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その十二 雫、どう言ったらいいかわからない気持ちになる

 不思議に思って雫がしげしげと筆を眺めていると、ああ、と首を(すく)めて颯太は応えた。


「ああ、この力のことか――実を云うと、私にもよく判らん。紙や筆は関係ない。


 何であろうが私が念を込めて描くと――あのようにして紙から飛び出す。血肉を得る。生命(いのち)を持つ。何時の頃からか、そうなったのだ」


 大したことでもなさそうに、颯太はそう云ってのけた。

 ふと気づけば周囲からは野次馬も、(いわん)や浪人たちもいなくなっている。人気(ひとけ)のなくなった江戸の町は、ひどく静かだった。


「一応云っておくが、私は妖物ではないぞ」


 詰まらなそうに颯太が注を加える一方で、雫はまだ興奮冷めやらない。

 まして危ういところを二度も助けてもらったわけだから、最早颯太は命の恩人である。


 雫は苦手な褒め言葉を、不器用ながらも一所懸命に並べ立てた。


「いやそんな……凄い。私はそれは、凄いことだと、思う。描いたものに生命を吹き込めるって。普通出来ることじゃないよ。そのおかげで私は助かったんだから……その、ありが、とう」


「うむ」


 そう云って、満足そうに颯太は頷いた。


 それにしても。

 落着いた今になって、雫は思う。


 思い返してみればあの浪人、何やら大層な口調で講釈を垂れてはいたが、要は「容易に斬れそうな奴を狙って喧嘩売れ」と云っていたに過ぎぬではないか。

 ただの卑怯者である。


 仏頂面でそう雫が漏らすと、武士道など所詮そんなものだ、侍恐るるに足らず、と颯太は鼻高々に笑った。明らかに調子に乗っている。


 剣道家の端くれである雫としては(にわか)には頷けぬところであったが、助けてもらった以上仕方がない。

 さらに雫は賛辞を続けた。


「ああ、後それに、さっきのあの、ハエ。あのハエも、その……本当によく描けてたと思うし」


「――蜂」


 急に無表情になった颯太は腕組みをして、ぽつりと小さく云った。


「え?」


「――尻から針を出して人を襲う蠅がいるか」


 そう聞いて雫は、浪人たちを追いかけてどこぞへ消えていったさっきの奇怪な虫を思い起こしてみた。

 あの絵は如何に目を凝らしてみても蠅、精一杯の好意を込めて見ても、亀虫であった。


 暫く二人は、無言になった。

 雫は狼狽(うろた)えた。


「その……何と言っていいか」


「可哀想なものを見る眼で見るなッ」


 いきなり顔を赤らめ、颯太は早口に云い募った。


「何も云わんでいい、手前の絵の善し悪しなど重重判っているッ。どうせ下手の横好きだ。こんな程度で絵描きを目指すなど百年早いわなッ、ふん」


 上達するまで実家(いえ)には帰らぬと云うて飛び出してきたが、こんな調子では帰る頃には今浦島だ、一族郎党皆滅びておるわ、と颯太は(わめ)き散らして地団駄を踏んだ。

 どう慰めてよいやら判らず、雫はますます狼狽する。


 そうするうちにふと眼について、近くに置き放しになっていた颯太の包みの中の他の絵を、雫はぱらぱらと手にとって眺めてみた。


 先程の竹林と泉を描いたらしきものが幾枚かあったが、それらも見ようによっては、籠に盛られた雲丹(うに)か、無精髭の生えた顎の絵のようでもあった。

 多分そんなものは描かないだろう、と好意的に解釈してやっと竹林と判断しただけである。

 雫は頭が痛くなった。


 悔しさで泣き出しそうな颯太を、何とか雫は(なだ)めようとした。


「で、でも、それでも充分凄いと」


「やかましいッ」


「あのぅ――」


 不意に他方から何やら大人しげな少女の声が聞こえてきて、二人は思わず口を(つぐ)むと其方(そちら)を見た。

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