69話 トラストユー 道を違えた者
「咲姫さん! 朱里さんはどうしたんですか!?」
紅神の屋敷に、里美と七恵が慌てて走ってきた。敵であるジャックから囁かれた、朱雀と玄武の死……それが現実のものになってしまったのでは無いかと焦りを隠せない。
「……生命維持装置は無事ですわ、一命は取り留めたと思いたいですけれど……」
「わ、私達、朱里さんたちが死んじゃうかもって聞いて……その……」
「落ち着きなよ七恵、今一番ショックを受けてるのは咲姫さんなんだから」
白虎の突然の裏切り、その犠牲となった朱里は一命を取り留めてはいるものの、サイボーグの身体でも安易に修復不可能なレベルのダメージを負っていた。懸命に修理を行っていた咲姫の豪華な服には、似つかない黒くくすんだ汚れが付着している。
「貴方たちに接触してきたと言うジャックに、裏切った白虎……色々と情報を整理したい所ですけれど、まずは一旦休憩しましょうか。朱里よりは味が落ちますけれど、わたくしも腕に自信がありますわ。ティータイムと参りましょう?」
「咲姫さん、なにもこんな時にまで気を使わなくても……」
従者がやられ、落ち着いていられないであろう咲姫が茶を入れると聞き、無理をしているのではないかと気遣う里美だが、その心配とは裏腹に咲姫の顔は気丈だ。
「朱里の事なら既に全力を尽くしましたわ。後足りないのは時間だけ。それならば主であるわたくしの仕事はどっしりと構えて居ること。そう、あの子に教えられましたもの」
「……強いんですね、咲姫さん。私、いつもオロオロしてばっかりで……」
「わたくしには紅神を継ぐ者としての責務がある、それだけですわ。一人で抱え込まずに弱さも不安も共に抱え合う、あなた達にはそれができるでしょう?」
咲姫の言葉を聞いて、里美はぽつりと呟く。
「まったく、虎白も私たちに相談ぐらいしてくれればいいのに」
注がれた湯がティーポッドを温める中、時は過ぎる。これから起こる戦いの中、これが最後のティーブレイクになるかもしれない予感を感じながら。
「話はわかった。奴らも大胆な手に出てきたな……これからが正念場か」
紅神邸のティータイムに退院したばかりの龍二と愛も加わり、情報共有と次の手を考えていた。流石に重症の朱里、そして虎白の裏切りの前には愛もシリアスにならざるを得ず、じっと黙っている。
「この頃のベルゼリアン増加も含め、何か大きな事の前兆なのは間違い無いですわね。大丈夫、朱雀が欠けた隙を好機と転じさせるなど、わたくしと朱里にかけてさせません」
「あとは……虎白か……」
虎白は確実に朱里に対し危害を加えてきた。突然の裏切りに戸惑うことしか出来ない一同。立ちはだかるなら戦うしか無いのか、苦渋の決断を迫られる中で七恵が口を開く。
「き、きっと何か訳があるに違いないよ! ちゃんと話し合えば傷つけ合わなくたって!」
「訳があるのはわかっているさ、生半可な思いでこんなことをする奴じゃない、だが刃を向けてくる相手に加減をすれば、今度は命を奪われる可能性もある……!」
龍二はショックを受けている七恵の前で言葉を濁すが、いざとなれば覚悟を決める必要を感じていた。彼女の中にある、力に飲み込まれそうな予感、そして今回の裏切りに関連性があるのかどうかハッキリとわからなくとも、次にその爪が誰の命を狙うのかはわからない。気を緩めた一歩先に死がある戦場の感覚を七恵は知らないのだ。だからこそ友人同士が殺し合う事態を認めたくない。
「だからって今まで一緒に戦った仲間で友達が殺し合うなんておかしいよ! そんなの誰も望んでない!」
「それはこちらの都合だ、虎白がそれで矛を収めるならば最初から裏切りなどしない!」
七恵が甘いのは確かだ。だがそれと同じく虎白や龍二達を思う気持ちが大きいのも確かなのだ。それdふでも、孤独だった少女が築き信じていた友情が壊れていく恐怖、不安、悲しみ。それらを言葉に乗せたとしても、命の奪い合う場では力なくては通用しない。
誰もが言い切れぬ思いを抱える中、食堂の大きな扉を開く者が一人。
「事を急ぐな青龍。人の気持ちを汲むという事を覚えるんだな」
「朱里! まだ休んでいた方が……!」
片足を引きずりながら、傷だらけの朱里が貫かれた腹を抱えて食堂に現れる。咲姫の治療をしたと言ってもまだ回復には時間がかかる。本来出歩いてはいけないはずの彼女の前に、慌てた様子の咲姫が駆け寄った。
「大丈夫ですお嬢様。お陰で私はもう戦えます。それとも、私を直したご自身の腕が信じられませんか?」
「たしかに、完璧な処置は施したつもりですけれど……」
咲姫の助けを借りながら朱里は椅子に座った。その様子は見るからに痛々しかったが、朱里はそれを誤魔化そうとしてか軽やかな表情を見せる。
「朱雀……今は大事に至らず良かったと言うべきか」
「体を作ったのも治療をするのも世界で一人だけの天才だからな、そうそう消えはしない」
「だが、意外だな。お前なら自分に矛向けた相手に容赦するはずがないと思っていたが」
「私の中の甘さがまだ残っていたと言うべきか、それともお前たちに絆されたと言うべきか……それでも冷静な判断はしているつもりだ。だからこそ分かったこともある」
「わかった事……?勿体つけた言い方をするな、俺達には時間も余裕もないんだ。それはなんだ」
言葉通りに余裕の無い事を隠さず結論を急ぐ龍二。相反してほくそ笑む朱里には、あの場で戦った張本人だからこそ見抜けていたことがあった。
「奴の中にはまだ迷いがある。いくら朱雀と言えど白虎から不意打ちを受ければ一撃で殺されていたはずだ。それが出来なかったのが最大の証拠だよ」
「……それは結果の話だ。それに迷いなどいつ振り切ってしまうかもわからないんだぞ?」
「百も承知だ。それに、私とて一撃奴に返さねば気が済まんよ。それでも私たちは微かな希望を切り捨ててはいけない。お前の後ろで怯える人の顔が見えんのか?」
龍二はその言葉を受けて、愛達に視線を向ける。七恵だけではない、虎白と命を奪い合うなどあってほしくない思いは誰だって同じだった。それでも直接刃を交えない愛達にはその思いを飲み込むしかなかった。溢れんばかりの思いを伝えたところで龍二達の手を鈍らさせてはいけないと思っていた。
その悲しみを龍二は焦りのあまり、見る余裕が無かったのだ。襲い掛かる刃を払ってやるだけが大切な人たちを守るという事ではない。それを見失っていた。
「そうか、そうだったな……俺がやりたかったのは皆の幸せだった時間を、場所を守る事だった。その為に命を懸けるなら、多少の危険も、俺は……!」
龍二の中に生まれた覚悟、それは友を殺める物ではなくなった。一度は道を違えてしまった者と最後まで向き合う覚悟。それならば皆と心を一緒に出来る。その道程が険しくとも、この意思を貫けば進んでいけるはずだから。




