献を元に得手勝手に想像したことに過ぎぬ。もしかしたら真実は、この絵巻の方かも知れぬではないか。ならば、疑ったところで何も始まらない。




